2.Cloudy weather
○
夜の曇天の下に広がる廃墟の群。
いまだ煙が昇る生活の痕跡の中に、強襲機動骨格の影が六機。
歩兵のヘルメットを思わせる形状の頭部の下に、特殊コーティングで防弾・防塵処理を施したセンサーの塊である「目」を持ったその機体は、昆虫の複眼さながらに感覚を働かせて周辺を警戒していた。
環太平洋同盟軍から「クドラク」のコードを付けられたその機体は、五年ほど前から紛争地帯を中心に運用されているが、その供給源は勿論、開発元すらも明らかになっていなかった。
クドラクのパイロットが、ふと空を見上げた。
いつ晴れるとも知れない分厚い雲が、太陽を覆い隠して一週間。雨が降るでもなく、ただ曇天が続くばかり。隕石災害の影響で気候も大きく変動してしまった今、この国ではかつてのように気象予報は当てにならない。快晴が続くときもあれば、何ヶ月も雨が降り止まないことだってある。そんな不安定極まりない天候の悪化は土地どころか人心すらも荒ませ、やがて治安の悪化に拍車をかけていった。
天候不順が報告されているのはここだけではない。世界中には異常気象や地殻変動に見舞われ、復興が遅々として進まない国や地域が何百と存在する。それは早期に復興した他国への羨望となり、土地を捨てる者も数多い。
この廃墟も、そんな捨てられた土地の一つを、テロリストたちが根城として使っているのだ。
クドラクのパイロットが、いつ晴れるとも知れない天気に嫌気を見出して天を仰ぐ。雲に覆われ、星の光も届かない空。だが、クドラクのパイロットは、偶然にもそんな雲の合間から三つの影を見出した。
パイロットが「何だ」とセンサーを望遠モードに切り替える。広範囲の視界をカバーしていた頭部センサーの焦点が一点に集中し、遠方の影をコクピットのディスプレイに映し出す。人影が三つ。
サイズから推定して、強襲機動骨格。機体のシルエットは、それがタルボシュタイプだと示している。だとすれば……。
その思考が機体動作に反映されるまで、一秒と掛からなかった。
「て、敵だッ!!」
クドラクのパイロットが通信機に向かって叫ぶと同時に、闇が支配する空へ一筋の火線が走った。
○
「気付かれた……ッ!」
空挺降下の最中、その言葉を言い終えるのとほぼ同時に、地上からの火砲がシオンの乗るタルボシュの右側面を掠めた。
しかし、既にシオンらは降下シークエンスを終えており、タルボシュの背中に装着されたパラシュートパックをパージし、そのまま敵との戦闘になだれ込んだ。
腰部の推進ユニットで降下速度を強引に落として着地。同時に、ショックアブソーバーで受け流しきれなかった衝撃がコクピットに伝わってくる。シオンはそれを細い身体で受け止めつつ、膝をついた機体を立ち上がらせる。
『ボサっとしている暇は無えぞ、新人』
「分かってる」
チームの一員であるレイフォード・スティーヴンスはシオンに忠告しつつ、素早く射撃態勢を取りライフルで敵を狙い撃つ。シルヴィアの機体がレイフォードの前に付き、シオンも一瞬遅れる形でシルヴィアの横に並んでレイフォードを後衛にしたV字型のフォーメーションを組んだ。
『行くわよ。いつも通り、レイフォードは後衛。シオンは私のバックアップ』
そう言って、シルヴィアが先陣を切って突撃を仕掛け、シオンがそれに続く。
シルヴィアの機体はタルボシュ・ターボと呼ばれるタルボシュの高機動戦闘仕様だ。
背部にブースター・ユニットを接続し、脚部にもクローラーを増設したことで、地上での速力に関しては通常のタルボシュを凌駕する性能を叩き出している。だが、その分だけ扱いの難しい、玄人向けの機体となったのは言うまでもない。
この手の高機動装備は遮蔽物の多い市街地や廃墟の中ではむしろ敬遠されるが、シルヴィアはそれを華麗に操ってみせている。
瓦礫を避け、時には飛び越え、攻撃を掻い潜る。そして、展開するクドラクの一機に狙いを定め、胸部兵装ステーションに取り付けられた機銃でけん制しつつ距離を詰める。
間合いに入ったと見るや、シルヴィアは手にしたショットガンの銃爪を引いた。
ショットガンと言えば聞こえは良いが、実際はライフリングの施されていない滑腔砲だ。射程が短く当てづらいものの、その反面幅広い弾種を撃ち分けられ単発の威力も高い。
至近距離から放たれた散弾がクドラクのセンサーを頭部ごと破壊し、その視界を奪う。その隙を突いて、シルヴィアは左肩にマウントされた大型ナイフを抜くと、すかさず敵の胸部装甲の隙間にねじ込んだ。
「……凄い」
その戦い方を見て、シオンは唸る。
苛烈に見えるが、洗練された無駄のない動き。クドラクを撃破したシルヴィアは、ナイフを抜き取ると再び敵に向かい、これもまたたく間に倒していく。
シオンはそれを後ろから見て付いていくのがやっとだった。だが、その戦場で他者に見惚れている余裕はない。
シオンの眼前に別のクドラクが迫る。シオンはマシンガンの銃口を敵へと向け、クドラクの装甲に弾痕を刻む。だが、クドラクはそれに怯むことなく鉈を振りかざし、シオンの乗るタルボシュへと襲いかかる。
お互いの装甲が触れそうな極至近距離での戦闘を強いられると、シオンは咄嗟に操縦桿を動かし、機体の左腕でその刃を受け止める。
強襲機動骨格が振るうサイズの鉈の破壊力は確かに大きいものの、腕のストロークの大小によって威力が左右される性質は、人間用の鉈と変わらない。
