56.betrayal
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フローライトの慣熟訓練を終えると、シオンは機体を格納庫に戻した。
ハンガーに機体を固定し、コクピットを開放して外の空気に触れる。機械油の臭いが、少女の鼻孔を刺激する。視線をキャットウォークに移すと、エイブラハムが右手を振る姿があった。
「どうだった、と聞くのは野暮だったかな?」
シオンの満足そうな表情を見て、エイブラハムはそうつぶやく。
「でも、よかったの? この機体って、そもそも情報部の管轄にあるんじゃ……」
コクピットを降り、エイブラハムと対面したシオンは彼にそう告げるが、その言葉を全て口にする前に、人差し指を唇に当ててきた。
「そういうのは話を付けてある、安心しておけ」
「返せって言っても、返さないよ?」
「そのつもりで預けるんだよ、どの道、ドルネクロネでの戦いもそう長くは続かない」
そう言って、エイブラハムはシオンの額を小突く。ささやかな痛みがシオンの額に広がるが、彼女はそれよりもエイブラハムの言葉の方に気を取られていた。
ドルネクロネでの戦いはそう長くはない。それがどういうことなのか不安に駆られ、思わずエイブラハムにその理由を聞く。
「それって、どういうこと?」
「ああ、ヴィランはそろそろドルネクロネに見切りをつけるだろうってことさ」
エイブラハムはそっけない態度で返すが、シオンはなぜそのような結果に至るのか理解できずに首を傾げた。
「ま、これまでに得た情報から導き出した結論だな。あいつは自分の思い通りに進まなくなった戦場を切り捨てて、別の所で戦争の火種を育てるのさ」
「そんな身勝手って、ある?」
ヴィランの行動原理を説明するエイブラハムに、シオンは怒りを顕にする。
「統計がその身勝手を裏付けてるんだ。こっちの常識がまるで通用しない、そんなヤツだよ、あの男は」
そう言って、エイブラハムはシオンに背を向ける。表情は見えなくとも、声が震え、鉄の拳が強く握られる。それだけで、シオンの眼前に立つ男がどれだけ腸が煮えくり返る想いをしているのか、推し量ることができた。
シオンは、そんな彼の背中にそっと身を重ねた。
「……シオン?」
「しばらく、このままで居させて」
「バカ言うな」
エイブラハムはすぐにシオンを引き剥がし、顔を合わせて彼女をたしなめる。彼女の瞳からは、一筋の涙が流れていた。
彼女は、エイブラハムのために泣いていた。
「馬鹿だな。こんなダメな男のために涙を流すんじゃないよ」
「泣きたくもなるよ。だって、ウィル兄は一人で何でも背負って、そんなボロボロになって」
溜め込んでいた感情が、ここに来て涙とともに一気に溢れ出す。義姉への愛情を今も変わらず抱き続けている人に、これ以上復讐という道を進ませたくはない。
「……だから、ヴィランは私が倒すよ」
宿敵を打倒する宣言。それは同時に、憧れの人に対するささやかな宣戦布告でもあった。
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正統ドルネクロネの本拠たるトゥール市。厳戒態勢が敷かれ、強襲機動骨格が警備任務のために市内を闊歩する中で、突如として市庁舎の一区画で爆発が起こる。
辺りが騒然とする中、護衛の兵士の肩に担がれながら、レクスンが煙の中から現れる。
「どうしました、大佐!」
「ヴィラン・イーヴル・ラフだ……奴が謀反を起こした!」
「馬鹿な……!」
レクスンは駆け寄ってきた衛兵に、怒りのままに怒鳴りつける。
これまで自身の右腕と思っていた男が、唐突に牙を剥いた。信じられないことだが、レクスンはこの現実を受け入れねばならなかった。
