第90話 これからの計画です
その後、私はエストに、国として必要になるであろう島の土地開発についての予測を詳らかにした。
まずは漁業。
ウティーネの仕業なのか、単純に海流の問題なのか、島の周囲で獲れる魚はキャロモンテの周辺海域で獲れるものと少し違うらしい。
キャロモンテでは高級魚とされるものも、この周囲ではよく獲れる。
海に囲まれた土地として、漁業は最も盛んになるだろうと考えられた。
次に林業。
島の半分以上は深い山が覆っていて、火山であることも含めて人が住むには難しい土地が多い。
けれど森や山の少ないキャロモンテにとって、木材はほとんどが他国からの輸入に頼るしかない。
距離を考えれば、島から買い求めれば輸送費が抑えられるはずで、キャロモンテは良い顧客となり得るのだ。
それから、酒造業。
エストのためのお酒をジャンが口にしたとき、かなりお気に召したらしく、商品として取り扱いたいと言い出した。
あまり多くを製造できるとは思えないけれど、それならそれでプレミア価格にするだけだからと、敏腕の商売人は楽し気だ。
さらにドリスが言うには、この神殿の庭にあるハーブで酒を作っても美味しいはずだと。
それであれば、ハーブ畑を新たに作っても良いと思ってる。
「石に興味を示さんとはな」
「ジャンも勿体ないと言ってたわ。クリスタルは、魔導開発にも多く使うはずだって」
「まぁ、石の輸出は許さんが」
「言うと思った」
以前、イフライネが言っていたことがある。
ヤナタにはエーテルの結束点があって、土地神も精霊も存在するのだ、と。
裏を返せば、この島にもその結束点というものがあるということ。
私はエーテル学にそこまで明るくないけれど、エーテルを多く含むクリスタルを魔法石と呼ぶのじゃなかったかしら。
島のクリスタルは、もしかしたらそれだけで強い力を持っているかもしれない。
または……この土地からクリスタルを減らしたら、土地のエーテルの流れにいつか異変が生じるかもしれない。
結束点があることとクリスタル総量の因果関係はわからないけれど、この土地にクリスタルが多いなら、多いままにしておくべきだわ。
「石を持ち出さんのなら、好きなようにやればいい。山を崩したり、川の流れを変えたり、地を掘ったり、それらは精霊どもに確認しながら進めるのじゃ」
「ありがとう、エスト」
自給自足できる程度の鉱石の採掘許可をもらって、私とレイモンドは神殿をあとにした。
火山があるのだから、硫黄もまた主要な資源になるだろうと思っていたけれど、銃の開発を進めているキャロモンテに、火薬の原料となる硫黄の輸出はできない。
これもまた、自給自足の範囲内で使わせてもらいましょう。
このあと、キャロモンテから正式な発表がある前から、この島で働くような事情通の民から優先的に移住の受け付けを始めるつもりだ。
新しい国に、貴族政治は必要ない。
民が、民の代表者を選出して、自分たちの国を作ってくれればいい。
そのために私がすべきなのは、民が自主的に動くための地盤づくり。
最初は彼らもやるべきことが思いつかないかもしれないから、方向を提示して導くほうがいい。その先を切り開いていくのは民だ。
「エストの許可がおりたってことは、次は庶民政治の準備かい」
「そうなるわね。ドリスとジャンが、海、山、酒それぞれの専門家をピックアップしてくれてるの。彼らを引き抜ければ、雇用を創出できるようになるわよね」
屋敷までの帰り道、ゆっくりと遠回りをしながら歩く。
空はもうすっかり暗くて、星が煌めいているのが木々の葉の隙間からもわかった。
「ジャンの負担が大きいように見えるね」
「ええ、彼には商売の範囲を大きく逸脱させてしまってる。けれど、あの頭脳と人当たりの良さはこの国に必要なの。商売人としてではなく……」
ジャリ。
私の後方でレイモンドが地を踏みしめる音が響いた。立ち止まったのだと理解して、振り向く。
