第95話 天変地異の始まりです
屋敷の窓から遠く海に黒い影を落とす船の一団を眺める。
とんでもない数の騎士団が動いているようだけど、これもボナート公爵の手引きに違いない。
これだけの事態になって、宰相であるお父様が早馬を出さないはずがないのだから、お父様でも手を打てないようなタイミングだったか、お父様の身に何かあったか……。
こうなることを予想しないわけではなかったけれど、規模が大きすぎる。
「神殿やキャンプにできるだけ近づかせないようにできる?」
彼らの目的は私だ。
だから屋敷を経由する部隊はそれ以上先に進むことはないだろう。私はおとなしく彼らの前に姿を現すつもりなのだから。
でも、キャンプや北側を迂回して神殿のほうへ捜索の足を延ばす部隊も少なくないはずだ。
『それくらいはどうってことねぇけどよ、あいつら傷つけねぇように侵攻の邪魔して、お前も守るって繊細な作業きっちーんだけど』
『もう! せっかくエストが忠告してくれてたのに!』
「うん、それについてはほんとごめんなさい」
少し前、私の元をピスキーが訪れてエストからの言伝を置いて行った。
嫌な空気を纏った船が島に向かっているという内容の忠告で、だから船が島に到着しないよう精霊を動かすべきだということだったのだと思う。
今日は神殿にステンドグラスが設置される予定だった。
だから夜になったら、キャンプから神殿内部の灯りに照らされたステンドグラスを眺めて、みんなでお祝いをする計画をたてていたのだ。
そんな小さなお祭り用に、食材や酒類がたくさん運び込まれるはずで……。
波や風を荒げて船が島にたどり着けなくするのは嫌だと思ってしまった。
エストの忠告を軽んじちゃったのだわ。
『こんな規模ノ兵隊が来ルナンテ、思いマセンから。仕方アリません』
ゲノーマスが小さなエナガを諫めるようにフォローしてくれたけれど、でも、本当にそうかしら。
私なら、予測できたのでは? いいえ、予測するべきだったのでは?
『せめてレイがいてくれればこんなに焦らないのに!』
「ごめんなさい」
レイモンドの不在もそうだ。
彼は私が陛下との茶会の話をしたとき、「調印式のあとにしてもらったほうが良いのでは」と言っていた。
それを確認もせずに無理だと言ったのは私だ。
実際、それは難しい話だったと思う。一連の行事を終えれば王国は上を下への大騒ぎで、陛下もプライベートな時間なんてとれないだろうし。
でもどうにか理由をつけて延期することは可能だったはずだ。
それをしなかったのは、私の慢心であり、私の驕り。
今この事態を招いたのは、全て私の責任だ。
眼下に広がる山に私たちが作った「道」を通って、武装した集団がこちらへ向かってくる。
精霊たちにお願いした通り、キャンプへ続く道や北側の開発しきれていない山道では、騎士の進行速度が格段に落ちている。
このまま私が彼らに捕獲されれば、民への影響は最小限に抑えられる、わよね。
先ずは民の安全を確保してもらってから、あとで救出してもらうか……。
『あらあらー。ちょっとエストちゃんの様子も心配ねぇ』
屋敷から出ようと部屋の扉を振り返ったとき、ウティーネが思案顔で首を傾げていた。
困ったように眉を下げたその表情は、大したことないと……必死に自らに言い聞かせているようだった。
「ウティーネ?」
『あらー。やっぱりダメね。エストちゃん、キレちゃったわぁ』
「え?」
再度、その水の精霊の様子を伺うと、彼女は目に涙を溜めていた。
どういうことかと他の精霊たちに助けを求めるも、彼らもまた一様に神妙な顔で窓から外を眺めている。
「ね、──っ!」
説明を乞おうと口を開きかけたとき、一瞬だけ窓から強烈な光が差し込んで、私は目を瞬かせる。
