第99話 悪役たちのターンです
「私の話はもういいだろう。ところでアナトーリア嬢、最後に私も君に少し聞いてみたいことがあるんだがね」
ボナート公爵の目が歪に光る。
そこには好奇心だとか興味だとか疑問だとか、質問する側が普通持っているはずの感情は見えず、ただ嗜虐的な色があるだけだ。
「振り返ってみれば不思議なんだ。君は一体、何がしたかったのかとね。精霊信仰を広めたいらしいと噂に聞いていたが、蓋を開けてみれば信仰は王によって島に隔離されることになった。
それに、チリッロと同じように民が民がと言うわりに、冤罪発覚後にフィルディナンド殿下の婚約者へと復帰するのを断ったね。望んでも殿下が嫌がったかもしれないが、貴族たちを味方につければ無理な話じゃない」
何がしたかったのか。
これは、先日エストと話をしたときにも感じていたことだ。
今までがそうであったように、王国の信仰は失われたまま精霊たちが島を自衛する。何も変わらない。
民の幸せをと口先だけで願いながら、幼いエミリアーノ殿下を王太子に据えたのはなんのためだった? フィルとクララを排するため?
自ら王妃の座を捨てておいて、彼らが民を幸せにしないと決めつける身勝手をしただけでは?
そうじゃない、そうじゃない。
私はいつだって、最善を選んできたはずだ。
ではどうして、今、私は拘束されているのか。
思考がまとまらなくなっていくのを嘲笑うように、ボナート公爵の言葉は続く。
「仕掛けは知らんが妙な手品を使う詐欺師の男も、君の甘言に乗っていなければ処刑されることはなかっただろう。
リオネッリのところの倅もそうだな。放っておけば世界をまたにかける大商人になっただろうに、魔女と手を組んだばかりに大事な信用はガタ落ちだ。
アナトーリア嬢、君は面白いほどに何も得られなかった。何も残せなかった。なんの変化ももたらせなかったんだ、違うか」
違う。
レイは例え処刑台にかけられたって必ず逃げられる。ああ、でも逃げてしまえば生涯追われる身になるじゃない。
私と出会わなければ精霊たちともっと平和な日々を過ごしていたかもしれないというのに。
ジャンは、私が死んでもこの国の王として生きる。
ではそれは彼が望んだ未来だった?
──アニー様はいつも気づかないフリをしてくれたけど、俺は君が好きだよ。
気づかないフリをして、だけど彼の気持ちをわかってたのでは? だから断らないと踏んで王配に選んだのではない?
彼の夢を諦めさせて。
ボナート公爵の言葉は一言一言が私の痛いところを確実に刺激する。直視したくなかった部分を、これでもかと眼前に差し向ける。
まともに返す言葉が見つからなくて唇を震わせていると、ビアッジョが珍しくも楽し気に微笑んで口を開いた。
「アニー、そんな顔しないで。君はもう何も心配しなくていいんだ」
「え……?」
優しい笑みだった。春、雪の中から顔を出した新芽みたいに柔らかなビーの笑顔が、昔は大好きだった。
ビーが私にそうやって笑いかけてくれるのは、もう十数年ぶりじゃないかしら。
「こんな何もない原始的な土地で暮らす必要はもうない。使えもしない男たちを誑かす必要もね。君は生まれ変わって、この島を出てボクとともに生きるんだよ」
はい……?
ビーと私がともに生きる? 生まれ変わって?
