68.Man of Destiny
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六年前、彼は運命の女性に出逢った。
レクスン政権下でのドルネクロネ紛争の真っ只中。無茶な作戦を命じられ、拒否権もないまま敵拠点に特攻同然の攻撃を加えるよう命じられた彼の部隊は、同盟軍の迎撃部隊によってあっさりと壊滅の憂き目にあった。作戦に参加した兵士のうち、半数以上が死亡。彼は、その中で数少ない五体満足の生存者となった。
破壊されたヘルムのコクピットから這い出した彼は、先ほどまで相対していたタルボシュ・ターボのコクピットから出てきたパイロットを見上げた。
「何よ、まだ子供じゃない」
貧しさから食い扶持を求めて軍に志願したとはいえ、彼は平時であれば学校に通っているのが当然の年齢だ。それを目の当たりにして、目の前の女性は手を差し伸べて来た。恐らくは少年兵と知って哀れみを感じたのだろう。だが、彼は本人も知らぬ間にその手を取っていた。
軍に入隊し、兵士になっても生活が豊かになるわけではない。せいぜいが正規の軍人にいいように使われ、最後は弾除けとして捨てられるだけ。餓死しない、というだけで理不尽な死そのものからは逃れられなかった。だが、当時の彼は目の前の女性がそこから抜け出すための「何か」を持っているような気がしたのだろう。
強く手を引かれ、彼は自らの足で立ち上がる。
そして、女パイロットの顔を見て、彼はその美しさに思わず見惚れてしまった。
それが、レイフォード・スティーヴンスとシルヴィア・ワイズマンの出逢いだった。
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もはや機体の姿勢を制御することさえままならぬ中で、レイフォードはボムのカスチェイに飛びかかるシルヴィアの姿を見た。
あの時握ってくれた手を懐かしく思いながら、最早その感触を生身で感じることができないことに涙を流す。
とは言え、まだこんな所で死ぬつもりはない。つまらないジンクスを吹き飛ばす。その約束を守るためにまだやれることをやり尽くしていない。
生きろ、と自分に言い聞かせ、レイフォードは涙を拭う。そして、自機のコクピットハッチを強制開放し、もはやスクラップ同然になった機体から這いずり出た。
格納庫の物陰に隠れ、失った右腕の止血を行い、インカムで救援要請を出す。
『レイフォード、生きてる?』
戦闘の合間に、シルヴィアが問いかけてくる。レイフォードは「なんとか」と短く応え、壁に背中を預けた。
「まだ、約束を、果たしてませんからね……そう、簡単には、くたばりませんって」
息が荒い。視界が霞む。体温が下がり、全身に寒気が走る。血を失い過ぎたのだと、本能が告げていた。
『とにかく、生きなさい。これは命令!』
「わーって……、ますよ……」
朦朧とする意識の中で、なんとか自分を保つべく、死力を尽くす。
こんなつまらない所で死んでたまるか。俺は彼女に……。
その想いが、レイフォードに踏みとどまる力を与えていた。
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レイフォードの通信が途絶え、シルヴィアの顔に不安の色が出る。早くこの敵を排除して、迎えにいかなければ。
その一心で攻撃を躱し、ショットガンを突きつける。だが、焦りが狙いを甘くする。
『お仲間が心配かい!?』
敵パイロット……ボムと呼ばれる男が、シルヴィアの心情を的確に抉る。
早く倒さなければならないのに。
敵の戦闘能力の高さが、シルヴィアの攻撃を阻み、追い詰め、消耗させていく。
一方の敵側は仲間が撃墜されても激昂する素振りもない。なんと冷めた関係なのだと思いながら、シルヴィアは敵との距離を詰めようとする。
だが、その矢先にフロート全体に轟音が響き渡る。
何事か、とレーダーを確認すると、係留されていたフォーティファイドが、ものすごいスピードで上昇しているではないか。その速度は、スヴァローグ・ドライヴの過剰パフォーマンスによって行われていることは、航空艦について門外漢であるシルヴィアが見ても明らかだった。
