第94話 主人の指示
レイ君の投獄より少し時間を遡って島。
2020/01/21:ジャンのセリフの一部を修正。ストーリーに変更なし。
「貴女は民を、ジャンを守って頂戴!」
ドリスの耳にいつまでもアナトーリアの叫び声が残り続ける。
日課の散歩の賜物か、たまに出かける狩猟のおかげか、はたまた幼少時からのダンスのレッスンが功を奏したのか、アナトーリアはドリスが思っていた以上に力が強かった。
想定外のタイミングで、想定外の強さで押された自身の体は、何の抵抗もなく噴水の小さな入り口から狭い通路へと入り込んでしまう。
パタンと扉が閉じられる直前の、主人の表情が瞳の奥に焼き付いてしまった。
指示を確実に遂行することを求める強い眼差し。
途中、屋敷の隠し扉から脱出を図ったらしい侍従の一団と合流を果たし、共に神殿の地下室を目指した。
侍従の一団を連れていたガイオは、この場に主人の姿がないことに目を瞠ったが、何か言おうとしたはずの口からは何の音も発されないまま、閉じられた。
細く薄暗い地下道は、永遠に目的地になんて辿り着かないのではないかと思わせる。
屋敷の近くにいて、ドリスとアナトーリアによって庭から連れ出された平民たちは、何事かと口々に侍従団に説明を求めたが、正しく答えられる者など誰一人いない。
一行が神殿の地下から1階の礼拝所へ上がると、そこにはいつもよりも多くの民が集っていた。
丁度、ステンドグラスの設置作業が行われるところだったのだ。
ここ最近いつも神殿にこもっていた内装の施工を担う者たちの他に、カラフルなガラスを取り扱う者たちが加わっている。
「ドリちゃん! これは何事? どうしてみんな神殿に集まってるの。アニー様はどこ?」
地下からわらわらと多くの侍従や民が現れたことで、元々神殿にいた人々は面食らって動きを止める。
その中にあって最も早く異変を察知したジャンバティスタは、侍従団の中にドリスの姿を認め、近づいてきた。
「その……」
何から伝えればよいのか、ドリス自身も混乱を極め、口を開いたり閉じたりしながら視線を彷徨わせる。
手の平を胸の前で上下させ、何か言葉を発さねばと焦るほどに、喉からは掠れた声にならない声が漏れるだけだ。
「王国騎士団が大挙してやって来たのです。最初は恐らく精霊様からお嬢様のところへ報告が行ったものと思われますが、お嬢様の指示を受けて屋敷の窓から確認したところ──」
ドリスに代わってガイオが説明役を買って出る。
ジャンもまた、ガイオの話の途中で神殿から飛び出し、東の海を確認すると、確かに大小さまざまの船が島の東側を埋めていた。
小さな島に遊びに来るには、おびただしい数の船だ。ジャンは王国騎士団の編成について明るくないが、最低でも一個大隊は……つまり千を超える騎士が動いているように見えた。もしかしたらもっと。
よくよく見れば、すでに上陸を果たした騎士団員たちは屋敷や神殿を目指して進んでいる。
とはいえ進むべき道がわからない彼らは、いくつかの小隊に分かれて四方に散りながら動いているようだ。
「で、アニーはっ!?」
頭を抱えながら神殿に戻って来た若き王配候補者は、その鳶色の瞳を建物内に滑らせて愛する者の姿を探すも、見つからない。
ガイオとドリスを順に問うように見つめるが、ふたりの忠実な従者は目を逸らすばかりだった。
「ちょ、俺屋敷に──っ」
問うても明確な回答が得られないと踏んで、ジャンバティスタが再度神殿を飛び出そうとしたとき、彼は衣類を引っ張られる感触に歩を止めた。
振り返ると、ドリスが口を真一文字に結びながらジャンの上着の裾を強く掴んでいた。
「ね、ドリス、離してくれないかな」
声をかけても、ドリスは俯いたまま動かない。
ジャンが自らの上着の裾を握るドリスの手を掴み、指を1本1本開かせていると、あと2本というところで絞り出したような掠れた声がこぼれた。
「……行っては、いけ、ません」
「は?」