アイから渡された小箱に、爆発物が仕掛けられていた。それに添えられていた公用便箋に書かれた直筆のメッセージに不吉なものを感じ取り、箱を捨てようとした途端にこの有様だ。
衛兵はレクスンの言葉に半信半疑であったが、しかしそこに飛来したクロウ・クルワッハの存在により、疑惑はまたたく間に確信へと変貌を遂げた。
ヴィランの乗る強襲機動骨格の姿に、衛兵は思わず腰がすくむ。
『どうしました、レクスン大佐?』
「ヴィラン……ッ!」
『何か爆発が起きたようですが、お怪我の方は』
「白々しいぞ、お前がこの騒ぎを仕組んでおいて……ッ!」
何のつもりだ、と怒りの声を上げようとした途端、レクスンの周囲を固める兵士たちが頭から血を流し次々と倒れていく。
狙撃。レクスンは動かぬ足の代わりに護衛の兵士に命じ、物陰に隠れる。
『聞きたいことなら、理解っていますよ。何故こんなことをしたのか、でしょう?』
ヴィランは機体を着地させて語りだす。
『端的に言ってしまうと、あなたはもう、用済みなんですよ。搾取できるものが何もなくなった。富も、技術も、人脈も、全てね』
ヴィランの演説とともに、クロウ・クルワッハの双眼がレクスンの方へと向く。瞬間、轟音とともにレクスンが身を潜めていたバリケードに無数の穴が穿たれた。クロウ・クルワッハの大仰な角の根本に備えられたチェーンガンが、火を吹いたのだ。
「き、気でも狂れたかッ!!」
『いいえ、私は至って正気ですよ。ただ世間一般が私のことを異常者だと認識しているだけのこと』
再び市庁舎へ逃れたレクスンを、クロウ・クルワッハの視線が追う。その様はまるで見た者を尽く射抜く魔眼のよう。
『私はね、あなたの老い方に心底うんざりしているんですよ』
「老い……老い……だと?!」
そんな理由で生身の人間にこのような仕打ちをするのか、と更に怒りを強める。だが、その怒りがヴィランの言う「老い」の証左であることを、レクスン本人は自覚すらしていない。
市庁舎を突っ切って裏手から車に乗り、全速力でその場を後にする。
だが、レクスンにとってこれは「逃走」ではない。逆境を跳ね除けるため、反撃に転じるための一時的な後退にすぎない。
「車を港の二十五番倉庫へ向かわせろ」
「りょ、了解しました!」
ここまで付き合わせた護衛に運転を任せ、行き先を指定する。そこに現状を覆す起死回生の一手があるからだ。
港の倉庫街は、正統ドルネクロネ軍の兵器格納庫として接収されており、二十五番格納庫はその中でも特に大規模な兵器を収容していた。
ルサウカの予備パーツ類。
巨大な武装プラットフォームである頭部や、大型クローが専用ハンガーに収められ、ずらりと並ぶ姿はほれぼれとするが、レクスンはそれに見向きもせず、その奥にある機体に目をやった。
視線の先には、ルサウカのパーツを組み込んだ歪な機体の姿。しかし、それは膨大な数の武器を素体となるクドラクに取り付けただけの、およそ「機動する」ことを考えているようには思えない物だった。
ルサ・クドラクと名付けられたそれは、ルサウカの予備パーツを有効活用するという名目でレクスンが計画を主導していた拠点防衛用強襲機動骨格だ。
拡張された胸部コクピットに乗り込み、レクスンは機体を起動させる。この機体もまた、ルサウカと同じく三名の操縦者を必要としており、レクスンはここまで同道させた衛兵に、機体制御と火器管制を任せることにした。
倉庫の天井が砲撃によって崩れ去る中、ルサ・クドラクが立ち上がる。巨大なクローアームで瓦礫を跳ね除け、倉庫の外へと出た。
『ほう……それがあなたの玩具ですか。いいですね、気に入りましたよ』
「ヴィラン……お前は、今ここで消え去れィッ!!!」
レクスンの怒りの咆哮とともに、ルサ・クドラクの全武装が展開する。
クロウ・クルワッハは眼前の機体を敵と認識すると、手にしたランチャーを構え、砲火の中に向かって突進していった。




