第92話 プロポーズです
もう随分、時間が経った。
私の執務室には、ドリスとジャン。
極秘レベルの話はサロンではなくこの部屋ですることにしているのだけど。
どう切り出していいかわからずに、ただただ時間ばかりが経過する。
窓から見える空は曇り。一面が薄灰色で低く垂れこめている。
島で生活を始めてどれだけ経っただろう。そろそろ春の息吹を感じることもあるのだけど、今日の島はまだまだ真冬だと言っているみたい。
エミリアーノ殿下の立太子記念式典は月末に執り行われる。
だから私も来週末には本土へ戻って、いろいろな行事へ参加しなければならない。
真の主役はエミリアーノ殿下ではなく、私だから。
元々、侯爵位を与って侯国として立国するべしという論調が主流だったのだけど、それでは厳密に王国と信仰を切り離すことができないとして、結局は私が女王となることで落ち着いた。
一連の行事の最後にある調印式をもって、この島は形式的に独立することになる。
もちろん当面はキャロモンテの援助が必要な小国であり、実質的な部分は今までとたいして変わらないのだけれど。
島が国として独立するとあって、あらゆる貴族──国の内外を問わず──から婚約の申し入れがあったけれど、全て断った。
向こう十年は不安定な立場になるであろうこの島国で、誰かと一緒になるなら信頼のおける人がいいと思うから。
国を一緒に背負ってほしいと思うくらい信の置ける存在なんて、片手で足りるほどに少ない。
そのひとりが……目の前にいる。
「ジャン、忙しいのに呼び立ててごめんなさい」
「アニー様のためなら、いつでも、なんなりと」
「なんなりと、ね」
ジャンは最近、デュジーリ商会の本店を島へ移す準備を進めている。キャロモンテは支店にし、他の人間に任せているらしい。
既に小さな城下町然とした元ベースキャンプの一等地に、商会の本店と大きくはないけど堅固な自分の屋敷を建ててもいる。
商売人としての道を断ってしまうのは心苦しいのだけど。
「半月もすれば、新しい島国についての発表がなされます。私は、貴族として生きることはできる。王妃として生きることもきっとできる。けれど、王としては支えなしでは難しい」
「……」
静寂。
ジャンもドリスも、ただ私の次の言葉を待つように真っ直ぐこちらを見ている。
私は室内に響く薪の爆ぜる音になぜか救いを求めてしまう。あの薪が大きく跳ねて全員の意識を集めてくれたらいいのに。
次の言葉を発さずに済むなら、ちょっと壁や床が焦げるくらい、どうってことないのに。
そんな今にも逃げ出そうとする私の中の私を追い出すように、一度だけ強く目を閉じる。
大丈夫、私は間違っていないのだから。
「私はその支えを、貴方に担ってもらいたいと考えています」
「──確認だけど、王配として? 宰相的な立場として?」
「どちらを選ぶかは貴方の希望を第一優先にしますが、私はもちろん、王配にと」
瞬間、暖炉の火が大きく燃え上がった。
温かいながらも、怒りを滲ませる色をした炎はイフライネだ。
私が暖炉の火にささやかな祈りを乗せてしまったから、それが精霊を呼んだのかもしれない。
一瞬燃え上がって3人の視線を集めた火は、すぐに小さくなって何事もなかったようにゆらゆらと揺れている。
それは逆に私の心を落ち着かせてくれた。
「アニー様はいつも気づかないフリをしてくれたけど、俺は君が好きだよ」
「え……」
「言われなかったらコッチからプロポーズしようと思ってたトコ。でも結婚申し込んだ男みーんな振られてるでしょ、だから空気読んじゃった」
気づかないフリ?
