第91話 すれ違いの想い
『見てた! リアは素直じゃないから嫌い!』
「えっ。突然なに?」
屋敷に戻ると、食事の準備が終わるまで私室で寛ぐことにした。
本当なら仕事を少しでも進めるべきなのだけど、なんとなくそういう気分にはならなくて。
そこへ突如襲来してぴよぴよと喚いているのが、怒りで胸を膨らませたエナガだ。
『リアはレイのこと好きなんだと思ってた』
「やめてってば」
『レイはリアのこと──』
「シルファム」
片手で握りつぶしてしまえそうなほど小さな体を、必死で睨みつけて彼女が言葉を発するのを妨げる。
『初めて狩りをしたとき、ふたりがお花畑で喋ってるの、すっごく綺麗だったよ』
「見てたの? あれは、そうね。初めてレイモンドって人の内面に触れた気がした」
長い眠りから覚めた彼と初めて言葉を交わしたのは、溺れかけた私を彼が不思議な力で助けてくれたときだった。
精霊たちにも神からも愛された彼は、確かに人当たりのいい声音と微笑で、私が島で生活することを受け入れてくれたのだ。
けれど同時に、なんとなく避けられているような気分になることもあった。壁を作っているというべきか。
『レイはリアとどう接していいかわかってなかったから』
「そうなのかもね。あのお花畑でレイが昔話をしてくれたの」
どう言ったらいいだろう。
今まで誰にも吐露したことのない彼への思いを、口にしてしまえばもう胡麻化すことができなくなるのではという不安が邪魔をする。
「いつもカッコよくスマートに私を助けてくれるのに、本当の彼はすごくアンバランスで。大人でも子供でもあったでしょう?
そのアンバランスさに惹かれたのは、うん、確かよ」
シルファムは私の言葉に反応するように、人型をとって向かいのソファーに腰かけた。
真面目に話をしたい、聞きたいという意思表示みたいな気がして、私は苦笑とともに小さく息を吐いた。
『レイは馬鹿みたいにリアにとっての幸せばっかり考えてる』
「どういうこと?」
『巫女の代わりをやらせて、責任を負わせてしまったとか。リアは自分自身のことをいつも蔑ろにするとか、そんなこと』
「本人にも同じこと言われたわ。でもそうじゃない。負担に思ってない」
『嘘だ』
小さな女の子の、あどけない声で紡がれたたった一言の「嘘」という指摘に、私は息を呑む。
いいえと胸を張って否定できない自分にも。
だから考えたくなかったのに。振り返りたくなかったのに。
ゲノーマスと二人で歩く山の夜道に、レイが狼から助けてくれたあの夜のことを思い出したくなかった。
何か考え事をするたびに、胸に光る虹色のクリスタルに触れる癖なんて持ちたくなかった。
狩りに出かけるたびに、レイに支えてもらったあの日を思い出すのが苦しかったし、前世という共通点に気づいてからは、その気安さや安心感が怖かった。
「彼は民からも慕われてる。巫覡と民の距離が近いのは良いことでしょう? 私と同じ立場に立たせることはできない」
『リアだって慕われてるじゃない』
「それはまだ、未来の女王にすぎないから。玉座に座れば彼らに都合のいい政策ばかりもしていられない」
『でも』
貴族や王族の世界を知らない彼を、ここに縛り付けてはいけない。
民と触れ合う日々を失わせてはいけない。
国にとってもそう。確固たる立場を持たない彼は、いつかきっと国外から格好の攻撃材料にされる。
国を危険に晒すわけにはいかない。彼のせいと思われる状況で、国を危険に晒すわけには。
「この話はおしまい。我を押し通していい立場にないんだから、考えたって仕方ないでしょう」
『やっぱり好きなんじゃない。考えないようにするくらい、レイのこと──』
立ち上がったシルファムが前のめりになってテーブルに手をついたとき、控えめなノックの音が室内に響いた。
「お嬢様、お食事の準備が整いました」
「ありがとう」
ドリスの呼びかけに応じてソファーから腰を上げたとき、すでにシルファムはそこにいなかった。
ただ冷たい風が私の頬を撫でていって、考え直せとでも言われているような……いいえ、本音を言えば考え直したい私がそう感じただけね。
私は間違ってない。
◇ ◇ ◇
「うっわー怖い顔。レイ君もそんな顔するんだー」
「何の用だい?」
アナトーリアと別れ神殿に戻ったレイモンドが、前庭の噴水に腰をかけて空を眺めていると、幻想的な星空に似つかわしくない軽い声が飛び込んできた。
「もうすぐ、王国はとんでもないお祭り騒ぎになるよ」
「だろうね」
エミリアーノの立太子記念式典、伝説に関する最新の解釈とレイモンドという存在の発表、キャロモンテ国内における精霊の否定と信仰の禁止、エスピリディオン島の宗教国家としての発足。
それらを一時に民の眼前へ放り投げるのだ。
フィルディナンドやクララの存在、それに対する国家の失態などをあげつらっている暇はない。
黒髪黒目の男は天災を食い止めるのか? 精霊はいるのか? 信仰のある世界とは? 新しい国の住み心地は?
