第74話 説明不足です
「で、バルテロトは?」
考えを一区切りさせたらしいお父様が、瞼を開けてトリスタンを見据える。
忠実な騎士は淀みなく淡々と隣国の状況を報告した。
「キアッフレードの見込み通り、ヤナタと国境を接するピンダード領で軍備の拡充をしている様子です。ただ以前と変わらず、穏健派と革新派、それに日和見とで国内の派閥争いが落ち着かないため、すぐにどうこうということはないでしょう」
バルテロトは3派に分かれているように見えて、その実はもっと細かいらしい。
革新派の中にだって過激派と慎重派がいるし、穏健派の中にも懐古主義と先進主義があったりするのだと、以前お兄様に教えてもらったことがある。
「戦に勝ち目がありそうだと見えれば、その派閥争いもすぐ終わるだろうな」
「ええ。ですが最近は穏健派が主力です。面白いことに、キアッフレードがボナートを抑えるようになってから、バルテロトも動きが緩慢になりました」
トリスタンが愉快そうに口の端を持ち上げた。
ボナートの動きを封じるとバルテロトに影響が出る。これは冗談でも絶対に家の外で言っちゃいけない種類の情報だ。
「証拠はどれくらい握れてる?」
「残念ながら多くはありませんね。ただ……ソラナス卿が協力してくださるならば」
「セザーレに行かせよう」
「そうですね、トリスタンには残ってもらわないと」
お父様の提案に、お兄様が私のほうをチラと見ながら頷いて、バルテロトにおける以降の調査はセザーレが引き継ぐことになった。
「アニー」
「はい」
「陛下との謁見は、人払いがされているはずだ。レイモンドと言ったか。彼が巫覡であることを証明するというなら、一旦情報は閉じておくべきだからな」
お父様が、机上の書類に目を通しながら言う。
私が話の続きを待って居住まいを正すと、お兄様が後を引き取って続けた。
「性別の差異はさておき、レイモンドが伝説に謳われる巫女であるとするなら、クララの扱いについて協議が必要になるのだが……、アニーはどうすべきだと考える?」
「彼女の扱いを、こちらで選べるのですか?」
「いや、まず陛下が伝説についてどう考えるかによる。ただ、彼女を巫女でないと断じる場合、その処遇についてはある程度コントロールできると考えているのだが」
私は、目を閉じてキアッフレードから聞かされた話を思い起こす。
彼の話はまるで思いもよらないものだったけど、それでも私を取り巻く状況に一定の納得感を与えてくれた。
彼に協力するとは言っていないけれど、わざわざ邪魔をする必要もない……そう思う。
「キアッフレードにお任せしましょう」
「は?」
「トリスタンにお使いを頼んでも? キアッフレードへ私の内緒話を届けてほしいのです」
視界の隅でトリスタンが礼をとる気配。
お父様とお兄様は私の言葉の意味が理解できないようで、そっくりの表情で瞳をぱちくりとさせている。
「待て。奴は信頼できるのか? キアッフレードは一体何が目的なんだ」
お父様の困惑を見て、私はキアッフレードとの会話の全てを知っているはずのオクタヴィアンに、視線を投げる。
オクタヴィアンはお父様に説明してくれてないの? という非難を込めて。
けれどオクタヴィアンの表情は完全に呆れていて、顎で「早く説明しろ」と言っているのがわかる。あれ、私が説明するお役目でしたかしら。
「私、どこまでお話しましたっけ……」
「ヤナタのことで調べたいことがあるから、オクタヴィアンとトリスタンをしばらく使うとしか言われてない」
「小娘お前、なんも言ってねぇんじゃねぇか。通りでお館サマの反応が薄いわけだ。『お父様には私から言っておくからー』って言ってたのはなんだったんだ」
オクタヴィアンが大きなため息を吐きながら、いつものように髪をわしゃわしゃと乱した。
隣でトリスタンが笑いを堪えている。
だって、えっと、あの時はジャンが突然おかしなことをするからびっくりして……。ええそう、思い出した。確かに何も言ってなかった。
「……ごめんなさい」
「まあいい。話したいこと、まだ自分の中に留めておきたいこと、いろいろあんだろ。俺はなんも口出さねぇから、ちゃんと自分で説明しろ、な」
オクタヴィアンの生暖かい瞳に見守られながら、私はゆっくりとキアッフレードとの小さな会談を振り返る。
一部、伏せて。
一部、表現を変えて。
「……つまり、似たような伝説がヤナタにもあると」
「ええ。そして、キャロモンテに伝わる伝説の巫女は間違いなく、クララではありません」
ヤナタにも、キャロモンテと似た伝説がある。巫女の存在を示唆するものが。
民衆の心を掴むアイコンとして、キアッフレードはクララを欲しがっている。自らが王位に就くために。
「彼の手にクララが渡れば、ヤナタの妙な動きは加速するのじゃないか?」
お兄様が顎に手をあてて俯きながら呟く。
その通りだと思う。私は彼を信頼することにしたけれど、お父様とお兄様は国の政を担う者としての責任がある。
ちゃんと説明したつもりでいたけど、突然こんなこと言われても困ってしまうわよね、と反省。
「はい。そうなると思います」
「アニー、お前はなぜ彼を信じる?」
「彼が私を信じるからです。それと、アレンの死に憤っているから」
魔導部のルーキーだったアレンを、キアッフレードは可愛がっていた。
民を大切にするバウドを尊敬すると言っていた。
「クララに巫女の力はあるのか」
「今後はわかりませんが、今はまだ。そして、その事実をキアッフレードは知りませんし、重きを置いてもいません。つまり彼は、クララの容姿が必要なのです」
どのような方法で彼女を連れ帰るつもりなのか、想像もつかない。
それにもしクララが、真に巫女として精霊を動かせるようになったとしたら、彼女をどのように御すつもりなのかも、知らない。
それらは彼の責任であり、課題だもの。
けれど、素直に助けを求め、目標に向けて努力する人の邪魔はしたくない。キャロモンテの民を害さない限りにおいては。
「彼が王位に就いても良いと考えているのか」
「ええ。キャロモンテには、お父様とお兄様がいますもの。仮に反旗を翻すとして、何を恐れることがありましょうか」
父子の溜め息が書斎に響く。
「俺はクララが巫女でないなら何処までも追い詰めるつもりだったが」
お兄様の目が冷たく光る。
冤罪、島流し、魔女発言、これだけでも十分責任を問いたいというのに、さらに彼女が誘拐事件に関わっていないという証拠もない。
あの日、シルファムは確かに港でクララを見たと言ったのだから、何かしら事情を知っていると考えるのが普通だろう。
巫女という立場に守られなくなるのなら、すぐにでも溜まった鬱憤を晴らしたい──。
お兄様の言い分はもっともなのだけど、彼女がヤナタの巫女なら、ヤナタの民のためにもキアッフレードの手に渡したい、とも思う。
「私に対するアレコレは、結果的にはむしろ幸運とも思えるので不問にしても。もちろん公爵家としてのケジメはつけるとして。ただ……例の事件に関わっていない前提で、ですわね」
お父様もお兄様も、同じように腕を組み、同じように眉間にしわを寄せながら瞳を閉じた。
おじさん達がお喋りしてるだけなのに、今後の行動指針を決めてるもんだからとても大変(作者が)。