30.purge
○
「何とか、勝てた……」
敵が逃げたことに安渡し、シオンは大きなため息とともにコクピットシートへもたれ掛かった。シルヴィアの方も、勝敗こそ決していないものの、敵指揮官機の撤退という形で決着が着いたようだった。
周囲に敵反応は無く、スナイパーも撤退したらしい。
薄氷の勝利。こちらは満身創痍だが、なんとか全員生きている。
一山超えたという安心感に気が緩むが、しかしアイビス小隊の苦難はまだ続く。
傷の部隊の撤退から間を置かずして、メガフロート全体が激しい揺れに見舞われた。
「何?」
『メガフロートの構造体が、浮力を発生させる限界に達したか』
レイフォードが揺れの原因を推測し、すぐにワイバーンに確認を取る。
武装勢力の破壊活動が行われた区画で、許容量を超える甚大なダメージの発生が報告されているという。
武装勢力の鎮圧はすでに完了しているが、そのまま放置すれば、メガフロートそのものがバラバラに分解し、海中に没することになる。
本来であれば、深刻な被害を被ったメガフロートの区画は、そのダメージが他の区画に及ぶ前にオートパージが実行される。しかし、今回は戦闘の被害の影響でオートパージを司るダメージセンサーが機能せず、区画管理センターの制御端末からマニュアルによる当該区画のパージが必要となっていた。そして、それを今迅速に行えるのは、端末に最も近い場所にいるアイビス小隊だけだと、ワイバーンのオペレーターが語る。
「私が行きます」
そう言って、自ら管理センターに向かうよう志願したのは、シオンだった。
区画管理センターまでの道のりはそう長いものではないが戦闘で破壊された場所も多い。一刻を争う状況の中、迅速に目的地に向かうには、陸路ではなく空路を選択できるダンピールが適任だった。
レイフォードとシルヴィアも、それを理解してシオンに託すことにした。
ビルの屋上を飛び移るように、シオンはダンピールを奔らせる。
既に街に人の姿はない。人影といえる物は、大半が強襲機動骨格の残骸だ。
区画管理センターに到着すると、シオンはすぐに機体から降りて制御端末に急ぐ。
管理センターの重要施設は地下に存在し、そこのサーバーで市民の登録データやフロートの点検作業の進捗などが管理されていた。
そして、管理センターの最奥部。まるで何者をも近づくことを許されない聖域のような雰囲気の部屋に、目的の制御端末はあった。
古来より続く、パスワードを打ち込んだ後、爆発ボルトを作動させる方式のパージシステムだ。
拳銃で部屋のドアを強引に開け、シオンは制御端末の前に立つ。
通信で聞いたパスワードを入力し、爆発ボルトのロックを解除。重々しい回転式レバーを引き抜く。
「点火」
引き抜いたレバーを押し込み、爆発ボルトが作動。マニュアルパージが実行された。
シオンはすぐにその場を離れ、管理センターを後にする。
爆発ボルトに点火したからと言って、パージされた施設がすぐに海に沈むわけではない。が、それでもメガフロートは浸水によって刻一刻と浮力を失っていく。
残された時間はそれほど長くはない。シオンはすぐにダンピールに乗り込むと、元来た道を辿る。だが、区画のパージを実行したことで区画そのものが傾きつつあった。推進剤の残量を気にしている余裕はないと、ダンピールの全推力を投入し、それによって生まれた傾斜に抗う。
「……ッ!」
だがその最中、シオンは見つけたくはなかったものを目にしてしまう。沈みゆく街の中で、瓦礫に挟まれて動けなくなった子供の姿。
機体の優秀すぎるセンサー性能を疎ましく思いつつ、シオンは操縦桿を傾けた。
○
「シオンの奴遅くないですか……?」
『そうね。でも、私たちは彼女の帰りを待つことしかできないわ』
「そうですが、もし何かのトラブルに巻き込まれていたりしたら……」
区画の沈下が進んでいる状況の中、パージされた区画の縁に機体を立たせ、レイフォードは不安を口にした。
パージ実行から十分が経過したにも関わらず、シオンのダンピールが一行に戻ってくる気配がない。