「実質的な独立はずっと先だけど、これらの式典を終えてしまえばカタチだけはもう立国さ。移住希望者の受け入れも始めるし、動ける者からさっさと働いてもらう」
「ああ」
家はまだまだ足りない。
林業も酒造業も、採掘も狩猟も、西側の山を切り開いていかなければならないし、交通網の整備も急務だ。
「アニー様は死ぬほど疲れると思う」
「想像に難くないね」
「だから俺は、アニー様を笑わせるためならなんでもする。商売やめてもいいし、そのための準備も進めてる」
「……」
傍らに立ってレイモンドを見つめていた茶色の瞳は、ふっと和らいでその視線をレイモンドの背面の噴水へと移動させた。
「最初は俺から結婚を申し込もうと思ってたんだけどー。たぶん、アニー様からプロポーズされる気がするんだよねー。わくわくしちゃうなー」
「彼女のほうに男女の感情がなくても結婚を?」
「そりゃーするでしょー。結婚を申し込みたいと思うくらいには憎からず思ってる相手なんだし? 断る理由ないよねー。
それに、結婚すれば時間はあるからねー。愛させてみせようってなもんよ」
ゆっくりと歩を進めたジャンバティスタが、やはりゆっくりとレイモンドの隣に腰かける。
風が強く吹いて、背後の噴水から飛んだ飛沫がふたりの背中を湿らせた。
「俺は俺の幸せのために、多少汚くてもやれることはなんだってやるよ。今までも、これからも」
「僕は覡だから、汚いことはできない。だけど、彼女がこの島にいる限りいかなる脅威からも守るし、そこに婚姻の有無は関係ないんだ」
見上げた夜空の月は猫が引っ掻いたみたいな三日月で、レイモンドはそこに憎らしい猫を思い出した。
──お前は、その手で守ってやりたくねぇのかよ
いつかの猫の言葉がレイモンドの頭を駆け巡る。
「なるほどー、そういうことね。完全に理解……はできないなー。俺は強欲だからさ、好かれもしたいし、婚姻の有無は必要ってワケ」
「僕も強欲だよ。婚姻の有無に関係なく、彼女をみすみす他の男に奪われたくはない」
「わお。それ、レイ君のイメージちょっと変わるなー」
噴水の水をまき上げていた風はいつの間にか静かになって、ジャンバティスタがくつくつと笑う声が広い庭に響く。
遠くでピスキーがこちらの様子を伺っては、草木の陰に隠れているのを見て、レイモンドは内心でこの会話をアナトーリアに告げ口されないことを祈った。
「でもそれなら急いだほうがいい。王国でのお祭り騒ぎが落ち着くころには、アニー様も動き出すよ」
「随分と親切な忠告だ」
「うん、すでにちょっと後悔してる」
ジャンバティスタの力ない微笑みに、レイモンドもつられて笑う。
立ち上がってレイモンドに背を向けるジャンバティスタは、初めてふたりが会ったときよりも、いくらか体が大きくなっていた。
島を歩き回っていれば多少は自然にそうなるものだ。
しかしジャンの体付きはそれだけにとどまらない。きっとある程度のトレーニングもしているのじゃないか、とレイモンドは勘付いた。
いつだったか自身がそうしたように。
そして、頭脳戦を好むジャンバティスタが、何かの足しにでもなればと体を鍛えているのだと思えば、アナトーリアの置かれた立場の危うさが伺い知れた。
「親切にしてくれたって譲らないよ」
「お互い様ー」
ひらひらと手を振りながら去っていくジャンバティスタをしばし眺め、意を決したように立ち上がる。
左手首の組み紐に触れて「よし」と小さく呟いた。
ジャン君ってこうやって誰かと二人だけで話すシーンが目立つなって思ったんですけど、ジャン君だからなって勝手に納得しました(´・ω・`)
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