61.Guess
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『お嬢さん、そういえばまだお名前を伺っていませんでしたね!』
ジャンクションに併設された駐車場で鍔迫り合いを演じている最中、ヴィランは突如としてシオンに名前を聞く。だが、対するシオンはどこにそのような余裕があるのかと思いつつ、彼の言葉を敢えて無視した。
ここで「お前に名乗る名前は無いッ!」と断じても良かったが、そんなことをして敵の話術に嵌まるのも癪だ。あえてここは無口を貫くのが正解だろう、と彼女は判断する。
言葉は不要。それはある意味では戦いの真理なのかもしれないと、シオンは思った。
『ハハハ、黙んまりとは、つれないお嬢さんだ!』
言っていろ、と心の中でつぶきながら、シオンはクロウ・クルワッハの刃を押し返し、一旦距離を取る。
シオンがヴィランの間合いから離れた途端レイフォードの火力支援が再開され、再びヴィランはそれを回避するべく機体を左右に激しく切り返す。
紙一重でミサイルを回避しながら再びフローライトに迫るクロウ・クルワッハ。そのブレードの切っ先がフローライトの頭部をかすめ、頬に小さな傷を作る。
やはり、この男は異常だ。シオンは胸の中でヴィランに対する疑問を益々大きくしていく。
砲火の中をくぐり抜ける胆力もそうだが、それを的確に見極める状況把握能力は、人間の物とは思えない。何か機械的なサポートがあって初めて実現するものだ。そう、例えば人工知能。
人間を越えた認識力と判断能力を備えたそれを戦術サポートに活用しているのならば、ヴィランの戦闘時の大胆さにも頷ける。
だが、その性能は一般的に強襲機動骨格に用いられているサポートAIとは、明らかに一線を画している。高スペックの物を搭載するにしても、それを稼働させるためのエネルギーリソースがどこから賄われているかも不明なままだ。
考えているうちに、再びクロウ・クルワッハがフローライトの懐に迫り、鍔迫り合いに持ち込まれる。
「この……!」
シオンはすぐにそれを押し返そうとするが、その腕の力は強く、押し止めることもままならない。
なんて出力だと奥歯を噛みしめると同時に、シオンはまたしても違和感を感じた。目の前の機体は、高スペックのサポートAIの搭載と、機体の高出力を同時に実現させているのだ。
これだけの性能の機体を作り出すために、クォーツから得た慣性制御装置以外の最新技術も導入されていることだろう。
ヴィランが目をつけて強奪してきた技術を集約した技術体系の頂点。それがこのクロウ・クルワッハなのだと、シオンは肌で感じ取った。
そして、この機体がスヴァローグ・ドライヴを二基搭載した機体だということも、彼女は察した。
考えてみれば簡単なことだ。潤沢なエネルギーリソースを使いたければ、動力源を増やせばいい。戦争に「強襲機動骨格の動力源は一つでなければならない」というルールはどこにも存在しない。だからこそ、ヴィランはこの漆黒の翼を力強く羽撃かせることができるのだ。
「予想以上に、手強い……ッ!」
『シオン、アレを使うわ。そこから今すぐ退避しなさい!』
シルヴィアの半ば怒鳴り声に近い指示とともに、シオンはフローライトを後退させる。それを逃すまいとフローライトを追撃するクロウ・クルワッハだったが、フローライトの退避と同時に放たれた砲台からの攻撃が、黒い強襲機動骨格をその場に縫い付ける。
次の瞬間、シオンとヴィランが鍔迫り合いを演じていた駐車場が爆発とともに崩れ去り、土煙を上げながら崩壊した。
シルヴィアが事前に仕掛けておいたトラップを作動させたのだ。このジャンクション一帯は、ヴィランを追い詰めるためのトラップエリアと化している。レイフォードがコントロールしている無人砲台などはその一端に過ぎない。
『よしッ!』
レンの歓喜の声が聞こえる。だが、シオンは土煙の向こう側へ銃を向けたまま、緊張を解かない。
シオンは、ヴィランとクロウ・クルワッハがこのまま終わってくれるような相手だと毛ほども思っていなかった。むしろ、あの男の目的を知ったからこそ、こういったトラップは逆に危険なのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
次の瞬間、煙の中からクロウ・クルワッハが飛び出す。やはりかと舌打ちしながら、シオンは即座に銃爪に指をかけた。
○
「クロウ・クルワッハ、良い仕上がりになって何よりだ」
リアルタイムで次々と送られてくるデータに目を走らせながら、プロフェッサーは満足げな笑みを浮かべた。
クロウ・クルワッハはプロフェッサーがこれまで培ってきたノウハウに、ヴィランが世界中から蒐集した技術をつぎ込んで完成させた、彼にとって最高傑作と呼べる機体だ。
機体の頭部に備えられた悪魔の角を思わせるアンテナも、機体の得たデータを淀みなくプロフェッサーの元に届けるために機能している。
プロフェッサー個人としては彼のオリジナル技術のみで組み上げた機体を至高の機体としたかったのだが、個人の才にはどうしても限界がある。そこで、彼の研究してきた技術を起点として、それを補う方向で別方面の技術を取り入れてきた。その結果、現時点で完調状態のこの機体に勝てる兵器は存在しないと、プロフェッサーも自負できるほどのモンスターマシンが生み出された。
プロフェッサーにとって、ヴコドラクもカスチェイも、果てはルサウカすらも、この機体を生み出すための「前座」に過ぎない。
「ホタル、君の理論のみで組み上げられた機体が、私の最高傑作に勝てるかな?」
プロフェッサーは机に伏せられた写真立てに視線を移すと、既にこの世にいない女性の名前を口ずさみ、不気味な笑みを浮かべる。
再びモニターに顔を向け、表示を切り替えると、そこにはクロウ・クルワッハと激しい攻防を繰り返す兎耳の機体の姿。プロフェッサーは、モニターに映る機体がホタル・ウェステンラの置き土産であるということを即座に見抜いていた。
外見から得られる技術的な特徴も、機体挙動から得られるスペックの推定値も、開発段階に見たデータとほとんど同じだ。
「ふふん、死者の作り上げた機体など、いくら優れたものであろうと所詮は過去の産物ということか。なにせ、生者は死者を乗り越える力を持っているものなのだから」
そう言ってプロフェッサーはクロウ・クルワッハと赤い兎耳のスペックを見比べる。出力は二倍、運動性能や推進力などは三倍以上の開きがあった。その数値を見て、プロフェッサーはホタル・ウェステンラなど何するものぞ、と息巻く。
場数を踏んだ研究者にとって、数字とは嘘をつかない絶対的なものだ。だからこそ、覆すことのできない数値は自信の根拠になり得た。
「さあ、その機体を血に染めてください、ラフッ!」
プロフェッサーが感情を剥き出しにして叫ぶ。それがヴィランの耳に届いているわけではないのだが、ヴィランはプロフェッサーの意図を汲み取っているかのように刻一刻と兎耳の機体を追い詰めていく。最高の機体と最高のパイロットの組み合わせは、戦略兵器にも匹敵する至上の存在なのだとプロフェッサーは実感する。
しかし、彼は忘れていた。赤い兎耳の機体……フローライトのスペックが、挙動から概算された「推定値」でしかないということを。そして、その赤い装甲の下には、搭乗者すらも把握していない機能が隠されているということを。