第78話 王の結論です
長い長い沈黙だった。
陛下は、瞳を閉じて顎を上げ、腕を組んでいた。左手の人差し指が小刻みに右の二の腕を叩いている。
「……ミス・フィンツィが現れた時から、ずっと考えていたことがある」
陛下が目を閉じたまま静かに口を開く。
その声は小さいけれど、確かな響きを持って室内の全ての耳に届いた。
「信仰を捨てることで魔科学を発展させてきた国だ。伝説の巫女という存在は民を混乱させる。
精霊を否定した国家として、伝説に頼るわけにはいかん。
だが民心を掴んだ巫女を否定すれば、国家への信頼が揺らぐ。
……本来なら、ミス・フィンツィが現れたそのときに、国家としてそれを認めないことが正しかった」
言葉を止めて、大きく息を吸った。
私もレイも、いえ、この場にいる誰もが、陛下の言葉の続きを待つ。
「精霊は本当に存在し、そしてヒトには到底敵わぬ力を持つのだな」
溜め息。
これは諦めだろうか。
陛下がゆっくりと顎を引き、まぶたを持ち上げる。眉間には深い皺。
開かれた瞳は、試すような色を持って私の目を真っ直ぐに見つめた。
「そなた、国を持て」
「え……?」
「友好国として独立を認める。
キャロモンテに信仰を取り戻すことは許されない。民を、キャロモンテの管理下にある周辺国家を、徒に混乱させるだけだ。
一定期間、キャロモンテから島への民の移住も許そう」
「そ、それではキャロモンテに精霊の、神の加護が与えられづらくなります」
「良い」
これが、王というものか。
私はイルデフォンソ二世の王たる言葉を聞いて、戦慄した。
キャロモンテから信仰を取り除き、いざとなれば助力を乞うことも、叩き潰すこともできる立ち位置に精霊を置こうとしている。
もしかしたら、以前お話をした際にもう考えていたことかもしれない。
国にとっての最善──。
「アナトーリアは……キャロモンテの忠臣バウドの娘でございます」
「なればこそ。国のために出よ」
お父様が慌てて口を挟むけれど、一蹴される。
広い領地を持つだけでも、私の立場は危ういというのに……立国だなんて!
さすがにここまでの規模の話は予想していなかったわ。
「精霊は……ヒトの揉め事に介入いたしません。つまり……」
「良い。キャロモンテにとってはむしろそれが良い。今までと変わらぬ国家運営が期待できるのだからな」
なるほど。
確かにキャロモンテにとっては一石何鳥にもなるわけだ。
では島にとっては?
背中を冷たいものが落ちていった。
「その方向で話を進める。細かいことは別途決定していくのでそのつもりで。良いな」
「……かしこまりました」
私とお父様が小さく頷く。
これはまだ王の一意見に過ぎず、議会で反対することはできると思う。
反対する貴族も多いだろうし。
けれど、信仰に対する国家の立ち位置や民の混乱を考えれば、確かにこれが最も妥当な案だとも思う。
信仰を取り戻したとして、例えば隣国バルテロトに攻め入られたとしても、精霊は何もしない。
初代が信仰を捨ててキャロモンテを立国したのは、目の前の戦いを終わらせたいからだけじゃない。カルディアの悲劇を繰り返さないために、という思いもあったはずだから。
一方でキャロモンテを含む他国が島に攻め入ったら、私は民を守り切れないかもしれない。いや、相当に難しいはず。
戦となる前に、精霊の力で守りを固めるしかないか……。
「それからクララか──。あれは巫女であるなどと国家を欺いた咎で処分を考えるが……」
「伝説の巫女は……黒髪黒目の者と、民を導く者の二人と仮定した場合であっても、民を導く者がクララでないという保証はございません」
クララの処分は困る。幽閉でも死刑でも、キアッフレードが堂々と連れて帰ることができなくなってしまうから。
私は必死で説得を試みた。
「それもそうか。ミス・フィンツィが巫女であったならば、アナトーリアが島へ連れて行くがいい。だがそうなると、フィルディナンドをどうするか」
「殿下は今でもまだ、ミス・フィンツィとの婚約をお望みでいらっしゃるのでしょうか?」
レイモンドがこちらに顔を向けた気がした。
フィルが私の元婚約者だと知っているから、何か心配してくれているのかもしれない。
「アレは意地になっているだけのようにも見えるが、男の意地というのは存外に面倒臭いものだ。最近はクララを連れて城に戻ることが減ったが、同じ話ばかり聞かされてもかなわんのでな、助かっておる」
婚約を諦めてはいないけど、何か考えがあるのか、または彼らの関係に何かあったのか、王陛下に願い出ることは減った……。
彼らの様子も探ってみるべきだわ。
「エスピリディオン島を立国させるには、レイモンドの存在および伝説の真意について触れぬわけにいきますまい。さすれば、ミス・フィンツィへの胡乱な意見も出ましょう。
新たな国の女王となるアナトーリアに対して、その婚約を一方的に破棄したフィルディナンド殿下への失望も小さくはない。つまり、国家への信頼が一時的にも揺らぎかねない」
お父様が言葉のひとつひとつを噛みしめるように、ゆっくりと、話し始める。
それはまるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……続けろ」
「アナトーリアの島流し、冤罪の発覚、精霊信仰の芽生え。民はすでに混乱しております。一部ではアナトーリアを女神か何かのように崇拝しようとする者もいる一方で、それを冤罪によって極刑とした国家への不信は大きい。
その不信や不安をぶつける対象と、また逆に未来も盤石と信じられる希望があれば、今後の大きな情報開示に大混乱を起こさせずとも済むかもしれない、と」
「お前はエミリアーノをすぐにも立太子させるつもりか」
さすが陛下、話が早すぎてびっくりする。
フィルディナンドやクララを悪者に仕立て上げる必要はないし、そう発表する必要もない。
エミリアーノ殿下が立太子するという事実だけで、民は勝手に全てを納得してくれるのだ。フィルとクララについての扱いを正式に決定するのはあとでいい。それこそ、民意を見ながら。
お父様は目礼だけを返して何も言わない。
「まあいい。色香に迷ったバカ息子に国を任せられようか。今もまだ、意地だけで大局を見ようともせん」
詳細はまた別途と言いながら、陛下が席を立つ。
私たちが席を立とうとするのを手で制しながら扉のほうへ数歩進み、立ち止まって振り返った。
「レイモンドよ。いずれ、カルディアの話を聞かせてくれ。こう見えて、歴史にはいくらか詳しくてな」
「……はい」
にやりと口の端を上げた陛下の瞳は、単純な友好の色で輝いているように見えた。
レイモンドもまた、しっかりとした口調で返事をする。
立国とはとんでもない話になってしまったけれど、それ以外は概ね上々の結果と言えるでしょう。
小さく息を吐いたとき、魔導部のひとりと目が合った。微かに頷いたかに見えた彼は、やはりキアッフレードの使いなんだろう。
このあとは、議会で話を進めていくことになるのだから、お父様に託すしかない。
立国の件については私も議会に出席するかもしれないけれど、フィルやクララのことまでは、もう私には口出しできないものね……。
キアッフレードとも、しっかりと認識の擦り合わせをしておかなければ。
私もまた魔導部隊員にそっと頷いて、立ち上がった。
つまり?
アナトーリアはただの領主じゃなくて女王になるし、キャロモンテは弟君が王太子になる。
フィルとクララの扱いは後から考える、になりました(まとめ)。
ちっと難しくて我ながらわかりづらい気がするんですよねぇ。そのうちわかりやすい表現に改稿したいお気持ち。