どこで道草を食っているのか、とレイフォードは踵を鳴らしながら沈みゆくフロートをただ見つめることしかできない自分の無力さを呪う。
いくら走破性の高い人型機動兵器であっても、崩壊を続ける市街地を自在に駆け回れるほど、強襲機動骨格は万能な兵器ではない。
刻一刻と変わり続ける状況の中では、常に搭乗者の精神状態と状況判断能力が問われるからだ。
そんな只中に後輩を送り出してしまったことに対する後悔の念が、今になってレイフォードの胸中を掌握していく。
『何があった』
その時、レイフォードの背後から声がした。
○
シオンは動かなくなった機体の中で、途方に暮れていた。
廃墟の中で助けを求めていた小さな命を救うことができたのは良かったが、その結果今度はダンピールが瓦礫の下敷きになり、身動きが取れなくなっていた。
さらに運の悪いことに、通信アンテナが損傷し、シルヴィアたちとも連絡が取れない。まさに八方塞がりといった状況だ。
せめて左腕が使えたら、と考えるが、無いものをねだったところで仕方がない。今は自分の膝の上に座る子供を心配させないようにするのが、シオンにとっての最優先事項だった。
「大丈夫だよね、お姉ちゃん?」
膝の上に乗る小さなお客様が、頭を上げてシオンの表情をうかがう。少年の表情には、明らかに不安の表情が見て取れた。
「大丈夫、なんとかする」
そう言って、シオンは笑みを浮かべながら少年の頭を撫でると、機体の動きを妨げる瓦礫を除去するために操縦桿を操作してダンピールの右腕を動かす。
しかし、右腕は瓦礫によって関節を固められ、まともに動かすことができない。
腕をパージすればとりあえずこの場から抜け出せるが、また瓦礫が迫ってきた時に退けるための選択肢が減ってしまう。とは言え、ここで時間を食っていてはどの道結末は同じだ。
シオンは仕方がないと思いつつダンピールの右腕をパージし、その場を抜け出す。同時に、さっきまで機体が居た場所が瓦礫に埋もれる。
決断が遅かったら、あそこで一生を終えていたのかと思いつつ、シオンは瓦礫の山の出口を目指した。
戦闘によるダメージのせいか、フロートの区画の崩壊が想定よりも早い。押し寄せる障害物をブースターの推進力で飛び越えつつ進むが、今度は推進剤切れというトラブルに見舞われた。
重力に引かれ、ダンピールが堕ちていく。あともう少しなのにと、何もかも諦めそうになったその時、ダンピールの機体を何者かが掴み取った。
「なんでここに……」
目の前に現れたエイブラハムのクォーツ・ターボの姿に驚きの表情を見せるが、すぐにシオンはエイブラハムに支えられつつビルの外壁を登り、クォーツ・ターボの横に登り立つ。
『全く、お前が管理センターに向かってから音信不通だって言うから、こうして様子を見に来てやったんだろうが』
そう言って、エイブラハムは乗機の指でダンピールの頭を小突く。
『で、そっちは満身創痍じゃないか』
「色々トラブルに見舞われたからね」
『じゃ、コイツが入り用ってワケだな』
エイブラハムはクォーツ・ターボの腰部から燃料カートリッジを抜き取り、ダンピールのブースターのそれと交換する。
「……いいの?」
『こっちはまだ余裕がある。それにそっちには同乗者もいるんだろ?』
エイブラハムの言葉に、シオンは少年の方を見やる。テロで何もかもを失ったシオンにとって、自分のような弱者を出さず、助け出すことが戦闘での至上命題になっていた。そして、それを達成させるためには、エイブラハムの言葉に乗るしかない。
「理解った。それじゃあ生きて一緒に帰りましょ」
『元よりそのつもりだ』
そう言って、二人は乗機のブースターに火を灯した。
○カスチェイ(ヒトキリ改)
ヒトキリ・サイゾー専用にカスタマイズされたカスチェイ。複数本のブレードを備え、用途に応じてこれを使いこなす格闘戦特化型の機体。
脛と踵、肘にもブレードを備えているが、これは格闘戦は斬撃で行うことに強いこだわりを持つサイゾーのポリシーを反映したもの。
また成形炸薬弾を投擲武器に転用したHEATダートも携行しており、中距離戦にも対応しているが、これは主に牽制目的に用いられる。