否。そんなことを気にするよりも、先にやるべきことがある。
シルヴィアはナイフを抜き、カスチェイに肉薄する。
『ハハハハッ!! ヴィラン、プロフェッサー! やりやがった!! 俺の最高傑作のベイビーがついに打ち上げられた!!』
だが、一方のボムは、フォーティファイドが上昇していく様を、まるで我が子が産まれたかのように喜んでいた。
ボムはシルヴィアの攻撃に応戦こそすれ、歓喜の感情のせいか、その行動は緩慢気味。そして、それが、勝負の決め手になった。
シルヴィアは攻防を重ねる中で敵の挙動に僅かな隙を見つけ、カスチェイの胸部にナイフを突き立てた。
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『聞こえているか……同盟のカスチェイのパイロット……』
ノイズに紛れ、聞き慣れない男の声がレイフォードのインカムに流れてきた。
「誰だ、あんた……?」
『君の僚機に蜂の巣にされた機体のパイロットだよ……傷の部隊の隊長代行……副長、と呼ばれている』
その言葉に、レイフォードはシルヴィアに撃破されたカスチェイの方を見やった。まさかあそこから狙われているのか、と緊張が走る。
「それで、その副長さんが、俺なんかに何の用だ……?」
短い沈黙。その後、副長は再びレイフォードに語りかける。
『君の狙撃の腕が、大したものだったのでな……。できれば、私の部隊にスカウトしたい』
それは、レイフォードにとって予想だにしない勧誘だった。
『首都で巨大兵器を攻撃したのは、君だろう。同じ場所を短時間でピンポイントで狙撃するところを、私は遠くから、見ていたよ。それに今回の素早い照準も、見事だった。どうだ、その万に一つの才能を、私の部隊で活かしてみる気はないか……?』
「何で、そんなことを言い出す。お前の部隊にも優秀なスナイパーはいるだろう。俺らはそいつを一番警戒しながらここまでたどり着いたんだからな」
今回の作戦で最も警戒するべき対象を挙げ、レイフォードは反論する。だが、副長はため息の後、こう返した。
『残念ながら、今の彼女は傷の部隊ではない。ヴィランの虜に、なってしまったからね。兵士の身でありながら愛を嘯くなど、あってはならないことだ。だからこそ、私たちには彼女に匹敵する腕を持ったスナイパーが必要なのだよ』
「……ああ、そうかい。そこまで褒めてくれるのは嬉しいこった。だが、あいにくと一足遅かったな」
レイフォードのその言葉に、「どういうことだ」と副長は首をかしげる。
「俺の利き腕と効き目はついさっき、傷の部隊の爆弾魔のせいで吹き飛んじまったところだよ。狙撃手が欲しけりゃ他を当たりな」
『何だと……ッ!?』
スカウトを断られてか、それとも天賦の才能が失われたことを嘆いてかは知らないが、インカムの向こう側から驚愕する副長の声が聞こえた。その声色に気分をよくしたらしく、レイフォードはさらに心の中で失った右手の中指を立てながら追撃を加える。
「それにな、俺にはもう先約が入ってるんだ。てめえは兵士は人を愛しちゃならねえって言ったが、それは違う。こちとら六年も前からずっと年上の女性に片思い続けて、この作戦終わったら告ってやるって決めてこんな目にあってんだ。童貞を舐めるなクソ傭兵ッ!」
言ってやった。思いの丈をぶつけ、その上で論破してやった。改めて考えると顔が真っ赤になるような恥ずかしい台詞だったが、どうでもいい。「俺はお前のものにはならない」とはっきり言ってやったのが気持ちよかった。
だが、インカムから聞こえてきたのは、副長の笑い声だ。
『はっはっは……そうか、どうやら私もヤキが回ったようだ。仕方がない、優秀な隊員はヴァルハラで探すことにしよう……』
「……おい?」
『最期に君に出逢えて、よかったよ……さよな――』
それを言い終える前に、副長は事切れた。いったい、彼は何の目的があってわざわざレイフォードに語りかけてきたのか。それは、今となっては闇の中。文字通り墓まで持っていってしまわれては、詮索のしようがなかった。
そして、話し相手がいなくなったことで、レイフォードも集中力を持続させる術を失い、やがて朦朧とする意識の中、瞼を閉じた。