ビアッジョの柔らかな笑顔の中に、薄っすらと狂気を感じた気がした。
言葉を失う私に、ボナートが苦笑して言った。
「何がいいのかわからんが、コレは昔から君のことが好きでね。バウドと深く関わることを許さなんだら、少々妄想が過ぎるようになってしまったが、まぁ日常生活に支障はない」
「生まれ変わるだとか意味のわからない発想をしていて、支障がないわけがないだろう。それより、亡命とは一体なんのことだ」
フィルが長い足を組み替えながらボナート公爵へ視線を向ける。
ビーの舐めるような視線から逃れるように、私もフィルとボナート公爵とのやりとりへ意識を向けた。
「バルテロトの勝利はほぼ決まりですよ、殿下。彼らは、軍備に関わる情報は全て持っている。あとは、レクラムの守りが薄ければいいだけです。ああ、そういえばレクラムは殿下の領地になるんでしたな。
彼の地が恐らく今回の鍵になるでしょう。つまり……、殿下はレクラムという小さな領地から一瞬で広大な土地を持つことになるわけだ。南側は私がいただきますがね。
キャロモンテの王族の血筋は、バルテロトでも大切に扱われるでしょう。どうです、もしかしたら新しいキャロモンテの王として独立できるかもしれませんぞ」
現状、ヤナタの守りは薄い。
だからキアッフレードが主権をとって独立したいと考えているのだ。ヤナタを戦場にしないために。
ただバルテロトの考えはそんなに浅くないらしいことが伺える。
戦場にするとかしないとかいうレベルの話じゃなく、ヤナタはあくまで通過点に過ぎないんだ。だからそのまま侵攻してキャロモンテを落とす。そのために最も重要になるのが、ヤナタとキャロモンテとの国境を守るレクラム領というわけね。
レクラム領は、冤罪事件に関わった貴族から国が取り上げた土地だ。
同様に取り上げた他の領地は慰謝料代わりにバウドの所有になっているのに、レクラムだけは王国管理に置かれたのが少し引っ掛かっていたのだけど、謎が解けた気分ね。
レクラムの防衛レベルを下げるよう裏から手をまわすつもりで、あの土地だけバウドに寄こさなかった。
……もしかしたら、冤罪事件の協力者を人選するときに、もうここまで考えていたかもしれないと思うと頭が痛くなる。
「なんてことを……。俺は反乱も亡命も望んでいない」
「だが継承権の剥奪には納得していない、でしょう」
「いいえ、フィルには王太子になっていただきますから」
フィルは多分、ボナートの誘惑に心を動かされている。
目を白黒させて頭を抱える仕草は、すごく迷っているときの彼の癖だ。
そこへすかさずクララが口を挟んだ。
怒っているのか拗ねているのか、顔を紅潮させて膝の上で手を握る姿は確かに可愛らしく、ヒロインなのだなぁと改めて実感してしまう。
「どうやって?」
「特別発令です。あたしが、この島で起きてる天変地異を治めて巫女であることを証明します。巫女を妻に向かえるなら、きっと陛下だってフィルを王太子にしてくださいますもの」
「私は一向に構わんよ、ミス・フィンツィ。信仰をどうにかして国から切り離したい王家が、巫女を王妃に据えるなんて愉快じゃないか、ぜひ達成してもらいたいものだよ」
広いホールにボナートの笑い声が響いた。
今日の屋敷には誰もいないから、その声はすごく響いて聞こえる。うっすら耳に残った残響を、屋外の雨風の音が掻き消していった。
「どうやって」
「え?」
「どうやって天変地異をしずめると言うの?」
私の質問に、ボナート公爵は無表情のまま、ビアッジョは誇らしげに笑い、フィルは困惑を浮かべる。
偽物の巫女はさも当たり前だとでも言うように、鼻息も荒く前傾姿勢で一息に答えた。
「貴女が死ねば、あたしは神様に会える。そこで精霊と協力して島に平和を取り戻すの。でも安心してください。アニー様は神様が生き返らせてくれるので」
「はい?」
クララの言葉は、なんの根拠もロジカルさの欠片もない妄言だった。
この娘はまるで良くない薬をやっているか、心を病んでいるかのどちらかではないかしら。
だってそうでしょう、なんだかアニメのあらすじでも聞かされているみたいで……。
あらすじですって?
これから起こることを予見したような言い回しは確かにあらすじにも聞こえるけれど、これはゲームのシナリオだと考えるべきなのでは。
「私が死ぬことが条件なの……?」
「そうです。そうじゃないと神様には会えないし、あたしは王妃になれない」
作者が思う絵に描いたようなヤンデレというのが出てきましたね。
ビアッジョは少々妄想が過ぎるだけです、ええ。