62.Extension
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フローライトを後退させつつ、マシンガンでクロウ・クルワッハを牽制するシオン。だが、ヴィランはそれを物ともせずにシオンに向けて突撃を仕掛けてきた。防御を慣性制御フィールドで賄っているからこそできる無茶な行動だ。
クロウ・クルワッハの頭部チェーンガンから弾丸が吐き出され、フローライトの装甲をなめる。
即座にシルヴィアが間に割って入り援護を開始するが、ヴィランは彼女のことなど眼中にないと言わんばかりに軽くあしらい、しつこくシオンにブレードを向けてくる。シオンはそれをナイフでいなそうとするが、ブレードの突起に刃を絡め取られ、ナイフを奪われてしまう。
「しまった!」
シオンが焦る。
さらに、彼女はヴィランとの攻防を繰り返す内にフローライトの慣性制御装置が熱量限界に達しつつあることに気付かされる。
フローライトは、タルボシュⅡと比べて積極的に慣性制御を用いる機体なだけに、運動エネルギーを熱に変換する頻度が他の機体よりも高い。胸部や肩部など、機体各部に冷却用のエアインテークが配されているのが何よりの証拠だ。
機体を動かしすぎたかと後悔するが、それを見逃してくれるほど、ヴィランは生易しい相手ではない。
何とかして、機体を冷やさなければ。しかし、通常冷却では限界がある。
「くそっ、何とかして現状を打破できれば……」
そう思った時、ディスプレイに「慣性制御拡張プログラム」の文字が表示されているのを見つける。
このような表情さっきまであったか、と思いディスプレイをなぞった矢先、プログラムが突如として起動を始めた。
機体各部の装甲が開放され、内部構造が露出する。肩、膝、そして頭。特に頭のそれは、まるで牙を剥く兔を思わせる形相を作り上げていた。
「フローライトが……」
シオンは機体の変容に驚きの様子を隠せなかった。だが、さらにディスプレイに表示された一文に、驚愕が重ねがけされる。
「機体に蓄えられた熱を……運動エネルギーに変換可能?」
まるで運動エネルギーを熱に変換する慣性制御装置とは真逆の性質。否、拡張プログラムということは、これは予め装置に組み込まれていたシステムなのだろうか。
何がなんだか理解らないが、やってやるしかない。シオンはそう思いながら、変容したフローライトの操縦桿を握り直した。
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「何ですか、いきなり」
ヴィランは、眼前の機体が姿を変えたことに驚き、様子を見るべく一度距離を取る。各部の装甲が跳ね上がり、内部機構を露出させたその姿は、ヒートシンクを露出させて強制冷却を行っているようにも見えたが、何かがおかしい。
様子を見るべきか、とヴィランはランチャーを構え、変容したフローライトに向けて銃爪を引いた。
放たれた弾頭が、フローライトに向けて飛んでいく。だが、フローライトはそれを回避すると、一瞬のうちにヴィランの背後に回っていた。
「なん……!?」
何ということでしょう。気が付いたら、そう言い終わるよりも機体を振り向かせて敵を迎撃することに神経を注いでいた。
一瞬にしてこれまでの推定スペックを凌駕する加速力を見せた赤い機体に、恐怖を覚えた。あまりの出来事に、戦闘支援AIも理解不能の表示を示す。
これまで本気を出していなかったのか。否、この加速性質はブースターの出力リミッターを解除したとか、そういうレベルではない。
それに、あの娘は常に必死だった。あえて余力を残したり、本気を隠すといった小細工ができるような性質ではない。だからこそ、ヴィランも惹かれるものを感じていた。しかし目の前のこれは何かが違う。
焦りがヴィランを支配する。
フローライトの左腕が、クロウ・クルワッハの右腕に触れた。途端、クロウ・クルワッハの装甲が激しく振動し、幾重にも及ぶ物理的ロックでフレームに留められていた漆黒の鎧は、まるでサイズの合わない服を無理に着た時のように吹き飛んだ。
