58.War and economy
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レクスンの死と、ヴィランの逃亡。その衝撃的なニュースを耳にしてなお、アイビス小隊はドルネクロネの地を離れることができなかった。
その最大の理由は、各地で襲撃を繰り返す正統ドルネクロネへの対応に追われているからに他ならないが、シオンたちはこれもヴィランの仕掛けた策略の一つだと知る由もない。
そして、ヴィランの行方もまた誰も知らないままだ。
「くそっ、こうしている間にも奴が別のどこかでほくそ笑んでるかもしれないってのに!」
シオンは愚痴をこぼしながら、ヘルムの攻撃を掻い潜りナイフの切っ先を敵機の胸部に突き立てた。勢いに任せて敵機を押し倒すと、また次の敵へ向かう。
アイビス小隊は、輸送部隊の護衛中に現れた敵部隊との戦闘の真っ只中にあった。
敵部隊がドルネクロネ全域に分散し、いつ来るともしれない奇襲攻撃が、同盟軍部隊の精神をじわじわと削っていく。
戦争で重要となるのは、戦闘行為そのものではなくそれを支える「輸送」だ。
航空艦や輸送機などの航空戦力を多数保有する同盟軍であれば、空路からの物資輸送も容易に可能だが、長距離移動ならいざしらず、短距離移動の場合は陸路の方が手間もなく、圧倒的に経済的だ。その反面、基地・都市間の移動中を襲撃されやすいというリスクも孕んでおり、これを護衛する目的でドルネクロネ国内における民間軍事会社需要も増加傾向にあった。
シルヴィアの話では、アイビス小隊以外のエクイテスの部隊もまた、このドルネクロネで同盟軍輸送部隊の護衛任務を担っているという。
だが、シオンの関心はヴィランの動向にのみ向けられており、それ以外は最早おまけ程度にしか思えなかった。
『落ち着いた方がいいよ、シオン。とりあえずこれが終われば本社に戻ってしばらく休めるんだから、さ?』
敵部隊を無力化しおえると、通信機の向こうからシオンをたしなめるレンの声が聞こえてくる。
だが、現在ドルネクロネ近傍に位置するエクイテス・フロートは、同盟軍との契約により半ば中継基地として機能している。果たしてそのような状況で「休める」と言えるのか、シオンにとって眉唾だった。
そう考えているうちに、周囲を索敵していたレンが、敵の別働隊の存在を感知した。
『敵増援確認。数は四機』
「了解、一気に蹴散らすよ」
レンの援護射撃を得ながら、シオンは新たに姿を現した敵部隊をターゲットサイトに捉えた。
マシンガンで敵の動きを牽制し、ナイフで確実にとどめを刺す。今までやってきたことの積み重ね。気づけばシオンのその動きは、極めて洗練されたものへと変貌を遂げていた。
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「ご苦労。ここ数日は激務続きだっただろう」
太陽が西に沈み始めた頃。
戦闘を終え、基地に帰還したシオンたちに労いの言葉を送ったのは、エクイテスの社長、ヴァネッサだった。
「社長、どうしてドルネクロネに?」
「組織トップが最前線に赴き、部下を労うのに理由はいるかな?」
フローライトから降りたシオンの言葉に、ヴァネッサは涼しい顔をしてそう返す。彼女の堂々とした態度に、シオンも意見を引っ込めるしかなかった。
実際のところ、ここ最近の書類仕事に退屈して逃げ出してきたというのが本音だろう。
それに、この戦場にはエクイテスも多額の出資をしている。そこに誠意を見せるのもまた社長の仕事だと言って現場視察を強行したのだ。
「それで、それが噂の新型機か」
「はい、フローライト……義姉の名前を頂いた機体です」
ヴァネッサはシオンの後ろで片膝をつく形で駐機しているフローライトに目をやる。その表情は、いかにも値踏みをしているといった面持ちだ。
「なるほどな。整備も行き届いているらしい、ここの整備スタッフも中々の腕利き揃いと見える。まとめてエクイテスに雇い入れたいくらいだよ」
