63.Healing wounds
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ジャンクションでの戦闘から一夜明け、改めてフローライトの機体調査が開始された。
その主な目的は無論、慣性制御拡張プログラムの実態調査だ。
慣性制御装置はスヴァローグ・クリスタルが運動エネルギーを熱エネルギーに変換するフィールドを発生させる特殊性に着目した機構だ。だが、その逆……慣性制御フィールドを用いて熱を運動エネルギーへ変換する研究は、数十年前から行われてきたものの、成果を挙げられずにいることで有名だった。
しかし、それがすでに実用化段階にあったことに、シオンの報告書を見た面々は驚きの声をあげていた。
この機構は、稼働時に大量の電力を消費しなければならず、手持ち武器にその効果を付与できないという欠点こそあるが、至近距離での格闘戦では確かに有用な攻撃手段となりえた。
加えて、熱をそのまま推進力に変換できるとなれば、推進器の歴史にも大きな転換期が訪れかねない。
これを量産できれば、今後の紛争の鎮圧もどれだけ楽になるか。
そう考えると、調査スタッフたちも本気で取りかからなければならないと腕を鳴らす。
そうして、解析開始から二時間が経過したが、解析作業は遅々として進む様子を見せなかった。
プログラムそのものに強力なプロテクトが幾重にも重ねがけされ、さらにプログラムそのものがブラックボックス化されてどこに存在するかも理解らないからだ。
「駄目ですね、せめてプロテクトが外れた時の状況さえ理解れば……」
さじを投げ出すスタッフたち。シオンは、その様子をキャットウォークから眺めていたが、いい加減退屈してきた様子だった。
このままでは、フローライトはネジの一本まで分解され解析され、いざというときに動けなくなってしまう。
「全く、あの人たちは拡張プログラムが機体中枢に組み込まれていると思い込んでいるのがダメなんですよ」
そう言って、トウガが記録媒体を片手にシオンの隣に立つ。彼の目の下には、明らかに寝てないと言いたげにクマがその存在を誇示していた。
「どういうこと?」
「件のプログラム、アレは機体を構成する部品の動作ソフトに細分化されて秘匿されているんです。だから、拡張プログラムそのものは機体の中枢部には存在しない」
強襲機動骨格を構成する膨大な駆動部品を制御するためのシステムは、全身に分散されて配置されている。機体全体のコントロールを担うのは中枢OSが担っているが、部品の摩耗・損傷を判断し、適切な駆動状況を生み出すのは末端神経となるそれら分散されたシステムが担っている。
そして、その構造を使って慣性制御拡張プログラムが秘匿されているのだと、トウガは語る。
「じゃあ、フローライトはフローライトを構成するオリジナルの部品でないと、あれを使えないってこと?」
トウガの言葉に首を傾げながら、シオンは質問を重ね、トウガもそれに逐次応えていく。
「いえ、部品側のソフトウェアはタルボシュⅡと生産ラインを共有してますから、予備パーツに交換しても拡張プログラムは問題なく機能するでしょう」
その言葉に、シオンは少し安堵した。トウガとの会話の中で湧き上がった、ヴィランのクロウ・クルワッハへの対抗策が無くなったらどうしようかという不安が払拭されたからだ。
そのシオンの様子を尻目に、トウガは話を続ける。
「拡張プログラムはそういった秘匿ファイルを統合した上で初めて成り立つようですね。つまり、調査のために機体をバラしてしまえば綺麗さっぱり消えてなくなる」
手の込んだ仕掛けをしたものだ、とシオンは思う。
「それで、タルボシュⅡとフローライトの差異部分に秘匿ファイルを可視化・統合して一個のプログラム……この場合は拡張プログラムに仕立て上げるモノが備わっていると睨んだんですけど」
トウガはそう言って、手にした記録媒体に視線を移す。これまでの会話の内容から、そこに入っているモノが何なのか、シオンはすぐに察することができた。
「結果は、ビンゴだったの?」
「まあ、一応は」
トウガの眠たそうな顔をしているのを見るに、調査スタッフが来る前に徹夜で調べ上げた、といったところだろう。
そして、彼がそのデータを取り出しシオンに話したということは、トウガがフローライトに「何か」をしようという証拠に他ならない。
だが、その前に睡眠を取るようシオンはトウガに勧め、トウガもそれを了承した。
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「お帰りなさい、ラフ」
「ええ、戻りましたよ……プロフェッサー」
しかめ面のヴィランを出迎え、プロフェッサーは憔悴しきったかのような彼の心中を察した。仕方のないことだ。何せプロフェッサーもまた、彼と同じ敗北感を味わっている。もっとも、プロフェッサーの場合は技術者として、ヴィランは戦士としての敗北であり、その認識に隔たりはあるが……。
「ともかく、クロウ・クルワッハの修理と、あの機体の攻撃への対抗策を考えておいてください」
「理解りました、早急に……」
その言葉とともに、プロフェッサーは駐機されている機体の様子を確認するべく建物の外へ向かった。
クロウ・クルワッハの右腕を見ると、装甲が綺麗さっぱりと弾け飛んでいる。
早速、装甲を繋ぎ止めていた接続部を確認すると、まるで無理やり装甲を引きちぎったかのようにジョイントがひしゃげていた。装甲の予備は十分にあるものの、それを機体に取り付けるためにはフレームのジョイントを直す必要がある。
「これは……時間がかかりますがよろしいですか?」
ヴィランに確認を取り、首を縦に振る彼の様子を認めると、プロフェッサーは早速ダメージの調査を開始した。
プロフェッサーは戦闘データと照らし合わせ、クロウ・クルワッハの右腕のダメージは慣性制御装置が何らかの方法で運動エネルギーを発生させたためであろうと踏んでいた。
「……まさかホタルがそこまでの物を作り上げていたとは」
死してなお予想を上回る好敵手の才能に、プロフェッサーは拳を固く握りしめる。
正直、これを無力化する技術をプロフェッサーは持ち合わせていない。どのようにしてあの攻撃が繰り出されるのか、対抗策を講じるための情報がそもそも不足しているのだ。
せめてもう一度か二度、交戦するチャンスがあればと思うが、それではクロウ・クルワッハの強大さを曇らせてしまう。絶対的な強者の象徴として作り上げたクロウ・クルワッハの前に現れた唯一の天敵の存在。そして、それを覆すことができない自らの不甲斐なさを示すかのように、プロフェッサーの拳から血が滴り落ちた。
「あれももう、駄目ですか」
そんなプロフェッサーの後ろ姿を見ながら、ヴィランは嘆く。同盟指折りの技術者として名を馳せていた彼を取り込んで、確かにヴィランの計画は大きく躍進した。
だが、プロフェッサーは自身の能力に限界があることを認知していなかった。だからこそ、そこに付け入って自分の手駒にできたという一面もあるとは言え、それが枷になってしまっている感は否めない。
他国の最新技術も導入させたが、有効活用できたかと言えばやや怪しい部分もある。
「やはり、あの時に娘ごと取り込んでしまえばよかったかもしれません」
後悔。ヴィランは自分を快楽主義者だと捉えていたが、いざ現実的な問題に直面させられると、自分も頭を回さなければならないものだと実感させられる。
とは言え、少し遊びすぎた。今は身体を休ませることを、ヴィランは優先せざるをえなかった。