「……ッ!!」
未知の恐怖に、ヴィランは後ずさる。そして、無意識のうちに自らが後退していたことに、さらなる恐怖を抱いた。
戦争を楽しんでいるはずの自分が、恐怖で敵から距離を置こうとした「事実」が、怖いのだ。
「そんなこと、ある訳がない……ッ!」
そう自分に言い聞かせながら、ヴィランは崩れた眼鏡を鼻の上に乗せる。そして無理やり笑顔を取り繕い、冷静さを取り戻す。
どのようにしてクロウ・クルワッハの右腕が弾け飛んだのか、その原理を解明しない限り、フローライトは倒せない。
それに、敵は眼前のフローライト以外にも存在する。このジャンクションにも、他にどのような罠が仕掛けられているかという不安要素もある。
周囲からの集中砲火がヴィランを追い立て、それを避けた先にフローライトが迫る。
フレームの剥き出しとなった右腕を庇いつつ、ヴィランはその追撃を退ける。だが、このままではジリ貧かつ泥仕合になりかねない。
ここは一旦引くべきだろうと考えを纏めると、ヴィランは機体を飛翔させ、ミサイルの追撃を避けつつその場を後にした。
「勝負は一時預けますよ……お嬢さん!」
去り際の一言。それは、ヴィランという男にとって屈辱的な捨て台詞となった。
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捨て台詞とともに山の北側へと逃げ飛んだヴィランを見て、シオンは胸をなでおろし、コクピットシートに身体を預けた。
機体は既に動力が落ちて動かない。どうやら、先程の機能は、べらぼうに電力を消費してしまうらしい。
それと同時に、先程の慣性制御拡張プログラムを用いた攻撃に、恐ろしい物を感じていた。機体に添付された熱を消費し、触れた敵の装甲に運動エネルギーを与えて吹き飛ばす。咄嗟に考えついたとはいえ、その存在は既存の兵器の防御機能を根底から覆しかねない。
こんな恐ろしいものを自分の義姉は作り上げていたのかと思い、それと同時にシオンはホタル・ウェステンラという研究者がその胸中に何を思っていたのか、それを察することができたように思った。
恐怖。拡張プログラムに幾重にもプロテクトをかけ、ブラックボックス化していたことを考えると、恐らくこの威力に恐怖を抱いていたのではないか。
『ちょっとシオン、何さ今の!』
レンからの通信。
フローライトに隠されていた機能に驚いたのは、シオンだけではなかった。この場にいる全員が、その力に興味津々といった様子だ。
「私にも、何がなんだか」
とりあえず、今のシオンに言えるのは、それが精一杯だった。
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「終わったようですね……」
アネット少佐はヴィランが戦域から離脱したのを認めると両腕を差し出し、ウー大佐に抵抗の意思がないことを示す。ウー大佐も、それに応じて彼女に手錠をかけた。
「ヴィランと内通していた君なら、他の協力者についても何か情報を掴んでいるのではないか?」
ふと、大佐が口ずさむ。このような状況でも情報を得ようとするのは、職業病みたいなものかと心の内で自嘲する。
アネット少佐はヴィランの去った空を見上げ、暫く思案すると、改めてウー大佐の目を見て言葉を紡ぐ。
「過去の第三世代強襲機動骨格開発計画の中心人物が、抱き込まれています」
「その、中心人物とは?」
ウー大佐の追求に、アネット少佐は一度下を向くが、自身の贖罪になればと決意したのか、ヴィランの協力者の名前をウー大佐に耳打ちした。
「馬鹿な。彼が生きている、と?」
他者に聞こえない、小さな声。だが、それはウー大佐の動揺を誘うには十分なエネルギーを備えていた。
「ええ、向こうではプロフェッサーのコードネームで呼ばれているようです」
「……その話、詳しく聞かせてもらうよ」
そう言って、ウー大佐はアネット少佐の背中を押した。