第85話 受け入れ準備です
「おや、お姫さん、最近よく見るねぇ。あっちでの手続きとかはもういいのかい?」
たくさんの荷物を抱えて職人の工房の前を通り過ぎようとしたとき、ちょうど外へ出て来た女性に声を掛けられる。
相変わらず、スラリとした手足は日に焼けて健康的だ。
「イネス、こんにちは。私が意見すべきことは概ね伝えたから、呼び出されることも減ったの。今日からこっちに滞在して準備を進めるわ」
「そりゃそうだねぇ。まだまだ、ただの島だよこれじゃぁ。もうすぐこれが国になるなんて信じらんないね」
とびきりの笑顔を見せたあと、イネスは手に持ったジョウロで花に水をやり始めた。
本土の自宅で世話をしているお花の中でも、手がかかるものだけはこちらに運んでいるらしい。
彼女は、立国後はどちらに生活の拠点を置くのかしら。
この島で生活している全ての人に、それも確認しなくてはいけないわね……。
目の前に広がる庭園は、綺麗に刈り揃えられた木々が迷路を作り上げていた。
花を咲かせ、良い香りを振り撒きながらも、迷い込んだ人を決して外に逃さないような、例えるなら妖精の国の入り口のよう。
途中には休憩ができそうな四阿や、小さな噴水があって見た目にも美しい。
屋敷の高い位置から眺めれば正しい道順もわかると思うけれど、中に入ってしまうときっと迷子になるわね。
「とんでもない大迷路ね」
『迷路モ迷路、出口はないノデス』
「え」
いつの間にか私の横でお座りをしていたゲノーマスが誇らしげに言う。
今まで、王城での会議の合間に島へは来ていたけれど、最近完成したばかりの自分の屋敷に来るのは初めてだった。
庭はゲノーマスが気合を入れて整えたらしいと噂に聞いていたので、先に見てみようと散策していたのだけど……。
『入り口を入ッテ最初の噴水の下ニ、地下へ続ク道がアリます。その地下通路ハ、神殿の地下室に繋がッテますネ』
よくよく話を聞いてみると、噴水の真ん中にあるオブジェには小さな扉があるのだそう。
噴水の水を止めて、ある程度放水してからでないと開かない作りになっているらしく、急ぐのなら精霊の助けが必要とのこと。
いつか私に与えられた神の加護が無くなって精霊の声が聞こえなくなっても、祈りそのものは精霊に伝わるからきっと大丈夫だと言う。
「随分と手の込んだ仕掛けね」
『屋敷内ニモ隠し扉がアッて、神殿と行き来デキル地下通路がアリます。迷路ノ地下もそれト繋がッテル。かっこいいデショ』
なぜそうしたかは語らない。
けれど、ゲノーマスが以前語っていた昔愛した人のことを思えば、なんとなくわかる気がする。
人は争う。
望まなくても巻き込まれる。
戦火の中で、生き延びる手段を増やしたい。いつか私が巫女で無くなって、精霊の庇護から外れる日が来ても。
「ありがとう。でも出口がないのでは、普段は遊べないわね」
『フフ、それクライすぐいじれマスから。必要なときハ言ってクダサいね』
冗談めかして言うと、ゲノーマスも笑いながら返してくれた。
緊急脱出用なら、迷路そのものに出口はないほうがいい。遊びたいときだけいじればそれでいい。
私は、そうねと頷いてしゃがむと、ゲノーマスのふわふわの首元に腕をまわして、もふもふの中に頬を埋める。
しばらくゲノーマスと触れ合っていなかったから、正直もふもふ欠乏症だった。
私の顔や首回りをくすぐる温かい毛は、ふんわりとした弾力とお日様のような香りがあって、とても癒されるのだ。
ゲノーマスの首元で何度目かの深呼吸をしたとき、頭上から咳払いが聞こえた。
「リア、堪能しすぎでは?」
「あら、レイモンドもする?」
顔を上げると、フードを目深に被ったレイモンドが腕を組んで私を見下ろしていた。
そういう話じゃないと言いながら、レイモンドが私の腕を掴んで立ち上がらせる一方で、足元ではどこからか現れたイフライネが毛を逆立ててゲノーマスを威嚇している。
ふむ。
私はゲノーマスがヒトの形をとったのを見たことがないから、ずっとモフモフ狼という認識でしかないのだけど、もしかすると異性として接したほうがいいかもしれない。
異性と思えば、なるほど確かに、私の行動は淑女とは言いかねるわね。