それはまさにスパークというにふさわしい光で、少し遅れて破裂音が飛んで来た。それもものすごい音量で。
その現象が雷であると、音からさらに遅れて理解するころには、大雨、大風が島を襲っていた。
「これは、なに!?」
『エストのやつがキレたんだよ!』
『彼らの、巫女ニ向けタ悪意が凄まじいノデス。同じく、レイの身ニモ何かあったヨウデスね』
『巫覡をふたりもどうにかされちゃいそうだから、めちゃくちゃ怒ってんの!』
朝から重く垂れこめていた灰色の空は、今やその色を濃くしてまるで夜のように世界を暗くしている。
「レイには何があったの?」
『知るか! エストも詳しくはわかってねぇっぽいけどな。正気じゃねぇぞアレ』
『あらー。困ったわぁ。エストちゃんはね、ほんとは、カルディアを襲った信仰のない民にずっと怒ってたのー』
自分たちの存在を脅かす、無信仰の民。
今まではレイがいたから祟り神にならずにいたけれど、私とレイを襲う無信仰の民の魔手と悪意はエストの正気を奪うに十分だったらしい。
「どうすれば……」
『とにかく、お前を守りきってあの神様を安心させるのが最優先だろ』
人型をとったイフライネは朱い炎のようなオーラを纏って、窓を開ける。そこから出て行くつもりらしい。
追いかけるようにしてシルファムがふわりと窓辺へ移動したとき、それは起きた。
「──ッ!!」
『……手遅れカモしれマセン』
縦にひとつ、沈むような感覚。私はこれをよく知ってる。
この世界では滅多に、いいえ生まれてから一度も意識したことがなかったけれど。
これは、地震だ。
「ね、もしかしてこれって」
『山だ。山の火が暴れてる!』
噴火が始まる。
「駄目よ! この島にはたくさんの民が……! 今騎士団だってあんなにいるのに!」
『はぁ? この期に及んであの兵隊たちの心配までしてんの? ばっかじゃないの!?』
シルファムの怒りもごもっともだ。
でも、でもエストの怒りを鎮めるのが手遅れだというなら、やれることなんて限られてる。
「ねぇ、あなたたちならできるでしょう? 噴火を止めて!」
『あらー。だめよー。アタシたち貴女を守れなくなるわよー』
「でも、いいえ、大丈夫、私は自分でどうにかするから」
『ワタシたちハ、巫女を守るノガ役目です』
開け放たれた窓から、大きな雨粒が入ってくる。
イフライネも、ウティーネも、ゲノーマスも、シルファムも。みんなが苦しそうな表情で私を見つめていた。
それは、すごく長い時間のように感じられたけど。
「レイはまだ生きてるでしょう?」
『……ああ』
「じゃあ」
『やめてよリア!』
精霊たちは巫覡を守らなければならない。
巫覡の正しい祈りで、彼らは力を得るのだから。
『言うな、リアッ! まずお前を守るのが先だろ……っ!?』
イフライネが必死に制止する。窓辺からすぐ側まで飛んで来て私の左右の肩を強く掴んだ。
朱い瞳は懇願するように私を見つめていたけれど、ごめんなさい、私はその言葉は聞けない。
「その前に島が沈んでしまうじゃない。ね、みんな。……お願い」
『……恨むぞ』
時が止まったように静寂が落ちたかと思ったら、4体の精霊はふわと姿を消した。
きっと、噴火を止めに走ってくれたのだと思う。
──例え……俺たちの意思と違っても。
いつかのイフライネの言葉が蘇る。
巫覡の願いを叶えることが最優先である精霊たちには、酷なお願いをしてしまったのかもしれない。
でも、仕方ないじゃない。噴火はだめだよ。
窓からは、王宮騎士たちの声も聞こえてくる。かなり近づいているようだ。
この天変地異が、魔女のせいだと言っている。
いつ立てたかも覚えてないフラグやっと回収できたー
実はエストちゃんは100年前からイライラしてたんですねぇ




