76. Descend
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機体の損傷を確認し終えると、シオンはクロウ・クルワッハに向き直る。もうシャトル発射までそう時間はない。もはや如何様に足掻いたところで、カタストロフは不可避だろう。
諦め。
その感情をあらわにしそうになった時、通信機から聞き慣れた声が聞こえてくる。エイブラハムからの通信だ。
『シオン、現状は?』
「最悪。今にもシャトルが飛び立とうとしているのに、奴は未だに健在」
『なら、五秒でいい。ヴィランの足を止めろ』
「この現状を、打破できるの?」
『そのための武器と人材が、こっちにはある』
自信に満ちたエイブラハムの声に、シオンは「理解った」と短く答えると、クロウ・クルワッハと刃を交えた。今は、エイブラハムを信じる以外に手はない。
『私の勝ち、ですねッ!』
ヴィランの勝利を確信した声とともに、フォーティファイドからシャトルが飛び立つ。だが次の瞬間、シャトルの胴体部に穴が穿たれ、そこを起点としてシャトル全体に火の手が回る。火だるまになったシャトルは重力に導かれて地表にいざなわれ、やがて爆発四散した。
自らの勝利を挫かれたヴィランは動揺を隠せない様子を見せ、その隙を突く形でシオンはクロウ・クルワッハの右腕を肩口から斬り捨てた。
○
企みを挫かれ、さらに機体を大きく損傷したことで、ヴィランは思わず後ずさる。
だが、シオンはそんなヴィランを尻目に、フォーティファイドの下方を見やった。
雲海のはるか下を、まるで潜水艇のように航行するワイバーンの艦影が確認できる。とはいえ、最大望遠でようやく見える程度の距離だ。キーヴル級がそれだけの長距離から間接観測無しにここまでの精密射撃ができるとは聞いたことがない。それに、あの攻撃は明らかにワイバーンの主砲によるものではない。明らかに、穿たれた穴が小さすぎる。
だとすれば、考えられる答えは……。
『どうやら、間に合ったようだねッ!』
通信機から聞こえてくる、快活な女性の声。そう、先程の攻撃はレンフィールド・シュルツのタルボシュⅡ・スナイプによる、長距離精密射撃。高度なセンサーと自らの射撃スキルを極限まで活用し、雲の合間をまるで糸に針を通すかの如く狙い撃ったのだ。
そして、その手に握る大型ライフルもまた、かつて試験用にワイバーンに積み込まれていた試作装備そのものだ。威力こそ据え置きだが、その最大有効射程は艦砲にも匹敵していると技術者が息巻いていたそれを、よもや実戦で使おうとは。
ともあれ、これで後はヴィランを倒すだけ。
目の前の敵に集中できるよう援護を受けることが、これほどまでに頼もしいことだと実感したのは久しぶりだった。やはり、背中を預けあえる仲間の存在は、困難な状況を打開するのに必要不可欠なのだ。
他人を利用し、不要と判断すれば切り捨てるヴィランには、その要素が決定的に抜けている。
だからこそ、今のシオンはそんな奴に負ける気がしなかった。
「あとは、お前を倒して決着ッ!」
『自惚れないでもらいたいッ!』
二機が睨み合う中、フォーティファイドが徐々に高度を落としていく。過剰パフォーマンスによってエンジンに鞭を打っていた、その代償がここに来て現れたのだ。
慣性制御フィールドの効果によって、降下速度は緩やかだ。しかし、この艦が地上に降り立つよりも先に、シオンとヴィランは勝負をつける腹積もりを決めていた。
暫くの沈黙を置き、両者はお互いに残った方の腕で武器を構え、刃を振るう。
フローライト・ダンピールのカウンターブレイドが砕け折れ、クロウ・クルワッハのブレードがシオンに迫る。だが、シオンはカウンターブレイドが折れることを想定し、それを捨て石にすることを最初から覚悟していた。刃を振るうのと同時に柄から手を離して背後に飛び、素早く左肩の鞘からナイフを抜き放つ。
空振りし、甲板の上に振り下ろされたクロウ・クルワッハのブレードを足で踏みつけ、続けざまにナイフの切っ先を半壊した頭部に振り下ろした。
「もらった!」
『甘いですよ』
だが、ヴィランは寸でのところでクロウ・クルワッハの左腕をブレードから離すと、フローライト・ダンピールの腕を掴んでその一撃を阻止し、そのままシオンを伴って大空へと飛び上がるろうとする。
シオンはそうはさせるか、とクロウ・クルワッハの背部フライト・ユニットにフローライト・ダンピールの頭を向け、チェーンガンの銃爪を引く。フライト・ユニットから煙が吹き上がり、推力が低下したことで漆黒に彩られた機体が重力の軛から解き放たれることはなくなった。
だが、その一瞬のうちに、二機はフォーティファイドから大きく離れ、大空の上だ。
加えてクロウ・クルワッハはフローライト・ダンピールの腕を離さず、重力に身を任せるかのように振る舞っている。このままでは、いずれ海に叩きつけられて両者共倒れになりかねない。
「このまま共倒れになるつもり!?」
『どうでしょうね、フフフ……!』
不気味な笑い声が、シオンの耳に残響する。
おそらくヴィランはこれを戦いの幕引きにしようとしている。戦略的な勝利が得られなくなったのであれば、戦術的な痛み分けを選ぶつもりかと考えつつ、シオンはそうはさせないとばかりに機体をワイバーンの方へと向けた。
「ワイバーン、今からそっちに行くから、受け入れ準備よろしく!」
通信機から聞こえてくるオペレーターの混乱の声を他所に、シオンはブースターで微調整を行いながら、ワイバーンのカタパルトへとタッチダウンした。
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着艦とも墜落とも形容できる二機が降り立った際の衝撃が艦全体を襲うが、慣性制御フィールドの恩恵でそれはすぐに収まった。だが、カタパルトの上では激しい格闘戦が繰り広げられ、別の意味で危険な状況に追い込んでいた。
激戦によって機体装甲や細かいパーツが甲板に散りばめられるが、それがフローライトのものかクロウ・クルワッハのものなのか、いちいち判別しているほどの余裕は、もはやない。
カタパルトからエレベーターシャフトに退避していたレンも、その戦いに加担することはしなかった。否、正確にはできなかった、というべきだろう。決して広くはないキーヴル級のカタパルトの上で激しくポジションを切り替え、殴り合い、斬り合いを演じる中で、援護射撃を行ってフローライト・ダンピールを誤射してしまう危険もある。だが、それ以前にこの勝負に水を差せば、とんでもないとばっちりを受けるのではないかという思いが、それを見守る者たちにはあった。それほどまでに鬼気迫る戦いが、眼前で演じられているのだ。
シオンとヴィランの戦いは、まるでお互いに武器を手に持ちダンスを踊っているかのよう。レンも、ワカナ艦長も、そしてエイブラハムも、その様子に釘付けになっていた。
「頑張れ、シオン……ッ!」
彼女たちにできるのは、激闘に身を置くシオンに僅かな声援を送ることだけだ。だが、レンは万が一に備えて銃の構えを解くことなく、エレベーターシャフトに身を潜めていた。
これまで幾度となく背中を預けあった友人の実力を疑うつもりはない。だが、もしもの事態……フローライト・ダンピールの敗北を想定しておくことは、軍人として行動する中で彼女が身に付けた「癖」でもあった。
できることなら、この行動が杞憂に終わってくれればと願いながら、レンはいつ終わるか理解らないダンスに熱い視線を向けた。