第87話 犯人の尻尾です
私とレイモンドが島に戻ってから数日。
本土からの定期連絡船が到着して、島にやって来たのは新たな資材とガイオ、そしてバルナバだった。
一領主としての独立であれば、エルモが私の家令として島へ来てくれるはずだったのだけど、国を分けるとなっては事情が違ってくる。
エルモはキャロモンテに生まれたのだから、キャロモンテで人生を終えたいのだ。
バウドの家令の後継として育てられていたガイオだけど、元々他国の出身でキャロモンテ王国に対して深い情を持たない彼が、私の元に来てくれることになった。
「ガイオ、ありがとうね。屋敷の状況については、ドリスから聞いてもらえるかしら。彼女がこちらでは侍女長なの」
「承知しました」
「今日は荷物を置いて、ゆっくり休んで。仕事は明日からで構わないから」
ホールに現れたガイオの手荷物は少なくてびっくりしたけれど、調度品も日用品も全て揃っているのだから、男性の荷物と言えばそんなものなのかもしれない。
今日はお休みでいい、と言った私の言葉にニコリと笑顔を返して、ガイオはドリスに案内されながら階段を上って行った。
あの表情は、たぶん早速働き始めるつもりに違いない。
「バルナバはどれくらいこちらに滞在を?」
「お嬢が急いで向こうに報告したいことがあるなら、明日にでも戻るよ」
「ん、特にないし、あっても他の人にお願いするから、少し島で休んだらどう? トリスタンにはだいぶ鍛えられているのでしょ?」
「まぁな。でも休むのは性に合わねぇよ」
ニヤリと笑うバルナバの表情は、そんな鍛錬が辛いとか大変だとかいうわけではなく、むしろ楽しんでいるようにすら見える。
影になったと聞いたときには、彼をバウドの屋敷へ導いたことが本当に良かったのかと悩んだけれど、こうやって前向きにしてくれるなら安心だわ。
「それじゃあ、もし何か報告事項があるなら聞かせて。その後は好きにしたらいいわ」
「おう。いくつか連絡だ」
ちらりと周囲に視線を走らせたバルナバに、どうやら大きな声で言えるような話ではないようだと見えたので、私室へ案内することにした。
ドリスはガイオの案内で忙しいだろうし、難しい話をするのに他の侍従は呼ばないほうがいいかもしれない。
……お茶は私が淹れましょう。お茶くらい、淹れられるもの。
「いやいやいやいや、それは茶葉多すぎるって。俺でもわかるわ」
「ええっ? そうかしら」
「ほらー、ちょ、溢れるって! 落ち着け、俺がやるから座っててくれ」
ティーポットにお湯を注ごうとしたところをバルナバに止められて、結局続きはバルナバがやってくれることに。
バルナバはちょっと大袈裟すぎると思う。きっと彼の淹れるお茶は薄いのだわ!
カチャカチャと不器用にお茶の準備をするバルナバは、薄っすら笑いを堪えているように見える。
「茶も満足に淹れらんねーんじゃ、嫁にいけねぇぞ」
「お嫁にはいかないもの。だからいいの」
私の言葉に、バルナバは手をとめてこちらを振り返った。
ほんの一瞬だけ驚いたように瞳を揺らすと、またお茶の準備に戻る。もう表情は見えない。
「……いいのかよ、それで」
「どういうこと?」
「結婚てのはさ、好きな奴と一緒になるもんじゃねぇの? うちの親はそう言ってた」
バルナバのご両親は、お互いを好いて一緒になったのだと知って、私はちょっと笑った。
だから彼はあんなにピエロを大切にするのかもしれない。
「貴族は民のために──」
「アンタはいつもそうだな。初めて会った時も無駄死にしようとしてた」
「少し前にレイモンドにも似たようなこと言われたけど、民をおいて優先することって思いつかないの」
何も言わず振り返ったバルナバが、いい香りと白いホワホワした湯気をたてるカップをテーブルへ静かに置く。
色も香りも、ドリスが淹れてくれるのと大きく違わない。
「今の俺も民?」
「ええ、昔トリスタンにも言ったのよ。私だけでなく民を守ってほしい。その民には貴方自身も含めてほしいと」
「レイモンドは?」
「──っ?」
思いもしない名前が出て来て、私は言葉を失った。
なぜレイモンド?
