第71話 灯台の下で
「助かったよ!」
「ああ、これくらいなんでもないんだ。いつでも言ってくれ」
フードを目深に被った男が、港の小さな倉庫から出て、厚い雲が広がった空を見上げる。
長い長い歴史の中で、精霊と巫覡しかいなかったこの島に、今は信仰を持たない民が大勢いて、神殿をつくるために毎日働いている。
なんとも不思議な光景だ、とレイモンドは思う。
だが、常にフードで表情を隠し杖をつきながら歩く男のほうが、きっと不思議な存在だと思われていることだろう。
新領主であり、この作業者たちのスポンサーでもあるアナトーリアと、いつも行動を共にしているから余計に、どう接していいかわからないはずだ。
だからこうやって、物を運んでくれなどという些細な頼まれごとはレイモンドを喜ばせた。
さらに言えば、些細なことに頭を悩ませてロッジを飛び出したレイモンドにとって、体を動かすだけの単純作業は、一時とはいえ心を休ませてくれる。
────イフライネとお主が結びつけば、イフライネの消滅まで悠久の時を共に過ごすことになる
幼い神の声がまた脳裏に響く。それを、いつもの真面目くさった表情で聞いていたであろう、猫目の女性の姿も容易に思い浮かべることができた。
そろそろ散歩に出かけようと、アナトーリアを迎えにロッジへ向かえば、人と精霊が添い遂げるための方法について話をしているのが聞こえて来たのだ。
反射的に飛び出して来てしまったが、どんな顔をしてアナトーリアに会えばいいか、わからずにいる。
なぜ彼女はそんな話をしていたのだろう。つい先日、彼女はハッキリと「精霊界には行かない」と言っていたはずなのに。
そんな言葉を、ストレートにぶつけてしまいそうな気がするのだ。
(改めて、精霊界について知るべきだとでも思ったんだろうか。……イフライネのために)
アナトーリアという女性は、彼女自身が自分で思っている以上に真面目だと思う。
知らないことを知らないままにして判断したりしない。
「お、レイ! 見ろよ灯台! めっちゃかっこよくね?」
「……入り口がないな」
「やっぱそうなる? てかさっきリアが探してたぞ」
イフライネに言われて、日課になりつつある散歩の時間なのに、何も言わずにここまで来てしまったことを思い出す。
きっと、イフライネならそんな風にグズグズと悩んだりしないのだろうな、とレイモンドは目の前に立つ精霊を羨ましく感じた。
自分とは違ってイフライネはたまにとんでもない行動力を発揮することがある。
つい先日も、彼が島外にいるアナトーリアのところまで会いに行っていたのを知っているし、そのフットワークは羨ましくも……怖かった。
いつか彼女の心を動かしてしまうのではないかと。
そこに加えて、人が精霊になるというのが、精霊本体にも大きすぎる影響があることを、相当の覚悟が必要であることを彼女は知った。
つまりイフライネは、その覚悟を既に決めているのだと、彼女は気づいてしまった。
「どうかしたのか」
「イフライネは……」
「ん」
「ヒトになろうとは?」
雲はさらに厚みを増して、レイモンドの頬に冷たい水滴を落とした。
イフライネはすぐには口を開かずに、灯台へ向けて手をかざし、灯りをつける。
「俺がヒトになったって、何もしてやれねぇよ」
今度はレイモンドが黙る番だった。
そう言えば以前、イフライネはレイモンドに「その手で守ってやりたくないのか」と問うたことがあった。
この火の精霊は、本気で彼女を精霊界に連れて行こうとは思っていないのだと思い至る。
きっと、アナトーリアと一緒に悠久を生きたいわけではないのだ。彼女のために何ができるかが彼の行動指針なのだろう。
彼女の選択肢のひとつに精霊界があるなら、イフライネはそれを受け入れる覚悟を決めている、ということだ。
(より一層、質が悪い)
精霊がその力と存在の全てを捧げて傍に控えていると言うのに、生身の人間でどう対抗しろと言うのか。
そんなイフライネに対して、アナトーリアがどんな結論を出すかはわからないが、もし彼女が精霊となるなら「この手で守る」ことはもうできなくなるな、と思う。
「それは悔しいな」
「……ああ。悔しいだろ。だから、ヒトのくせに何でもできるお前が羨ましいよ」
「──ッ! ……そうだな。まずは迎えに行かなければ」
イフライネの言葉に一瞬目を瞠ってから、諦めたように息を吐いた。
(隣の芝生、だ)
雨足を強める空を振り仰ぐと、レイモンドは自分を探していたらしいアナトーリアの元へと歩き出す。
「……結局、精霊は巫覡の気持ちを優先しちまうんだ、覚えとけ、くそが」
イフライネが、立ち去るレイモンドの背中に呟いた言葉は、雨音に絡めとられて消えていった。
すごく短いですが今回はここまで!
レイ・イフのコンビ好きなんですよねぇ。