「ジャンバティスタ様は、ここにいていただかなければ困ります!」
やっと顔を上げてほとんど叫ぶように言葉を発したドリスの瞳は、涙に濡れている。
「何言ってんの、ドリちゃん。だっていまレイ君もいないんだよ?」
「……」
「なんであの子を置いて来ちゃったのさ。誰があの子を守るの」
「せ、精霊様がいるからと」
また俯いて流れるままに涙を床に落とすドリスの後ろで、やはり苦悩に眉を寄せるガイオが続く。
「騎士団の狙いは自分だからと。ご自分の身にもしも何かあった場合にも、ジャンバティスタ様がいらっしゃればこの島は守られると……」
「何勝手なこと言ってんだよ! アニーがいなきゃ島なんて俺にとって全く価値ないのに!」
突発的にガイオの胸倉を掴んで、文句を言う。
すぐに、本来そのセリフを言うべき相手はガイオではないと思い出して、力なく手を離した。
「あの数を相手では、我々には太刀打ちできません。剣を持つことができる人間だって数える程度なのです、ジャンバティスタ様」
「お嬢様には、精霊様がついていてくださいますから……」
片や悔しそうに、片や祈るように、アナトーリアの従者たちがジャンを説得する。
説得というよりも、自分自身に言い聞かせているようでさえあった。
「なんで一番大事なときに!」
手近な壁を殴りつけたが、石の壁はなんの音もさせることなくジャンの拳を受け止める。
無力感。
守りたい相手に守られる悔しさ、守られていなければ相手の意志を守れないもどかしさ。
──俺はまだ死にたくないから
ジャンがそう言ったのは、確かにこういう事態を見越していたためもあった。
島を、いや、信仰を守るには、不慮の事故等でアナトーリアが命を落としても、その意志を継いで実行できる人物を準備する必要があると頭で理解していたからだ。
決して、現実になっていい話じゃない。
何かできることはないだろうかと必死に考えながら、ジャンが自らの爪先を見つめ、ガイオが固く目を閉じて腕を組む。
その二人の横で、ドリスがひとつ深呼吸をしてから深く腰を折った。
「取り乱して、申し訳ありませんでした」
「……?」
目を丸くする二人の男たちを、真っ直ぐな瞳で見つめ返して、ドリスは一気に言葉を紡ぐ。
「私は、島に住まう方々と、ジャンバティスタ様をお守りするようお嬢様より命じられております。
ガイオさんには、動ける従者を何名か連れてキャンプの見回りをお願いできますでしょうか。多くの民が不安に震えていると考えられます。
それからその他の従者には、高台にあるこの神殿から相手の動きを観察する役目を申しつけていただけますか。
また、ジャンバティスタ様はこのまま神殿内にて御身をお守りくださいませ。私は盾にもなりますが、最終的にはご自身でお守りいただくほかありません」
言うべきことを言いきったドリスは、二度三度と深く息を吸って呼吸を整える。
たまたま居合わせた作業者たちの多くも、遠巻きに3人を取り囲んで彼らのこれまでの話を聞いていた。
「俺ェ、キャンプ戻るわ」
「俺も。喧嘩なら負けねぇぜ」
「負けなきゃお前ここにいねぇだろ」
「あれが最後に決まッてんだろううが、クソボケが」
キャンプの見回りを買って出たのは、随分と体格が良くてガラの悪そうな男たちだったが、ジャンバティスタにはその顔に覚えがあった。
「あれ、おじさん達、アニーを殺そうとした……」
「あんときは悪かったな! 俺らァ心入れ替えったからよ!」
「あの嬢ちゃんが、仕事ねぇなら島に来いって言ってくれてよォ」
初めてステンドグラス職人のもとを訪れた日の暴漢だ。彼らにはアナトーリアの申し出によって仕事が斡旋され、中でも軽傷で済んだ男たちは島で建設作業に従事しているのだという。
男たちは、武器を扱える屋敷の従者を数名引き連れて、小さな町になりかけているベースキャンプへと出かけて行った。
おつよい精霊さまがいるとわかってても、心配なもんですよねぇ。
3人3様、お辛いでしょうなぁ(他人事