故に、鉈に運動エネルギーが加わる前、即ち振るわれる寸前に動きを封じてしまえば、威力は削がれ、驚異ではなくなる。
腕の一本を犠牲にして生き延びる。生身の人間同士の戦いなら躊躇う者もいるかもしれないが、これは強襲機動骨格による戦いだ。機械には痛覚もないし、四肢が壊れても基地へ戻れば損傷箇所も交換ができる。
訓練のときにレクチャーされた動作は、反射運動として彼女の身体に染み付いていた。
「この……!」
機体にインストールされたダメージ診断プログラムが即座に起動し、コクピット内に軽い警報音を鳴らすと同時に、サブ・ディスプレイに赤いウインドウで左腕の損傷具合を表示させる。
損傷ランクB。ダメージはフレームに到達。ただし稼働させる分には問題なし。
動くならば問題はないと判断し、シオンは反撃に転じる。
操縦桿に備わったスティックを操作すると、タルボシュの左腕がそれに連動して駆動し、クドラクから鉈を奪う。装甲とフレームに食い込んだ鉈は安定した姿勢でなければ簡単には抜けない。食い込ませた側からしたら、その状態から鉈を奪うことなど容易いことだ。
シオンは鉈を左腕に食い込ませたまま、マシンガンに装着していたナイフで鉈を奪還しようとするクドラクの右腕を刺し貫くと、銃爪を引いた。
ナイフでピンポイントに貫かれ、更に銃弾を浴びせられた肘関節はまたたく間にその構造を破壊され、分離した下腕部が勢いのままに飛んでいく。
クドラクはダメージに慄き、その場から引き下がる素振りを見せるが、シオンはマシンガンを捨て左肩にマウントしていた大型ナイフを抜刀。クドラクを追撃し、脇腹へ刃を突き立てた。
だが、刺突の際、勢いを付け過ぎたためにシオンの乗るタルボシュはバランスを崩し、クドラクごと瓦礫の山へと倒れ込むのだった。
○
「さあ、シオン。ここが君の新しい家だよ」
養父に連れられ、初めて彼の家に招かれた時の記憶が蘇る。
戦場から助け出されたシオンは、そこに居合わせた同盟軍の兵器開発者に引き取られ、家族と名前を得た。
新しい自分の家。家族の顔ぶれも、風習も、匂いも、お隣さんも、窓から見える風景も、何もかもが未知の体験であり、それが不安を増大させる。
自分はやっていけるのかという強い不安が、この頃のシオンの心を覆い尽くしていた。
「紹介しよう。私の娘のホタルだ」
「あなたがシオンね。今日からあなたのお姉さんになる、ホタルよ。よろしくね」
不安を表に出さないように気負っていた少女の顔は、自分の義姉となる女性の柔らかな雰囲気の前に、自然と和らいでいた。
記憶を失ったシオンに、果たして姉がいたかは定かではないが、ホタル・ウェステンラの人となりは、シオンにとって眩しく、まさに「理想の姉」を体現した存在だった。
……彼女が、義父とともに命を落とすまでは。
○
けたたましく鳴り響く警報音に聴覚を刺激され、シオンは意識を覚醒させる。
「……どれくらい落ちてたの?」
そう言って、時刻を確認する。作戦開始から、まだほんの十五分程度。意識を失っていたのも、ほんの数分といったところだ。顔からなにかが伝っているのを認めると、額から軽い出血があった。転倒した際に、どこかにぶつけたらしい。
懐かしい感覚がシオンの頭をよぎるが、通信機から聞こえる声を聞き、それを頭の隅へと追いやった。
『おい新入り、無事か?』
後方からレイフォードのタルボシュの姿が現れる。
レイフォードの言葉に「何とか生きてる」と返すものの、機体は共に横たわるクドラクと瓦礫が絡み合って、すぐに起き上がることは出来なかった。
「状況は?」
『敵を倒したら増援が出て来やがった。構成は作業用人型重機に武装トラック。まあ、予備戦力を使った悪あがきだ』
そう言って、レイフォードはライフルの銃爪を引く。作業用人型重機……強襲機動骨格の原型となった、その名の通り作業用の人型機械が、レイフォードの放った弾丸に貫かれ、その場に倒れ込む。
「なるほど、つまり隊長は残敵の掃討、レイフォードは私の援護にそれぞれシフトした、と」
『話が早くて助かるよ』
話を続けつつ、シオンは右腕を操作し、機体にしがみつくクドラクを排除する。
『動けるようだな。始末書の方は覚悟しとけよ』
「……了解」
ボロボロの機体を何とか立ち直らせ、シオンは小さく呟くと、自分の撃破したクドラクに目を向ける。
脇腹から入った刃が、コクピットに達していた。更に、胸部の装甲も落下の衝撃で押しつぶされてひしゃげている。
一歩間違えていたらこうなっていたのは自分かもしれないと、シオンは背筋に凍るような感覚を覚えた。
○タルボシュ・ターボ
タルボシュの高機動バリエーション。背部ブースターと脚部クローラーによって機動力を強化している。
高い機動力は開けた場所で特に性能を発揮しやすく、戦車と強襲機動骨格双方の利点を備えた装備として期待されていたが、高機動戦闘中の位置取りや、常に変化する重心バランスへの対応は熟練クラスのパイロットでなければ難しく、供給量は少ない為、腕に覚えのあるエース・パイロット用の装備として認知されている。
OSによる操縦サポートも可能だが、この装備を好んで使用する者の大半はそれをあえてカットして運用している。
シルヴィア機は使用出来る弾種の多さからショットガンを好んで装備。左肩には大型ナイフを鞘ごとマウントしており、そのスタイルはシオンのタルボシュにも継承されている。