第69話 ダイニングにて、です
「ちょっ、私、そんな立派な屋敷いらないわ!」
お昼もだいぶ過ぎておやつが欲しくなる頃、小さな共用のダイニングに、私の叫び声がとどろく。
「いけません。お嬢様の私室、寝室、衣裳部屋、応接室、ダイニング、ホール、キッチン、サロン、図書室、倉庫、リネン室、従者の部屋、お庭、最低限これくらいはご準備いただかないと」
「へ、部屋数そんなにいる……?」
「いります。従者だって調理師、身の回りをお世話する者、護衛に馬番、それから……」
島なら、仰々しい生活をしないで済むと思ったのに。あれもこれもと指折り数えるドリスを見て、小さく溜め息を吐く。
ジャンや技術者たちが本土へ戻ってから3日。
今は神殿の建築を進めるにあたって、先に必要になることを順番に解決しているところだ。
手始めに、作業者の寝食を賄うためのロッジを増やしているのだけど、そのための作業者がすでに十数人ほど島に来ている。レイモンドも作業を手伝ってくれていた。
ドリスが言うには、バウド家以外の人間との共同生活は、セキュリティレベルを大幅に下げることに繋がるらしい。
だから、最優先で私の住まいを建設するべしと息巻いている。
「私とドリスが住めればそれでいいのに……」
「おい、俺は──」
「いけません、お嬢様はもうすぐ爵位を叙される身でございます。今でさえ、天下のバウド公爵家のご令嬢としてあるまじき生活でございますのに!」
バルナバが口を挟む余裕もないほど、ドリスのお説教が熾烈になってきた。
精霊信仰を取り戻したら、この島でのんびりスローライフできると思っていたのだけど……。
エストがいつか私から加護を取り上げても、精霊たちが動物の姿で顕現してくれれば会うことはできるし。寂しくないから、と。
ただドリスの言うことももっともだと思う。
この島で多くの収入を得ようとは思っていないから、爵位自体は高くないものになるだろうけど、貴族は貴族。
貴族というだけで敵も増えるし、政治的なお付き合いも発生する。
ロッジじゃ駄目……だよね。
「それなら、湖の小屋を潰して良いぞ」
幼さの残る流麗な声が響く。その声は私にしか聞こえておらず、ドリスはまだお小言を続けているけれど。
振り向くと小さな神がにこやかに笑っていた。
「え……エストはどうするの? レイは?」
「儂が住む神殿を作るんじゃろ? ならあの小屋は用済みじゃて。レイはそのへんに転がしておけばいい。……ここに屋敷を建てると、後々きっと窮屈になるぞ」
「そう、ね。確かに……」
湖のそばのロッジは使わなくなるかもしれないし、あのあたりの土地は私も思い出深い。
屋敷が必要で、エストがいいと言うなら是非そうしたいわ。
「どうかなさいましたか?」
「ドリス、湖の近くに屋敷をかまえるわ。お兄様に連絡して、住居建築に通じた方を探してもらって。あとジャンにも一報を。一言伝えれば必要以上のことをしてくれるはずだわ」
「かしこまりました」
私が空中を相手に会話をすることにもすっかり慣れたドリスは、屋敷の建築が承認されたことに満足したのか、いい笑顔で深く一礼すると、振り返ってバルナバの肩をポンと叩いた。
「え、俺?」
「他に誰が? お嬢様はわたくしと精霊様、それにレイモンド様でお守りしますので」
ジャンは日に一度、船を寄こして資材や人を運んだり用件を伝えたりしてくれる。もちろん本人が来るわけではないけれど。
そのタイミングを逃して緊急の用事が発生したら、小さな船で誰かが本土へ戻らないといけないのだ。
島にいる限り、私は貴族令嬢としての外聞はさておき割と自立した生活ができるから、バルナバとドリスのどちらが伝言を持って本土へ戻ってもらっても構わないのだけど……。
精霊は身を守ってはくれても、ドリスほどきめ細かなお世話をできる存在はこの島にいないものね……。
「はぁ? マジで言ってます?」
「至極真面目に」
バルナバは一瞬、まるで助けを求めるみたいに私のほうへチラリと視線を投げかけたけど、すぐに諦めたように髪をわしゃわしゃと崩しながら踵を返した。
