34.Go there
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「アネット少佐……これを」
アネット・ライブラリ少佐は、基地の廊下で部下の一人に呼び止められ、彼から手渡されたタブレット端末に表示されていた一枚の画像に目を通すと、すぐに思考を切り替えた。
「これはいつ、どこで撮影された写真だ?」
「五時間前、ドルネクロネのセントム国際空港の監視カメラの映像になります」
その言葉に、アネット少佐は静かに頷き、思考を回転させる。
写真に写った男、ヴィラン・イーヴル・ラフは今や彼女が追うべき宿敵とも呼べる存在だった。
それが、かつてかの地を総ていた独裁者を伴い、遂にドルネクロネの地にたどり着いたのだ。これは何かが起こる前触れに他ならないと、アネット少佐の危機感は告げていた。
「急ぐべきか」
そう言って、彼女は軛を返してそれまで進んだ道を引き返した。
最悪の事態が起きる前に、打つべき手は打っておかねば。
アネット少佐は、そのために持てる権限とリソースの全てを注ぐことを誓った。
○
タルボシュⅡの運用開始から二日が過ぎ、アイビス小隊は再び同盟軍からの依頼を受けた。
「まさかまた、この艦に乗ることになるなんて、ね」
シルヴィアはエクイテス・フロートに寄港したワイバーンを見上げながら、契約内容に再度目を通す。
表向きはドルネクロネ近海で同盟軍と合同で演習を行うことになっているが、ドルネクロネで「何か」が起きた場合はすぐにそこに向かうよう指示されており、その実態は同国の監視だと暗に示している。そして、ドルネクロネで起きるであろう「何か」がヴィランに絡んだ事象だろうと、シルヴィアはすぐに理解していた。
ワイバーンに搬入されるタルボシュⅡの姿を認めつつ、アイビス小隊の女隊長はこれから起こるであろう苦難に対し、頭を抱える。
何より、シルヴィアにとって二度目のドルネクロネ行きだ。彼女はかつてあの地で様々なものを失い、その結果として今エクイテスに居る。
ワイバーンに運ばれたタルボシュⅡは各パイロットに合わせたカスタマイズが施され、シルヴィア機はタルボシュⅡ・ターボ、レン機はタルボシュⅡ・スナイプへと換装された。シオン機は必要なパーツが揃わず、改修途中のまま格納庫に運ばれている。幸い、改修用のパーツはワイバーンが持ってきたということもあり、改修作業は道中も行われることになっていた。
「まさか、こんな所に来ることになるとは」
タルボシュⅡの搬入作業を監督する傍らで、トウガ・ヴァーミリオンはエクイテス・フロートの管制塔を見上げた。
顔を合わせたくない相手が、この会社にいる。出来ることなら、そのまま鉢合わせすることなくこの場を去りたいものだと思いつつ、搬入されたコンテナの中身をチェックした。
自分が試験運用に関わった機体の正式版であるタルボシュⅡ。その先行量産型が、自分の知る部隊に配備されていることを誇らしく思う。
「やあ、トウガ軍曹久しぶり」
自分を呼ぶ声に反応し、トウガはその声の主の方を向く。
「あ、レン少尉。そういえばエクイテスに来てたんでしたね」
「もう少尉じゃないけどね~」
かつての仕事仲間との対面に、二人は思わずテンションを上げる。
トウガはワイバーンの整備士、レンはエクイテスの傭兵。それぞれ居場所は違うが、こうしてお互いに元気にやっていることを嬉しく思っていた。
「で、軍曹は今回の一件、どう思ってる?」
「どうもこうも、きな臭さしかありませんよ。ドルネクロネってあのヴィラン絡みでしょ?」
「僕もあまりドルネクロネには行きたくないんだよね。あそこ娯楽少ないし」
その言葉から、レンが心底落胆しているのだとトウガは察する。紛争終結後、極端な統制社会を形成したドルネクロネではデジタルゲームの類は著しく規制されているからだ。ゲーマーにとって、これほど住みにくい場所はそうそう無いだろう。
「そもそも軍隊に対して快く思っていない人たちが多すぎるんですよ、あそこ」
トウガの言う通り、ドルネクロネは軍事アレルギーを発症させた人間の巣窟だ。国軍を軍縮で著しく弱体化させ、国防能力の大半を駐留同盟軍に依存してしまっている。それどころか、軍隊のもう一つの仕事となる災害出動でも軍に対する風当たりは強く、同国を疎んじる同盟軍人はかなりの数にのぼる。
