第89話 神様とお喋りです
屋敷の庭と比べれば質素。
それが神殿の前庭の第一印象だった。いろいろな種類の花が気ままに咲き乱れる屋敷の庭とは違って、こちらは常緑だ。緑の中に思い出したように紅い薔薇が咲いている。
少しの紅はまるで気まぐれなピスキーのイタズラのようにも見えて可愛らしい。
神殿の入り口の手前には立派な噴水。
屋敷にあるものとは違って、凝った彫刻や飾りの類はないのだけれど、水の中に水湧石が隠されているのか、いくつか高く高く水が吹き出して鋭い弧を描き、細かい飛沫が水面に複雑な模様を作り出している。
島に居を移した日、ゲノーマスやイフライネからも神殿の庭の素晴らしさは聞いていたけれど、初めて見たときは立ち止まって何度も何度も見渡したのを覚えている。
朝と夕のお祈りの度に神殿を訪れているけれど、ヒトと精霊の共同作業だと思うとその感慨もひとしお。毎回つい見入ってしまう。
「お主、飽きる様子がまるでないな」
「エスト! いつからそこに?」
気がつけば、真っ白な髪を陽の光に輝かせる綺麗な男の子が背後に立ってこちらを眺めていた。虹色の瞳は楽しげに細められている。
「最初からとも、いつでもとも言えるな」
「哲学ね」
「神に哲学は通用せん」
さあ行くぞとでも言うように、エストは私とレイモンドの横をすり抜けて神殿の方へと歩く。その後ろを、小さなウサギがぴょこぴょことついて歩いていた。
「そう言えば、お主ら彫刻の進捗は見たか」
「いいえ、まだ」
「そうじゃろう。あの彫刻家、随分と秘密主義じゃ。儂は作業を真横で見ておるのにの」
神殿の正面には、柱が6本並んで見える。中心の2本はごくシンプルで、縦に細かく線が刻まれているだけ。
けれどその左右の計4本は、周囲を大きな高い壁で目隠しされていて状態が全く見えないのだ。
彫刻家のブリツィオ氏は、建築家であるカミーロ氏以外にはその作品を見せていないらしい。
本来ならカミーロ氏にも見せたくないのかもしれないけれど、あくまでも柱だから建築家は状況が気になるのだと聞いた。
「羨ましいわ。どうだった?」
「どうじゃろうな。儂は人間の芸術は解さんが、精霊どもがどんな反応をするのか今から楽しみじゃ」
「みんなは見てないの?」
「彼奴らには覆いがとれるまで見ぬよう言っておる」
あー。
私は、エストの目を見てなんとなく理解できた気がした。
新しいオモチャを見つけた子供のような、キラキラした瞳。エストがオモチャを見つけたのなら、それはそれは楽しい反応が期待できるというもの。
私の隣ではレイモンドがフードの奥で口の端を上げていた。苦笑にも見えるし、単純にもっと楽しそうに微笑んでいるようにも見える。
「お主ら、今日こそは付き合ってくれるな?」
「善処するわ」
私の曖昧な返事に頬を膨らませながら、エストは神殿の奥へと姿を消した。
神殿そのものはほとんど完成していて、例えば柱の彫刻、例えばステンドグラスといった装飾や、内装が現在の課題だ。
エストは神殿がある程度のカタチになるとすぐに移住したのだと聞いた。
その頃には、私もレイモンドも本土のバウド邸で過ごしていたし、キャンプにいてもつまらなかったのかもしれない。
島に戻って来た今も、私やレイモンドが立国の準備でパタパタしていて、エストとゆっくりお喋りをする時間がとれないものだから少し拗ねているのだ。
ああでも……、国の財源を確保するためにも、エストへの確認はいくつか必要だろう。
「日課のお祈りを終えたら、少しお喋りしていこうかしら」
「いくらエストでも、お喋りを餌に無茶な土地開発は許さないよ」
私の呟きに、レイモンドが苦笑する。
どうやら下心が見透かされていたらしい。私だって無茶な開発はしたくないけれど、ジャンがやれって言うから、と内心で独り言ちて責任転嫁する。
「で、近況は?」
「民の口の端にのぼるようなことはもう知っているのでしょう?」
「まぁな」
神殿は、1階広い礼拝所になっている。
最奥にはひときわ大きなクリスタルが置いてあったけれど、恐らくあれが仮の信仰対象だ。
つい最近になって再生したばかりの精霊信仰において、前世にあったような十字架や像のような崇めるべき偶像はないから。
入り口を入ってすぐに左右に2階へと続く階段があって、一般的な宗教施設にありがちな集会室だとか、神殿に住まう人のための部屋などが用意されている。
私たちがいるこのダイニングルームも2階の一角だ。
今のところ、この神殿に住む予定があるのはレイモンドだけなのだけれど。
いつか、身寄りのない子供たちや仕事を失った人がいれば、神殿で生活してもらうようなこともあるかもしれない。
「本土では、少しずつ伝承の訂正が進められてる。定期的に人々に正しい伝説の意味を噂させてね」
「フハハハ。レイモンドが人間の信じる伝説の巫女とも限らんじゃろうに、いいのか」
「いいの。レイモンドの存在を周知させられればそれで」
巫覡はいつだって黒髪で黒目だ。
だから、人々が伝説だと騒ぐ巫女が、実際にどの巫女を指しているのかなんて、精霊たちにはわからない。
単に、精霊信仰を失った人々が長い時を経て初めて黒髪黒目の人物を発見したから取り沙汰されているだけとも言えるのだから。
「信仰を切り離すとは、キャロモンテの連中は思い切ったことをする」
「そうね。これから本土に自然災害があっても、エストは助けてはくれない?」
「信仰をこの地に限定するなら、恐らく儂の力も届かんじゃろう。今までがそうであったように」
助けるとか助けないとかそういう話ではない。どうしたって不可能になるのだ。
椅子の上で膝を抱えるようにして座っている少年が、膝に顎を乗せた格好で上目遣いに私とレイモンドを交互に見つめた。
「リア。今後もし直接的な戦いが起こるようなとき、儂らは巫覡は守るが」
「民は守れない」
「うむ。お主の家族も含めてな」
「侵入を防ぐことはできる?」
「まぁな」
本土から信仰が失われ、島は荒らされることのないよう自衛する。
今までがそうであったように。
ああ、これが私に求められた島の姿だった? 今までと何か変わった?
より多くの人に、精霊や神の存在を思い出し、そして祈ってもらわなくてはいけなかったのに。
もしかしたら、自分の為したことは無意味だったかもしれない。
キャロモンテに対してこれ以上の布教が難しくなるという意味では、大失敗だったかもしれない。
考えないようにしていた可能性を、エストと落ち着いて話すことで改めて認識する。
「大丈夫だ。彼らが戦を仕掛けてこない限り島の門戸は開くし、交流の先に無意識の信仰が根付くことだってある」
「ふ。いつの間にか大人になりおって」
レイモンドが発した静かな、けれどはっきりとした言葉は、私の心を黒く染めかけた考えたくない可能性を、煙のように打ち払ってくれた。
そんなレイモンドをエストは目を細めて眺めた。少年なのに、親みたいな目で。
久しぶりに神様登場しましたー
寂しくてちょっと拗ねていたようです。




