第75話 バウドの立ち位置です
しばらく頭を悩ませ、無言が続いた書斎は重い空気ばかりがどんどんと溢れていく。
事情が複雑すぎるからいけないのだ。
巫女か巫女でないかと言えば、条件が整っていないだけで、彼女は巫女に違いない。
容姿が特別だからというのもあるけれど、彼女はこの世界を舞台にした乙女ゲームのヒロインなのだから。
そしてそれはキャロモンテではなくヤナタの巫女に違いない、ということもわかっている。だからキアッフレードが連れて帰りたがっているのだ。
では何が問題か。
彼女はバウドを虚仮にした。これはケジメをとらせなければならない。
それに誘拐事件に関わっている可能性がある。そうとわかれば、死刑の可能性だって出てくるし、おいそれとキアッフレードに彼女を預けることはできない。
加えて、フィルディナンド殿下の寵愛があることも、キャロモンテの国民が彼女を巫女と信じていることも、動きづらくさせる。
「極論を言えば、現状維持かヤナタの独立かを選べという話になるか」
お父様が重い口を開く。
クララを死刑にするのはもちろん、長いこと牢に留め置いても、キアッフレードが王位に就くことは難しくなるだろう。
巫女を連れ帰って、民意を手に玉座に登りつめるつもりなのだから。
刑の執行などがなかったとしても、彼女には殿下の寵愛がある。バウドがある程度協力しない限り、彼女をヤナタへ連れ帰るのは難しいと考えられる。
クララにこれまでの責を問うても、または何もしなくても、ヤナタとの関係は現状維持。
キアッフレードめ。
ここにきて私はついに、してやられた、と思った。
彼の話を聞いた時点で、私は彼に協力するしか選択肢がなかったのだわ。
私が、いいえバウド家が、無辜の民を犠牲にすることを最も嫌うと知っていて、私に話を聞かせたに違いない。
「無能な王の統べるヤナタを戦場にするよりも、キアッフレードと連携して、より強固な守りを得るべきと思いますわ」
クララのしてきたことは、公爵家として許すことはできないものばかりだ。
だが貴族のプライドより優先されるべきは、民の生活、民の命。
「アニーは、随分と奴を買っているな」
「ええ、お兄様。彼は捕虜としてこの国にいるはずなのに、ヤナタの民をまとめあげました。キャロモンテの貴族たちもコントロールされている。恐ろしいほどの統率力ですわ。
それに、彼はひとりでも十分動けるのに私に頭を下げましたから。おかげで、話を聞くだけと言ったはずなのに、協力せざるを得なくなってますもの」
もう笑うしかない。というより、本当に可笑しくて仕方がない。
大事な局面ではいつだって、自分の選択の先にある、あらゆる可能性を考えて発言や行動をしてきたつもりなのに、話を聞くだけが、すでに選択させられていただなんて。
「……楽しそうだな」
「そう見えますか?」
「ああ。アニー、キアッフレードに連絡をするなら、条件をつけろ」
お父様も口の端を上げる。
我々の置かれた状況を理解して、バウドを利用しようとしたキアッフレードを、お父様も気に入ったかもしれない。またはその逆かも。
「条件ですか」
「バウドに泥を塗るな、誘拐事件の調査に協力せよ、と」
つまり、誘拐事件においてクララの身が潔白でないと協力はできないということね。そうでなくともヘタな連れて行き方をしようものなら、バウドはそれを阻止せざるを得ない。
クララの件は協力することも吝かではないけれど、やるなら完璧にやれ、と。
キアッフレードの統べるヤナタとキャロモンテが肩を並べるためには、確かにそれくらいは必要かもしれない。
「わかりました。では、クララの扱いについてはキアッフレードの返信をお待ちください」
「ところでアニー。オクタヴィアンとトリスタンなんだが」
ひとつ頷いてから話題を変えるお父様。
私も、お兄様とそっくりなお父様の薄くて明るい白茶色の瞳を見つめた。
正直、そろそろ何か言われると思ってた。
私はもうすぐバウド公爵令嬢としてではなく、新たな領主として生きていくことになるのだから、いつまでもバウドの影を使うわけにはいかない。
トリスタンは私個人に忠誠を誓っているから、連れて行くことになると思うけれど……、それならそれで急ぎ新しい影の育成も必要だわ。
「しばらく彼らは……バルナバもだ、影は皆、こちらに預けてほしい」
「はい」
「誘拐事件の調査に、新人教育に、騎士教育、いくら手があっても足りんのだ」
ええ、そうでしょうとも。
トリスタンを私が連れて行くとなると、いくらオクタヴィアンが優秀でも、セザーレと影になったばかりのバルナバだけでは色々と困ることも増えると思う。
新人教育に騎士きょ……
「騎士、ですか」
「ふふ、そう、騎士だ」
「トリスタンには、仕事の合間にしばらくピエロを育ててもらうことにした。普段は衛士のイッセーに稽古をつけさせるつもりだが、少しでもトリスタンに見てもらったほうが成長が見込めるからな」
半年前、「わるいひとをやっつけるんだ」と言った小さな男の子を思い出す。
バルナバの弟で、早くに両親を亡くしたあの子は、年齢の割に喋り方も表情も少し幼かった。
けれど兄の活躍をその目で見て、同じ道を志したのだったわ。もちろん、影であるバルナバと同じことはさせられないけれど。
「最近は家庭教師もつけてるんだ。成人したらボナヴェントゥーラ学院の騎士課程に入れるつもりだよ」
「えっ」
お父様の言葉に、一番に反応したのはバルナバだった。
私の後ろに控えていた小柄な男は、慌てふためきながら少し前に出て膝をつく。
「お、お館様、家庭教師も学校もピエロには過ぎた話です」
あら。
ずっと島で生活していたから気づかなかったけれど、バルナバの敬語が以前より上達している気がする。いつの間に。
そんなバルナバを、お父様もお兄様も楽しげに眺めている。
結局、この二人はバルナバとピエロの兄弟をとても可愛がってるのだとわかる。……ああ、お母様を筆頭に、と言ったほうがいいに違いないのだけど。
「ピエロの美貌と頭脳で馬番は勿体ないとカーラがうるさくてな」
「しかし──っ」
「俺たちはお前の人生そのものを貰い受けてるんだ、自分の命を安く見積もるな」
お兄様が冷たい瞳で呟いて、バルナバの言葉を遮った。瞳の奥に温かい灯りが揺らめくのを見るたびに勿体ないと思う。
この愛情が他のご令嬢に向けばさぞや幸せな家庭が……。
「どうかしたか、アニー」
「いいえ、なんでも」
はい、これでピエロたんは片付いたも同然!
可愛いショタの今後は皆さまのほうでいろいろ妄想してくださいませ!
こうやって風呂敷畳もうとしてるのに盛大に風呂敷広げちゃうの良くない……キアッフレードめ……
私の初期の予定では名前しか出てこないはずだったのに……