だが、真に恐るべきは、これが民意によって成された選択だということだろう。その結果戦争の再発を抑えるためにかつての軍事政権以上の統制を敷くというのも、また皮肉ではあるが。
「そんな押さえつけるようなコトばっかりで、むしろ火種作りそうな気がするんだよね」
「だからヴィランに目をつけられてるんでしょ」
などと談笑している内に、ワイバーンに次の荷物が運ばれてくる。トウガはレンとの会話を切り上げ、すぐに自分の仕事に戻っていった。
「レン、そんな所にいたの?暇なら手伝って」
「了解です、シルヴィア隊長」
シルヴィアに見つかり、レンもまた搬入作業に駆り出された。
○
アイビス小隊を乗せたワイバーンを送り出し、ヴァネッサは社長室の椅子に座り込む。
長期間の任務となると、補給の手配などバックアップ体制を整えるだけでもひと手間だ。
一線から遠退き、経営者として銭勘定と書類仕事をこなすようになって幾年経つか。ふと、執務机に飾られた一葉の写真に視線を移す。
デジタルフォト全盛の中で、古風な銀塩写真がフォトフレームに収められている。
そこには紅く彩られた装甲に身を纏ったヘルムの前に立つ傭兵時代のヴァネッサと、彼女と同じ赤髪を持った少年の姿が写し出されていた。
「こんな私を滑稽に思うか、トウガよ?」
写真に写っている少年に、ヴァネッサは静かに語りかける。
傭兵時代、自分の専属メカニックとして腕を奮った自慢の弟だ。だが、報酬を優先して自分の命を顧みないスタンスが弟に負担をかけ、それがこじれて袂を分かち弟は軍に入隊。それ以降顔を合わせることはなかった。彼女はそれを後悔して起業後は徹底して裏方に回り、その大変さをようやく知ったのだ。
だが、彼女は知らない。自身の弟がつい先刻までこのフロートに立ち寄り、自分の部下たちとともに戦地へと向かったことを。
○
ドルネクロネへの船旅は、特に妨害もなく順調に進んでいた。その順調ぶりは、逆に目的地に何かあるのではないかという勘ぐりを一行に思わせる程だった。
ワイバーンは演習部隊との合流を済ませ、後は演習の開始を待つのみ。それで何事もなく演習が終われば、そこで任務は終了となる。
「なあ、演習が無事に終わると思うか?」
待機室でベンチに座るレイフォードが、不安そうな表情でシオンに問う。シオンは「まさか」とレイフォードに返し、壁にもたれかかった。
レイフォードも「そうだよな」と言って長い金髪でその表情を隠す。
レイフォード本人は話そうとしないが、彼はドルネクロネの出身だとシオンはシルヴィアから聞いていた。
国を出た身とはいえ、故郷がまた戦火に焼かれるかもしれないという不安を抱くのは、ある意味当然の流れだ。それをとやかく言うつもりは、シオンには無い。
が、その「もしも」が起こった時のことを想定するのも、自分たちの仕事だとシオンは考えるようになっていた。
「もし、レイフォードはドルネクロネでまた戦争が起きたら、どうする?」
「わかんねぇよ」
「人がまた死ぬだろうね」
「……だろうな」
「だったらさ、少しでもその被害が少なくなるように務めても、いいんじゃない?」
およそ金で動く傭兵らしからぬ言葉に、レイフォードは驚いた顔でシオンを見やる。
レイフォードの瞳に映るシオンは、自分の言葉に驚きを隠せない様子だった。
「うん、変だよね。何言ってんだろ、私」
レイフォードへの謝罪を述べ、眉をなぞりながら待機室を後にする。
一人残された彼は、「別にいいんだよ、そういう傭兵が居たってな」と、えくぼを作った。
○タルボシュⅡ・ターボ
タルボシュⅡの高機動バリエーション機。
基本構成はタルボシュ・ターボと変わらないが、ダンピールのデータをフィードバックした結果、ソフトウェアに手が加えられており、地上走行のみならず短時間の空中機動も可能になった。本格的な飛行はできず、一時的に機体を跳躍させられる程度だが、熟練パイロットからは三次元挙動がよりやりやすくなったと好評であるらしい。
シルヴィア機は彼女が搭乗したタルボシュ・ターボから引き継いだ武装をそのまま使用する。