第9話 様子見です
これからしばらく、どんどん風呂敷(設定)を広げまくって自爆していく回が続きます
これは一体どういう状況なのかしら……。
私はかれこれ10分くらい、もしかしたらもっと多くの時間、体中を蹂躙されている。
左から右への反復動作をしていた右手を止めると、膝の上の朱くて丸いものがガシガシとその手に攻撃を仕掛ける。
体側では、特大の真っ黒な尻尾が縦に横にとゆっくり揺れ、私の左腕をくすぐっている。
また、真っ白なエナガは、私と少年の間に、まるでお菓子のブールドネージュのように鎮座し、小さなリスは私の肩や頭の上を走り抜けた。
膝の上に乗ろうと企らむ金色のウサギは、猫に蹴り落とされ、それを避けようと白いお菓子がほんの少し羽ばたいては戻る。
気が付けば、湖の周りには鹿や馬、狐にタヌキ、熊もいた。
動物だらけの光景は、癒されると言えば癒されるのだけど、置かれた状況の不可解さが私を落ち着かせない。
「え、えっと、あなたはこの島で暮らしているの?」
もっと撫でろと爪を立てる猫をいなし切れず、また左から右への反復動作を開始した私は、状況の打開策、または現実逃避の一つとして、横に座る少年に話しかけることにした。
「そうさな、儂はこの島そのものじゃ。暮らすという感覚とは違う」
最初の神秘的な印象と、泰然とした構えのおかげで、彼はすっかり年齢不詳なのだけど、その容姿だけを見れば10歳にも満たないほどだろう。
舌足らずで、どこか間延びした物言いは確かに子どもらしい。
だけど、その言葉の意味を理解するのは難しい。
島そのものとはどういうことだろう?
もしかして、長く島外と交流がなかったせいで、本土と教育水準が違っている可能性もあるだろうか。
返答に困って曖昧な笑みを浮かべていると、少年は、二人の間にいたエナガとウサギを、それぞれ背後に寝そべる狼の背に乗せたり、湖に放流したりしてから、私のほうへとにじり寄ってきた。
「お主、名前は?」
「あ……アナトーリア。アナトーリア・バウド」
見つめ合ってわかる、少年の瞳はすごく不思議な色をしていた。
虹色と言うのが近いだろうか。光や角度によっていくつもの色が浮かんでは消え、真実を見せない。
真っ白な髪は瑞々しく健康で、子どもらしいもっちりとした肌はきめ細かく、光に当たってほんの少し産毛が輝くのもまた綺麗だと思う。
「あなとーりあ」
少年は、猫を撫でていた私の右手をとって、名前を呼びながらその甲に小さく口づけた。
「ッ!?」
私の手をとる彼の手も、ちょこんと触れられた唇も、ふんわりしてとても柔らかい。
手の甲に口づけられただけだというのに、私はひどい罪悪感だとか羞恥心だとかに襲われて体が固まる。
ただその口づけられた場所が熱を帯び、全身の血流が騒がしくなった気がした。
『りあ! りあだって!』
『あなとーりあだよ』
『長いよぉ。りあがいい』
『うん、りあにしよう! りあ!』
突然、小さく鈴が鳴るようにたくさんの声が聞こえて来て、私は思わず周囲を見渡した。
すると、さっきまで居なかったはずの、得体のしれない生き物がたくさん私の周りを飛んでいるのが見え、息を呑む。
「え、この……」
「見えたか? それはピスキーと言って、儂の遊び相手よ。わかりやすく言えば妖精の一種じゃな」
体長20センチほどだろうか、背中の薄羽をパタパタとはためかせて飛ぶ彼らは、ヒトのカタチをしているようで、確かに本に見る妖精なのだけど。
「妖精って……」
一体全体、この島はどうなっているのか。理解が追い付かないまま茫然とする。
なんだこれは! と大仰に驚けるのは、状況を、自分の住む世界や環境を、正しく把握した状態であるからこそなのだ。
港を出発してから不思議続きの私にとって、もはや「普通の世界」がわからない。
「それから、足か。ヒビじゃなそれは」
「え?」
少年は、ヨイショと呟きながら四つん這いになり、前に投げ出したままの私の右足のそばへ、数歩進む。
四つん這いでお尻をこちらに向けている少年。
体にまとった布地の裾から、ほっそりとした足が伸び、ピッポ伯がこれを見たらさぞやと考えて、慌てて首を振った。
彼は小さな子どもの愛らしさについて力説するだけで、決して、そう、右丞相がまさか幼子を性的な目で見てなどいない、はずだ。
少年が手を右足の患部へかざすと、その部位だけがじわりじわりと温かくなって、痛みが引いていく。
「どうじゃ!」
自慢げに振り向いた少年の笑顔があまりに神々しくて、私は思わず目を細めた。
が、それよりも、だ。
気が付けば、右足は痛みなど最初からなかったみたいに軽い。
その場でくるりくるりと動かしてみても、違和感すらない。
一体どうやって? 何が起きたのだろう?
『あらー。エストちゃん、しっかり説明してあげたらどうー? この子、固まってるわよー』
湖のほうから女性の声が聞こえ、少年の母親かとそちらへ視線を巡らすも、人影はない。
「説明と言ってものぅ」
『あらー。じゃあアタシから説明していいー? りあちゃん、この島の歴史については知ってるかしらー』
「……?」
やはり見つからない。周囲に誰もいないのに、一体どこから──。
『あらあらー。アタシはここよー、こ、こ』
パシャリ、湖から水音がしてそちらを向くと、ウサギが湖で上手に浮かびながら、鼻をヒクヒクさせていた。
「え?」
ウサギと目が合う。
動物の表情など私にはわかるはずもないのに、なぜか彼女が笑ったように感じた。
「う、ウサギが喋ってるんだけど!?」
「あれはウサギではない、ウティーネじゃ」
『あらー。今はウサギでも間違っていないけれどー。ふふー』
夢だ、私は絶対にまだ夢を見てるんだわ。
どこから夢? できればパーティーの始まる前から夢であってほしいのだけど。
『てか余計固まってんじゃん』
今度は若い男性の声が。しかも、私の、膝の上、から。
「ねこがしゃべ──」
『火のサン、アナタまで口を出しタラ……』
『あらー。みんな黙ってー。次は狼が喋ったって、今度こそ魂抜けちゃうわよー』
全くだ。
これだけ動物が人語を繰っても、まだ魂がかろうじて残ってるのを褒めてほしい。
「待って、待って、ウティーネって言った?」
『はぁーい。アタシがウティーネでーす。うふふ』
ウティーネと名乗ったウサギは、水中でゆっくりと旋回してから、勢いよく地上に飛び上がった。
「ウティーネって、精霊の?」
『あらー。正解ー。一応紹介するとー、そこの図体ばっかり大きな狼がゲノーマスで、雪玉みたいなのがシルファム。イフライネがその猫よー』
恐る恐る顔を下に向けると、私の膝の上で丸くなっていた朱い猫が、体を起こして座り直すと、右の前足を少しだけ上げた。
『おっす』
キャラの設定を考えてる段階ではピッポ伯にあやしげな趣味嗜好は持たせてなかったんですけどねー、なんか知らんけど指が動いたので、仕方ないですね。