思考が停止したまま、無意識に差し出された紅茶を飲む。
「ドリスの次に美味しい……」
「ハイハイ、わーってるよ」
バルナバは、どうしたって追い付かないとでも言いたげに肩をすくめて見せ、私と扉の両方が見える位置に立った。
今、彼が立つ位置からは二つの扉と窓が視界に入っているはずだ。扉はもう一つ彼の背後にあるけれど、きっと常に気配を探っているはず。
室内ではできるだけそういう位置に立つのだと、出会ったばかりの頃にトリスタンが誇らしげに話してくれた。
そのあとオクタヴィアンに「言わないほうがプロっぽい」とからかわれていたけれど。
懐かしいやり取りを思い出して落ち着きを取り戻したところで、私はバルナバに本題に入るよう目で促す。
「バルテロト潜入中のセザーレからふたつ。一つは、キャロモンテの誰かがバルテロトと亡命に関する相談を進めていると。
キャロモンテの軍備情報と引き換えに、バルテロトでの安全とそれなりの地位を求めているらしい。
ふたつめは、お嬢の冤罪事件に用いられた宝石の出どころは、やはりバルテロトの王家や上級貴族御用達の宝石商だった。
亡命希望者と、冤罪事件の黒幕は同一人物だろうってさ」
亡命……。
これは少々意外だった。キャロモンテにおける地位を捨てるほどの覚悟をもっての行動だったのか、それともバルテロトでの生活の方が理想であったのか。
いや、持ち出すのがキャロモンテの軍備情報であることを考えれば、侵略後にかなりの報酬が得られるだとか、そんな話になっているかもしれない。
キャロモンテに守るべき立場や土地がないなら、その誰かさんは多少の無茶も厭わないだろう。
どうしても眉間に寄ってしまう皺をぐりぐりとほぐして、さらに続きを促す。
「ここまではソラナス卿の手引きがあったからどうにか調べられたけど、これ以上の追及は危なそうだって言うから、お館様が切り上げていいって指示してた」
「わかったわ」
軍備に関する資料の持ち出しがあるかもしれないけれど、その辺りはお父様とお兄様が手を回すだろう。
少なくとも私にどうこうできることではないから、手遅れでないことを祈るだけね。
「んで、オクタヴィアンから」
「はい」
「誘拐事件で開発中の魔導兵器を盗み出した魔導部のアレン」
「ええ、亡くなった方ね」
平民出身だけど、魔導部の開発チームを背負って立つと期待されていた人。キアッフレードも目をかけていたらしいと聞くけれど。
誘拐事件のあと、川原で物を言わぬ姿で発見されたのだ。
「将来を誓い合った女性がいたんだそうだ。最近になってやっと、その女がオクタヴィアンにアレンからの預かりものを託してくれたとさ」
「……続けて」
嫌な予感しかしない。
残されたその女性はどんな気持ちで。
その女性は、政争に巻き込まれたかもしれない婚約者からの預かりものを、誰に託せばいいかわからずにいたらしい。
彼が亡くなって半年以上の間、月命日になると必ず彼の墓に花を手向ける身なりのいい男を頼ることにした。それが、オクタヴィアンだった。
「アレンは、その女性をだしに脅されていたらしい。どう脅したかまではわからないが。一矢報いるつもりだったのか、アレンが脅迫者に密かに魔導部で開発した発信機を取り付けたところ、その機械は……ボナート公爵邸に留まった」
「あぁ……」
状況証拠にすぎない。ボナート公爵が脅迫者を雇っていたと証明するものではないのだから。
けれどほぼ決定的な証拠と言って差し支えない、わね。
悔しい。
どうして、なんの罪もない民が。
将来を期待され、愛する人との素晴らしい未来が待っていた人が。
「アレンはバウド派だった」
「は?」
「平民だからな。バウドは平民の支持が強い」
「だからアレンを選んだって言うの?」
「正しくは、バウド支持の平民だから、らしい。居なくなったところで全く困らない人物ってわけだな」
膝の上で握り締めた手は、爪が手の平に食い込む。唇を引き結んで、眉を寄せて、どれだけ目に力を込めたって、溢れる涙を止めるのは難しかった。
オクタヴィアンがお墓にお参りしてたのは、アレンの恋人に近づくためですね。ひどい男っ