「迷路もすごいけど、庭は全部素敵。もしかして、1年中なにかしらのお花が咲いていたりする?」
『もちロンです』
北の岬のお花畑を思い出す。
あれはゲノーマスが愛した人と一緒に作り上げた楽園。彼女が存在したことを証明する場所。
つまりこの庭は、私が存在したことを証明する場所にしてくれたのだわ。
「ありがとう」
『てかさー。ゲノは神殿にも庭園作ってんだぜ。立派な噴水も』
「あら、それも素敵!」
『島で作業スル人々が作ッタのです。ワタシはお手伝いシタだけデスね』
どうやら、作業者やついて来たご家族が神殿を気に入って、それに見合った美しい庭園を作りたいと言い出したのだそう。
ゲノーマスがそれを手伝って、噴水を作りたいという声にはウティーネが手を貸したのだとか。
そんな話を聞くだけで、私は嬉しくて泣いてしまいそうになる。
私やレイモンドが、作業者を手伝うように、と精霊たちにお願いしていたという大前提はあるものの、いつの間にかこの土地にいる民は精霊を受け入れて、精霊もまた民の願いを、祈りを感じ取って行動した。
そんな些細なことだって、もうずっと想像すらできなかった、今までならあり得ないはずの出来事だもの。
少しずつでも、精霊の存在を信じてくれる人が増えてくれている。
「では次は神殿も……」
「お嬢様、本日はもうお屋敷へお戻りくださいませ。書類仕事もたまっておりますので」
「はぃぃ……」
屋敷は、屋敷だった。
いえ、建設に取り掛かった頃は一貴族の屋敷を建てるだけだし、それも私が住むだけの家だから、恥ずかしくない程度の規模で良いと言ったの。
けれど、張り切ったお兄様とお母様は、スポンサー権限を振りかざして私の話は聞いてくれなくて。
うん、すごく立派です……。
立国することになって、新たに城を建てるべきではと言い出したふたりにストップがかけられたのは、この立派なお屋敷のおかげなので、結果的には良かったのだけれど。
「随分と大きいね」
「大きすぎるくらいよね。レイにもとりあえずこの屋敷に住んでもらうから、自由に散策してちょうだい。今はまだ立ち入り禁止部屋もないし」
「わかった、そうするよ」
レイは将来的には神殿に住むことになると思う。
けれど無事に立国の手続きを終え、神殿が完成するまでは屋敷に居てもらったほうが安心なのだ。
キャロモンテの政治の中枢にいる人々は、レイが巫覡であるともう知っているから、どんな邪魔をされるかわからないもの。
屋敷へ入ってすぐの広いホールから、右手にあるサロンへ向かったレイを見送って、私は右手側にある階段を上る。
東向きに建っているこの屋敷は、右手側が南になる。2階の南はほとんどが客室になっているはずだ。
一部屋一部屋をゆっくりと見て回る。もっとも奥にある部屋のバルコニーからは、遠くに海が、その少し手前に作業者たちのベースキャンプ……未来の市街地が見える。
どれくらいの入国希望者がいて、どれくらい土地開発をする必要があるか、またはどれくらい受け入れるか、しっかり考えなくては。
受入数によっては、新たな産業を興す必要もあるはずだ。神殿を目玉にした観光地として、だけでは食べて行けない民が発生してしまう。
島の資源についての調査も早急に進めていくけれど、最初の受け入れはやはり少ない方がいいか……。
「弱小貴族の領主になるのと、一国の王になるのとじゃ、やることが違いすぎるわ」
「そうですね」
思わず吐いた小さな弱音に、ドリスが頷いてくれる。
こうやってただ側にいて支えてくれる存在がどれだけありがたいか。そう思うたびに、ドリスを手放すのが惜しくなってしまう。
でも、いつまでもドリスを独り占めしているわけにはいかないのよね。お嫁に出さなければ……。
年の瀬ってやつでしてね!
うまくやれれば数回分の更新を予約投稿するんですが……、うまくやれなかったら、これが今年最後の更新となり、次回は三が日を過ぎてからになると思われます。
もし予約できていなかったら、更新できなかった私に愛のある罵りをください(ドM的思考)
本年は無人島モフモフ生活をお読みいただきありがとうございました。
来年もがんばって書いていきますので、よろしくごひいきください。
ではではみなさま、良いお年をお迎えくださいませーーー!!