この暗い山道で、誰に見咎められることもなかろうと浅く被ったフードの中では、レイモンドが眉を顰めながら私の瞳を見つめていた。
「レイ?」
「ジャンに何を求めている?」
レイモンドはたまに鋭い。
私はここで思い描いていることを言うべきか否か逡巡して、ただ口をパクパクと鯉みたいに動かした。
ジャンを王配に。
どうしても彼が商売に携わりたいというなら、国家直営の商会を作ってもいい。
それでもあの頭脳と行動力を、島のために奮ってほしいのだ。もちろん、彼が他の女性との婚姻を望むならば宰相として迎えてもいいけれど。
庶子といえど男爵家の人間。その身分差に反対する人物も少なくないだろうけど、私はこれくらいの身分差のほうがちょうどいいと思っている。
むしろ、これまで信頼を築き上げてくれた彼以外に誰が。
「今度話すわ」
私の選択に間違いなどあろうはずがない、そう思っていたのに。
彼を王配に考えていると、レイモンドに告げるのを先送りにしてしまう。
「わかった。僕にできることは?」
「こないだも言ったけれど、レイには移住を決めた民や、移住を迷っている民に精霊についての話を──」
「もっと他に」
細めた黒い瞳には焦りのような色が見える。
私は、これをほんの少しだけ、嬉しいと思ってしまう。
頼ってほしいと思ってくれているのかしらと期待してしまう。
いいえ、頼ってほしいのは確かなのだろうけれど。その奥にもっと個人的な想いがあるのじゃないかと……。
そんな意味のない夢を頭の中から追い払って、もちろん、と頷いて見せる。
「精霊に民の声を届けることができるのは、私とレイしかいないの。これから国を動かしていく上で精霊の力は必要不可欠。つまり、事業を具体的に進めるにはレイがいてくれないと」
「そうだったね」
レイの静かな声が、山の木々の奥へと吸い込まれる。
私の回答ではまだ不足があるのか、レイモンドはこちらを見つめたまま動かない。
まだ何か言いたいことがあるのだろうかと首を傾げたとき、大きく吹いた風がレイモンドのフードを脱がせた。
「君は彼を好いているのかい」
その質問は、レイが私の考えを予測していることに他ならない。
真剣な目。ずっと昔にも見たことがある真っ直ぐな瞳。随分と大人びて見えた当時は、その瞳に幾ばくかの不安が見えたけど、今は年相応の意志と覚悟が感じられた。
「リア、僕は」
言葉を区切ったレイを、ただ見つめる。
このあとに続く言葉を聞かないほうがいいという予感と、聞きたいという純粋な欲求とでがんじがらめにされ、耳をふさぐことも次を促すこともできない。
そして見つめていたからこそ気づく、一瞬の躊躇い。
「……今夜は神殿で過ごすよ。ゲノを呼ぶから送ってもらうといい」
「え……?」
フードを深く被りなおして踵を返したレイモンドの背中を見送っていると、足元にふわりと柔らかな感触が訪れた。
これで良かった、聞かなくてよかったのだと安心する一方で。
『リアは、レイを好キではナイですカ』
「ゲノーマス、やめて」
その感情を自覚させないでほしい。
知らないで済むならこのままがいい。好きかそうじゃないかで人生を決められる立場にないのだから。
年の差がネックだったあの頃は良かった。
諦めるための理由にも、感情を膨らませない方法にも事欠かなかった。
これはただの身分差じゃない。
彼は国が国として立ち上がるまで、戸籍すら持たない存在のない存在なのだ。
それを一国の王配になど誰が認めようか。祝福の無い婚姻など彼に与えてはいけない。
エスト君のお酒はピスキーちゃんたちが作ってるんですよぉ。
ゲノちゃんお手製の特別熟成樽!
ウティーネちゃんお墨付きの清浄な水!
イフちゃんの怒りの繊細な加熱コントロール!
シルちゃんの愛のこもった応援!
みんなの協力で実現する蒸留酒。
この国はそのうちアブサンとか作るに違いない