55.Handing over
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ヴィランの部隊による基地襲撃から二日が過ぎた。
あれ以来、基地の中に張り詰めた空気は一向に緩む気配はなかった。各地に潜伏した敵部隊によって各地でゲリラ活動が活発化し、その戦火がドルネクロネ全土に広がったことも、この緊張が長く続いてしまっている要因の一つだった。
そんな空気の中、格納庫でフローライトの解析と整備を行っていたトウガの下に、エイブラハムが顔を出した。
「あ、大尉。もう身体は大丈夫なんですか?」
「まだ暫くは操縦桿は握れないがな。それよりその機体は使えそうか」
エイブラハムの問いかけに「少しお待ちを」と返し、トウガはコクピットに登り機体に接続したタブレット端末を操作する。機体のシステムチェックを行い問題が無いことを確認すると、フローライトの胸部から顔を出し、にこやかな表情で親指を立てた。
「OK、それじゃそいつをシオン用に調整しておいてやってくれ」
「え、大尉が乗らないんですか?」
意外な一言に驚き、トウガはコクピットから身を乗り出す。だが、エイブラハムは気に留める様子もなく手を振ってその場を後にする。
「言っただろ、暫く操縦桿は握れないって。なら使えるヤツに渡すのが一番だろ」
去り際のエイブラハムの一言に、トウガは不承不承ながらも納得せざるをえなかった。
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フローライトを任せる。エイブラハムのその一言に、シオンは思わず目を白黒させた。
いくら一度搭乗した経験があるからと言って、あのようなハイエンド機を自分のような若輩に任せて良いものなのか。レンやシルヴィアのような腕利きの方が、より機体性能を引き出せるのは目に見えているはずだ。
そのような考えが頭をよぎるが、エイブラハムから「俺の個人的な希望だよ」と言われると、断ることはできなかった。
トウガとともに機体の調整を進め、その後シオンはフローライトの慣熟訓練に望むべく機体のコクピットに収まった。
コクピットシートに座り、機体の起動シーケンスを開始。戦闘プログラムに異常がないかを確認する。ディスプレイのチェック項目がすべて緑になったのを確認すると、シオンは機体をハンガーから下ろし、ゆっくりと格納庫の外に向けて歩かせた。
フローライトの左肩には、もはやシオンのトレードマークとなって久しい、ナイフシースが取り付けられている。
シオンは武器ハンガーからマシンガンを取り出し、装備した。模擬弾が装填されているのを確認し、腰部のラックに銃を下げる。
『シオンさん、歩行動作には問題無いですね?』
トウガの質問に、シオンはフローライトの手を振って応える。手の動きを機体に伝える3Dスキャナーの方も、問題なく動作しているなとトウガはチェック項目にレ点を加えた。
シオンは先の戦闘でお釈迦にしてしまったシャッターを申し訳無さそうにくぐり、機体を格納庫の外に出した。
生憎の曇天。まるでこれから訪れる不吉な何かを予兆するような重い雲の下、シオンは機体を訓練場にまで歩かせた。この格納庫から訓練場までの道のりを歩かせるのもまた、軍事教練では慣熟訓練の一環だとされている。
「訓練場に到着。フローライトのメインシステムをテストモードに移行。模擬戦、開始します」
訓練場に到着すると、シオンは早速訓練場に展開されたドローンとの模擬戦に挑むべく、操縦桿を傾けた。
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使い古されながらも整備の行き届いたジープが、訓練場を見下ろす丘の上に停車していた。ハンドルを握るのはレン、そして助手席にはシルヴィアが座し、後部座席のレイフォードは座席から立ち上がり、双眼鏡でシオンの様子を観察している。
「シオンのヤツ、それなりにあの機体を動かせているようですよ」
「まあ、クォーツのときもそうだったけど、あの子は慣性制御装置の扱いに長けているようだしね。当然と言えば当然よ」
レイフォードの言葉に、シルヴィアはそう言って返す。確かに、シオンはニュー・サンディエゴでの戦闘でいきなりクォーツに乗って、その性能を引き出していた。
ダンピールで実戦に飛び出したときもそうだ。歪な機体でありながら、慣性制御だけは確実にこなしている。エイブラハムの話では、昔は義父の手伝いで第三世代機の研究開発を行っていた研究施設に出入りしていたこともあったらしく、シルヴィアはその関係で慣性制御の扱いを心得ているのではないか、と予想を立てていた。
「この部隊の中で、シオンとレンが特に慣性制御装置を使いこなしてる。フローライトはどちらかと言うと機動型だから、シオンが適任なのも頷けるわ」
「才能ってんですかね。俺にはない物を、あいつは持ってる。正直、悔しいですよ」
そう言って、レイフォードは双眼鏡を握る手に力を込める。ひよっ子だと思っていた新人が、いつの間にか自分より前を歩いている。彼は口では悔しがっていたが、同時に心の中ではそれが嬉しくもあった。
シオンの乗るフローライトが宙を舞い、ナイフの切っ先をドローンに突き立てる。そして、ドローンの機能停止を確認するまでもなく、すぐさま次の標的に目標を定めた。
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トゥール市に舞い戻ったヴィランは、早速レクスンに作戦の報告を行った。
強大な戦力であるルサウカと優秀な副官であったデリスを失ったことは、正統ドルネクロネにとって痛手であった。首都侵攻作戦としては大失敗もいいところだ。だが、その際に仕込んだセカンドプランは確実にこの国を蝕んでいる。
セカンドプラン……即ち、各地に戦力を分散させ、ゲリラ活動を行わせる。神出鬼没の攻撃は同盟軍部隊の疲弊を促し、そこに再編した本隊をぶつけることで大打撃を与えようというのだ。だが、そこには大きな問題があった。
「消耗戦に持ち込んでしまったのは、仕方が無いか。だが、これもデリスの授けた策だ。その意図は汲んでやらねばなるまい」
「ええ、そのとおりです」
薄暗い会議室。長い卓を挟み、レクスンとヴィランが対峙している。ヴィランはレクスンの言葉にただ頷くだけだったが、内心では彼の報告を額面通りに受け取るレクスンの様子が不快でならなかった。
レクスンはデリスの死を悼む様子だが、彼はデリスがどのような想いで戦場に向かったのかを知ることはなかった。無論、ヴィランもそれを知りながら敢えてレクスンに伝えなかったわけだが。
「ゲリラへの情報伝達手段も、すでに確立済みです。後は我々にお任せを」
「ああ、頼んだぞ……」
細く弱った腕を振るレクスンの姿を見届け、ヴィランは部屋を後にする。部屋から出ると、外で待機していたアイが駆け寄ってくる。
「大佐とは如何なる話を?」
「あの老人も用済みですね。処分を検討しなければ」
「よろしいので?」
「パトロンなら他にいくらでもいますよ。それに、彼は未だ自分の衰えを自覚していない。退場してもらうには、ちょうどいい機会かもしれません。お友達のほうにも連絡を入れておいてください」
他国からの承認も支援も受けていない正統ドルネクロネにとって、物資の調達が困難な長期的なゲリラ戦は悪手もいいところだ。
この作戦は、デリスが遺したドルネクロネとレクスンに対する「嫌がらせ」に他ならない。かつての彼であればそれを見極めることもできただろうが、それを読むことすらできない今のレクスンに、ヴィランは愛想を尽かしていた。
「かしこまりました。では後ほど」
「ええ、お願いします」
廊下を進みながら打ち合わせを終え、アイはヴィランとは別の道を往く。
「さて、私も次の準備を進めましょうか……」
その言葉とともに、ヴィランは胸ポケットから取り出した携帯端末を耳に当てた。




