77.Settlement
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もうどれだけ、この状態が続いているのだろう。十分か、三十分か、それとも一時間か。果たして自分はいつまで、この敵と向き合わねばならないのか。
まるで出口の見えない無限地獄。
そう思いながら、シオンは操縦桿を握り締め、機体の操作に全神経を集中する。一筋の汗が頬を伝うが、それを拭う暇すらないほどに、この戦いはヒートアップを続けていた。
すでにフローライトは限界寸前。コクピットには警告音が鳴り響き、センサーのいくつかは沈黙して久しい。正直、いつ機能停止を起こしても不思議ではない。そして、それはむこうも同じだろうとシオンは考えていた。
お互いにあと一撃で機体が動かなくなるであろうダメージの中で、一瞬の隙が命取りになる真剣勝負が繰り返されているというわけだ。
必殺となる一撃を繰り出し、それを避け、防ぎ、いなし、反撃する。その繰り返し。
だが、延々と続けられると思われていたその攻防も、終わりは突然に訪れる。ある時点を堺にして、クロウ・クルワッハの動きのキレが低下し始めたのだ。
ヴィラン本人の体力の限界か、もしくは機体の損耗が激しいのか。ブラフの可能性も考慮したが、ヴィランの動きに演技の兆しは見られない。シオンはクロウ・クルワッハの左腕を掴むと、肘関節から先を力任せに引き千切り、続けざまに肩から胴体にかけて袈裟斬りにした。
クロウ・クルワッハはワイバーンのブリッジ直下の防護壁に背を埋もらせ、一切の動きを見せなくなった。
敵機の動力の停止を確認し、シオンはクロウ・クルワッハのチェーンガンの砲口を潰した上でナイフを鞘に収めた。
戦いは、これで終わり。
それは彼女が示した、ヴィランに対する勝利の意思表示だった。
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ワイバーンはフォーティファイドを伴い、無事に太平洋へ着水した。
幸いにしてワイバーンのダメージは航行に支障が無い程度のものだったが、フォーティファイドの方は曳航が必要なまでのダメージを負っていた。
大型艦ゆえに、ワイバーンのみではこれを動かすことは難しく、ワカナ艦長はすぐに曳航船の手配を行う。
「これで、本当に決着か……」
シートに小柄な身体を預け、ワカナ艦長は大きくため息をつくと、ブリッジ下部に磔にされたクロウ・クルワッハの様子をモニター越しに確認した。
両腕と頭部を原型を留めないほどに破壊された姿が、敵ながら何とも痛々しい。
だが、同情するつもりはない。自らの悦楽を追求するために、各国から最新技術を盗み、あまつさえ一国を巻き込んだ紛争まで引き起こした男だ。これで被害を被った人間の数からしたら、たった一回の戦闘で敗北したところで、その罪は消えはしないだろう。
そもそも、敗北によって罪が軽くなるのであれば、ヴィランはこれから何百、何千、何万と負け続ける必要がある。それではあまりにも非効率的だ。
だからこそ厳正に、司法によってあの男を裁く必要があった。
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フローライト・ダンピールから降りたシオンが、クロウ・クルワッハのコクピットハッチに近づく。
機体の足元にはワカナ艦長の指示で保安要員が待機しており、万が一シオンがヴィランの拘束に失敗してもいいように銃を構えている。
シオンに付きそうべく、レンがクロウ・クルワッハの胸元へ駆け上って来た。装甲の凹凸を巧みに登るその身のこなしに、一切の無駄がない。
「開けるよ」
シオンは自分の後ろで銃を抜くレンの姿を確認すると、漆黒の装甲の下からコンソールを引き出し、コクピットハッチの緊急開放コマンドを打ち込んだ。
圧縮された空気の抜ける音とともに装甲下のジャッキが持ち上がり、硬く閉じられていたハッチが開放される。装甲の歪みによって中途半端にしか開かないが、シオンとレンはそれを無理やり持ち上げてヴィランの座するコクピット内へと踏み入った。
もはや操縦席としての原型を留めているかも怪しいその狭い空間の中で、ヴィランは血みどろになりながらも意識を保っていた。
「やあ、こうして顔を合わせるのは初めてですね」
口を開くのと同時に、構造材の突き刺さった脇腹から血が吹き出る。同時に、肺から空気が抜ける音が聞こえてくる。
もはや、誰が見ても助からないであろうという状況。だが、ヴィランの顔は平静を保ったままだ。その表情の異質さと、血と臓物の臭いに、シオンは思わず吐き気を催した。
戦闘の終盤でクロウ・クルワッハの動きが鈍ったのも、この傷が原因だろう。果たしてこの男は、いったいいつからこの状態で戦っていたのか。
「痛そうに見えますか。そうですか、それは嬉しいことです」
シオンとレンは、ヴィランが何を言っているのか、その言葉の意味を理解できず、恐怖の感情とともに銃を向ける。
口から血を滴らせながらも、ヴィランは笑みを絶やさない。
「痛みを……感じていないの?」
「痛いですよ? ただ、あまりに痛すぎて痛覚が吹き飛んでいるようですが……でも貴女がたの心に少しでも傷を付けられたなら本望ですよ」
自分の状態は把握しているということか、とヴィランの顔を見やる。脂汗が額から滲み出し、なんとか平静を保っているといった状態だ。
「それで、私に何の要件で?」
「お前を拘束しにきたのよ」
「こんな状態で、拘束も何もないと思いますけどね……」
ヴィランが笑みを浮かべる。それがもはや形式的な物であるのはこの場の誰もが理解している。だが、目に見えるけじめは必要だ。
「レン、衛生兵呼んでもらって」
「オーケー」
シオンに言われるまま、レンは下で待機していた保安要員に衛生兵を呼ぶよう伝える。
「けじめは付けてもらう。少なくとも、その命が自由を謳歌することは、ないと思いなさい」
シオンはヴィランに向けてそう言い捨てる。ヴィランはまんざらでもない表情を見せるが、シオンはそんな彼を下卑するような目で見下した。
程なくして衛生兵により、ヴィランの身柄がコクピットから引きずり出され、担架に乗せられ運ばれていく。
それを見送りながら、シオンはフローライト・ダンピールを見上げ、口を開いた。
「終わったよ、ホタル義姉さん……」
義姉への報告を終えてシオンが機体を降りた途端、フローライト・ダンピールは突如として音を立て、その構造を崩壊させていった。
「えっ!?」
突然の出来事に、シオンはもとよりレンたちも何が起きたのかを理解するのに数秒の時間を要した。限界を越えた挙動を、一回の戦闘の中で戦闘で幾度となく繰り返した反作用が、ここに来て現れたのだ。
慣性制御装置によるGの軽減効果によって機体に乗っていたシオンはそれを実感することはなかったが、拡張プログラム使用時の機体負荷は、相当なものであったことを、フローライト・ダンピールは自らの崩壊によって示している。むしろ、先程まで機体を維持していたのが奇跡と言ったほうがよいのかもしれない。
そして、まるで自らの役割を終えたかのように躯体を分解させていくフローライトの姿を、シオンたちはただ見ていることしかできなかった。
「……ありがとう」
崩壊し、残骸となった愛機の姿を見て、シオンは短くそう告げた。