私はジャンの気持ちに気づいていて見てなかったのかしら。
いえ、細かいことはあとで考えたらいいし、私が気づいていたか否か、なぜ気づかないフリをしたかなんて、考える必要もない。考えたって仕方ない。
「それなら」
「うん、もちろんお受けするよ。でもね、正式な決定は王国での一連の行事を終えてからにしてほしいかな」
「なぜ?」
「んー。そうだな、……俺はまだ死にたくないから。って言えば認めてくれるよね」
ああ、やっぱりジャンを選んで正解だった。
先見の明と信頼。
これがなければ、国づくりを一緒になんてお願いできないのだ。
これから立国しようとするこの島は、権利関係が曖昧だ。実質的にまだキャロモンテの国土である今、もし私が死ねばその権利は一旦お父様に移るはず。
レイモンドにはまだ国籍がなく、王国は信仰を禁じている。
私の意志を継げる人がいなくなれば、キャロモンテの貴族たちは精霊などいるわけがないと手のひらを返し、島を国家の資産とするよう動くだろうと思う。
私の命はまだ安全な場所にあるわけではない。
調印が済むまでは、表向きには曖昧なままにしておくほうが国家の存続可能性が高まるのだ。
私が、密かにジャンを王配に、または権利相続者にと書面に残しておけば。
レイモンドに先に籍を用意できたなら、巫覡である彼に全ての権利を譲っても良かったのだけれど。
「もちろん構わないわ、ありがとう」
「お嬢様……」
普段、立国に纏わるジャンとの話し合いに口出しをすることなどほとんどないドリスが、小さく声を漏らした。
暖炉の火はまたもチリチリと熱量を上げている。
ジャンの出て行ったあとの執務室は、さらに静かだった。
茶器を片付けながらドリスがちらちらと視線をよこすけれど、気づかない振りをしてペンを取る。
島にいる間は恐らく身の安全は保障されていると考えていい。やはり来週末に王都へ出かけてから調印式までを、最も警戒すべきよね。
最悪の場合も考えながら、島の今後について文書に残しておかないと。
「お嬢様、本家より急ぎの連絡が」
ノックとともに聞こえて来たのはガイオの声。
本家とはキャロモンテのバウド家のことだ。私がまだバウドの人間だからか、侍従のみんなもバウドであることを誇りに思っているのか、今のところは向こうを本家と呼ぶのが主流。
ドリスに目配せをしてガイオを入室させると、彼は手紙の束をテーブルの上へ置いてから、それ以外に二通を私の目の前へ差し出してくれた。
お父様からと、キアッフレードからのものだ。
手早くペーパーナイフで二通を開封して目を走らせる。
「お父様は返事を待ってる?」
「はい」
「では少し時間がほしいので、伝令には寛いでもらって。ドリス、レイを呼んでもらえる?」
若き家令と侍女長が一礼して部屋を出て行くのを待って、もう一度手紙に目を落とした。
キアッフレードからの手紙は、バウドからの情報の共有に関する感謝と、クララの近況について簡単に記されている。
クララもボナートも、予想以上に大人しくしているらしい。
腑に落ちないことがあったとすれば、ビアッジョ・ボナートとカロージェロ・コンテスティが密会していた気配がある、ということ。
彼らは幼馴染とはいえ日常では直接的に関わりがあるわけではないから、確かに不思議だけれど……キアッフレードの言うように、現時点でそれを私たちが注意すべきかどうかの判断はできない。
お父様からの手紙は、私の影を使っているという報告がひとつ。
オクタヴィアンには再度ヤナタへ渡り、現国王やキアッフレードの兄ふたりについて入念に調べさせているとのこと。
何か彼らの汚点のひとつでも見つけられれば、キアッフレードに恩を売りつけることもできるだろうし、キアッフレードが実権を握ってからでは内情を探りづらくなるだろうとの思惑もあるらしい。
トリスタンは、セザーレの報告にあった「亡命」希望者がボナートではないかという推論の元で、再度調査を。
現在はキャロモンテとバルテロトを行ったり来たりする忙しい生活だとのこと。
もうひとつの用件は、国王陛下からレイモンドへ世間話のお誘いだ。
歴史に造詣の深い陛下は、以前お目通りがかなったときからレイモンドとゆっくり話をするのを楽しみにしていらした。
各種式典を前に、少し早く本土へ来ていくらか話でもしようじゃないか、という趣旨の招待がきているらしい。
先ずはレイがその誘いに首肯するか否かを確認してからお父様にお返事をしましょう。
本音を言えば、私はギリギリまで島に残っていたいのだけど……。
なんと夢もロマンもないプロポーズでしょう!!
話し合いの場に出て来て暴れなかったイフ君にみなさん拍手を!