メカニックへの評価。たしかに、あれだけの機体をいじり倒せる辺りトウガは腕利きなのだろう、とシオンは考えた。
「まあ、この子はほとんとトウガ軍曹が調子を見ているんですけど、ね」
そう言って、シオンはフローライトの脚に手を触れる。厚手のグローブ越しに、装甲板の熱が伝わってくる。
「ん? トウガだと?」
感慨にふけるシオンに対し、ヴァネッサは聞き覚えのある名前に顔をしかめた。
「はい、トウガ・ヴァーミリオン軍曹。次世代試験部隊でメカニックをしてた人で……って、あれ、ヴァーミリオン?」
トウガのフルネームを口にして、ふと気がついた。
「ああ、私の弟だよ」
「えぇー!」
整備機械がけたたましい音を発する喧騒の中に、少女の気の抜けた声が木霊した。
シオンの緊張の糸が解けた。その様子を影から覗いていたレンは、少し安堵したような表情を誰にも知れぬように顔に出した。
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夜。
ハンドリンク島の森林地帯に、ヴィラン一派は身を潜めていた。
隆起して半世紀の時が経過したその島には似つかわしくない、ジャングルと形容できるほどの深い森。そこは遺伝子操作技術によって成長速度を意図的に早められた木々を寄り集めた、人口の密林だ。
失われた密林地帯に代わる酸素生産工場としての機能を期待して企図されたそれは、当初の目的通りほぼ岩だけだった大地に青々とした木々を生い茂らせた。
だが、鬱蒼と生い茂る木々も、今はヴィラン一派の隠れ蓑として使われている。
森林地帯の一角に、簡易居住コンテナを敷設し、一行はそこを活動の拠点としていた。
「それで、今後の活動方針は?」
「戦争の継続。それ以外に何があると」
副長の言葉に、ヴィランは即答する。だが、副長は正統ドルネクロネをレクスン一派を殺害した上で飛び出てきた自分たちが、これ以上この戦場に介入するのは利が少ないと主張する。
「……ヴィラン、我々は正統ドルネクロネ側からも追われる身だぞ。今は末端の兵士にまで情報は行き渡っていないが、いずれ全軍が我々に向けて牙を剥く可能性も捨てきれない」
「そうでしょうか。向こうが敵対するようなら、蹴散らしてあげればいいんですよ」
ヴィランの返事に、副長は頭を抱える。この男を異常者だと最初から認識していたが、ここまで頭のネジが外れている人間だとは思いもよらなかった。
戦闘狂。つまり戦うことしか頭にない。同盟軍を挑発し、正統ドルネクロネをでっちあげ、傷の部隊を雇い、クロウ・クルワッハを作り、第二次ドルネクロネ紛争を演出してみせたのも、「自分が戦いたいから」に他ならなかった。
その狂気にあてられたのか、サイゾーとボムはヴィランに付き従う様子を見せている。二人とも、元から自身の技術を活かせれば勢力という枠組みは関係ないというスタンスの持ち主なだけあり、部隊を預かる身でもあった副長は立場的にも孤立しつつあった。
いっそのこと、部下二人を押し付けて逃げ出したいと考えるほどに、彼は追い込まれている。だが、彼の作り出した戦場が金を生み出しているのもまた事実だ。
「なあ、ヴィラン。私も、お前にとってつまらない人間なのか?」
ふと、副長はヴィランに質問を投げかけた。
それは、自分の命を投げ売ってきた傭兵として恥ずべき、命乞いとも呼べるものだ。その顔は、まるで苦虫を噛み潰したかのような苦痛に満ちた表情を見せていた。
「いえ、私はあなたを高く評価していますよ?」
だが、ヴィランから返ってきた答えは、彼の予想に反していたものだった。
「だいたい、ボムもサイゾーも、一筋縄でいかない癖者です。それをまとめあげる裁量を持つあなたを、切って捨てたらそれこそ私が無能に成り果てますよ」
「そうか、ありがたいよ」
ヴィランの言葉に副長は安堵する。
その表情は、胸のつかえが取れたように爽やかだった。