少しして、どこかからバルナバの絶叫が聞こえた気がするけど、ドリスは涼しい顔をしてお茶の準備を進めていた。
「お嬢様」
「なあに?」
「叙爵後も、わたくしはお嬢様について参ります。ですが……バウドの屋敷から引き抜いて来られる人数は多くありません」
静かに話すドリスの手元では、こぽこぽと音をたててカップに紅茶が注がれていく。ふわと上った湯気はポットの表面に纏わりついて水滴になった。
「引き抜くだなんて……それに私はドリスも──」
「わたくしの話は一旦置いておきましょう。とにかく、先ほども申し上げた通り、相応の経験を持った人材が相当数必要でございます」
「ぅ……」
私のスローライフ……。
ピスキーとささやかな暮らしができればいいと思ったのだけど。ああ、でも加護を失ったらピスキーは見えなくなるのだっけ。
手元を見ると、ピスキーが戸棚からクッキー持ってきてくれていた。ドリスは私に従者の必要性を説くのに忙しくて気づいていない。
「お嬢様はこれからこの島の領主として──」
「はいぃ……。あ、それでは必要な人員についてまとめておいてくれる? そのリストを基に募集しましょう?」
「かしこまりました」
ドリスは一礼してダイニングを出て行った。
ああ、ドリスの今後について話すタイミングをまた失ってしまった。
彼女はいま結婚適齢期も真っ盛り、いやそろそろ過ぎるかもしれないというのに、婚約者どころか浮いた話のひとつもない。
「ヒトというのはしがらみが多いの」
同じテーブルを囲むエストは、ちびちびとお酒を飲みながら静かに私たちのやり取りを見ていたらしい。
ここ2日ほどは、作業者たちがどんどんとベースキャンプ内にロッジを建てるべく動き回っているのを眺めて楽しんでいたようだけど。
「たまに自由な精霊たちが羨ましくなるわ」
「精霊にでもなるか? イフライネが喜ぶぞ」
「ふふ。あ、そう言えば精霊界に行くって、どういうこと?」
念のため周囲を見渡して精霊がいないことを確認して、エストに尋ねる。精霊たちはたまに年ごろの女の子のように噂話で盛り上がるきらいがある。
私が精霊界に興味を持っていたことは誰も知らなくていい話だ。ただの好奇心だし。
エストは腕を組んで少し考える素振りを見せてから、ぽつりぽつりと話し始めた。ちょうどいい言葉を探すみたいに。
「そのまま、精霊になるわけじゃが……。ヒトとしては、まぁ死ぬわな。例えばイフライネに添うために精霊になるなら、……お主の魂が奴の眷属として存在するようになる。
精霊は基本的に、眷属を1体しか持てん。精霊が精霊としてあるための核と、その眷属たる魂を結びつけるんじゃ。
信仰によって存在する儂らは、核と結びつけることでその魂を信仰の対象に含めるわけじゃな。だから……」
「……?」
「ある意味で一心同体よ。イフライネとお主が結びつけば、イフライネの消滅まで悠久の時を共に過ごすことになる」
「消滅したら……? それに喧嘩したらどうなるの? 二度と一緒にいられないって思ったりしたら?」
エストの説明は、なんとなく私が想像していたものとは違っていて、すごく驚いた。もっと、ピスキーみたいに個として存在するのかと思ったのに。
長い長い精霊の一生を共に過ごすようになるって、精霊と比べてごく短い寿命しか持たない人間には考えるのも難しい。
「消滅すれば霧散する。一緒にな。袂を分かちたくなれば、同意の上で精霊が眷属を切り離すことはできる、が、眷属の魂は消滅するし精霊も無事ではいられん。
そんなことをした精霊を見たことはないがな。他であり己である眷属を失えば、心を失うよ」
「そう……」
誓い合って人であることをやめ、永遠とも思えそうな長い時を一緒に過ごし、最期には共に消える。
そんな精霊の愛を美しく感じながら、「精霊界」と口にしたイフライネの気持ちを、改めて考えなければいけないと思った。
冗談で言っていい内容とも思わないけど、もし本気なら、私も彼に向き合わないといけない気がして。
そのとき、ロッジの玄関扉が大きな音をたてた。
精霊の生態が明らかになっていく……




