73.Destroy the shuttle.
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「うっ……」
全身に生じた鈍い痛みとともにアイは混濁する意識の中から自身を取り戻した。医薬品の鼻をつく匂いから、そこが医務室……それも航空艦のそれだと即座に理解する。
状況を確認すると、手足はベッドに拘束されており、彼女に行動の自由はない。義眼は取り外されていなかったが、機体とのデータリンクは絶たれている。
「気がついたようね」
傭兵の隊長格と思われる女性がアイ横たわるベッドの傍らに立ち、その顔を覗きこむ。アイは見知らぬ人間に目元の傷を見られるのを恥じ、顔を背けた。
「……殺しなさい」
「そうはいかない。こっちもこっちでようやく手に入れた捕虜よ」
彼女のその言葉に、アイは傷の部隊の全滅を悟った。しがらみを断った間柄とはいえ、彼らに思うことが無かったといえば嘘になる。だが、腕利きの傭兵であっても終わる時はこうもあっさり終わるのかとため息を吐いた。
そして、この女隊長の言葉は、アイを生かして捕えた理由を端的に語っている。
「なるほど、ヴィランの目的を知りたい、といった面持ちね」
アイのその言葉に、女隊長は無意識のうちに視線をそらす。
図星かと確信し、アイは彼女を憐れむような表情を見せる。つまり、同盟軍は情報が欲しいのだ。ヴィランは徹底した秘密主義もあって手足となる駒に自らの目的を教えることは滅多にない。そんな中でアイだけはヴィランの傍らでその目的を知ることができた。スケジュール管理に戦力分析、その他の事務的な補助を行ってきたからこそ、彼のことを深く知れたと言ってもよい。
「ただの道楽で民間軍事会社の本社施設を占拠するなんて、考えられないことよ。それに、寄港したフォーティファイドをジャックした理由も理解できない」
「……では、同盟軍はどのように仮定しているので?」
「高高度核爆発による社会インフラの破壊……それが私たちの見解よ」
女隊長の言葉に、アイは思わず声を大にして笑い出す。いい線を行っているが、あまりにも惜しい。だが、高高度核爆発を使ったプランはありだったかもしれない。本来の目的を完遂させるための後詰めとして使えば、ヴィランの目的をより完璧な形で実現できたであろうことは間違いなかった。
いいことを聞かせてもらった礼として、アイは呼吸を整えると自分たちの目的を告げる意思を固める。何より、今ここでヴィランの目的を把握しているのは自分以外いない。彼女はこれが自分に課せられた「役割」なのだと捉えていた。
「いいでしょう。特別に教えてさしあげます。ヴィランの目的、それは……」
アイは女隊長にヴィランの目的を耳打ちする。その内容に、女隊長は思わず目を見開いた。その信じられないというような面持ちを見て、アイは満面の笑みを浮かべずにはいられなかった。
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シルヴィアが捕虜から得た情報は、すぐにワカナ艦長らに伝えられ、その目的の途方もなさに一同はヴィランの正気を疑った。
その目的とは、高高度まで上昇させたフォーティファイドからシャトルを射出し、それを軌道上で爆破。その際に生じた破片で周囲の衛星帯の小惑星群の軌道を変更させる、というものだ。
軌道を逸らされた小惑星はケスラーシンドロームによって指数関数的にその数を増大させ、やがてその内のいくつかが重力に引かれ地上へと落下する。
落下予測地点も、被害規模も皆目検討がつかない。多くの人命が失われるのはもちろん、地図から消える都市や国も一つや二つでは済まない。どころか、地球環境も大きく変動してしまう可能性すらある。
まさに無差別大量殺戮。
恐らくヴィランはその後の世界に生じる争いを愉しむのだろう。だがそれ以前に、これを阻止するために行動する者……この場合はシオンとの戦いをエンジョイする気でいるのだろう。
「ヴィランめ、どこまでも常識の埒外から行動を起こす」
敵のその出鱈目な行動に頭を抱えながら、ワカナ艦長は艦を上昇させるよう命じた。今からでは間に合わないかもしれない。最早これを止められるのは、唯一フォーティファイドでヴィランと戦っているシオンだけだ。だが、その手を阻むのは現時点で最強の強襲機動骨格たるクロウ・クルワッハ。
長距離通信でシオンにヴィランの目的を伝えたところで、果たして間に合うかどうか……。
だが、それでも最悪のシナリオを回避するためにも、ワカナ艦長はオペレーターを通じてシオンにシャトルを破壊するよう通達した。
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「あの艦長、簡単に言ってくれるな……」
ワカナ艦長からの緊急通信を受け、シオンはフォーティファイドの左舷格納庫から飛び立とうとしているシャトルの破壊に向かおうとするが、しかしそこに立ちふさがるクロウ・クルワッハの攻略に難儀していた。
むしろ狙うべきターゲットを定めてしまったことで、ヴィランがそれに対応する行動に専念するようになったようにすら感じていた。
『どうやらこちらの意図を察したようですね。でも、シャトルはやらせませんよ』
「邪魔をするなッ!」
ヴィランの嬉々とした声を他所にシオンはクロウ・クルワッハの刃を躱すと、発射直前のシャトルに向けて頭部チェーンガンの銃爪を引く。
だが、その直前にヴィランはフローライト・ダンピールの背面に飛び蹴りを食らわせ、その狙いを逸らす。放たれた弾丸はシャトルの主翼を掠めるだけで、シャトルを破壊する決定打になることはなかった。
シオンはヴィランに反撃しつつ、シャトルの様子を確認する。
エンジンがアイドリング状態にあるため、もはや幾ばくの余裕もない状況であることは間違いなく、それがシオンの焦りを増幅させる。
さらにヴィランは、シオンをシャトルから遠ざけるようにに艦の後方へと押しやる。再び後部甲板に足を付け、両者はもう何度目になるか理解らない打ち合いを再演する。
このままヴィランの手のひらの上で踊っているだけでは、未曾有の大惨事を防ぐことなど夢のまた夢だ。奥歯を噛み締めながら、シオンは現状を打破するために頭を回転させる。
気がつけば、シオンは後部格納庫に開けられた穴から再び艦内に入り込んでいた。そんな中、後部甲板からシャトルのプラットフォームに向かうことができたことを思い出し、シオンは障害物に身を隠しながらシャトルに向かう。
クロウ・クルワッハは障害物など意を介さず、積み上げられたコンテナを崩しながらまっすぐにシオンの方に迫ってくる。
急げ、急げ。
マシンガンでヴィランを牽制しつつ、シオンは格納庫を仕切るシャッターを突き破り、左舷格納庫に足を踏み入れる。シャトルが固定アームから解き放たれる寸前の状態だった。シオンは考えるよりも先に頭部をシャトルに向け、チェーンガンの銃爪を引いた。
爆発。
艦の左舷格納庫が、熱と衝撃によって原型を留めないほどに破壊された。
恐らく、シャトルのカーゴに相当数の爆薬を積んでいたのだろう。シオンはその衝撃を慣性制御装置で防ぎながら、ヴィランの方へ向き直る。
『やってくれましたね』
「ええ、やってやったわよ」
たっぷりの皮肉を込めて、ヴィランに反論すると、シオンはカウンターブレードを抜刀し、その切っ先をクロウ・クルワッハへ向けた。
シャトルを破壊し、後はこいつを倒すだけ。
シオンにとって、五年前から続く因縁を断ち切る時が、今まさに迫っていた。




