第68話 特別な関係です
降り立った港は、間違いなく港だった。
いつも私が出入りする小さな浜辺から、しばらく南にいったところに精霊たちは立派な港を作り上げていた。
この港からベースキャンプまでの道もしっかり整備されているし、大きくはないけど倉庫らしき建物もある。
『こないだ、港ってのと倉庫ってのをちゃんと学んできたからねー。シルはできる子!』
ふわふわの胸を前面に押し出しながら、エナガが自らの功績についてアピールした。
どうやら前回私が島に来たときにした説明を受けて、港が必要であると考えた精霊たちが、シルの記憶を頼りに人間が使いやすそうな港を作ったらしい。
「いやー、あれなら荷下ろしに手間取ることは少なそうだねー」
ジャンはもう少し港を見回したそうにしていたが、それよりもいち早く現地を見たい同行の技術者たちによって、引きずられるようにキャンプを目指した。
キャンプ入り口では、レイモンドが迎えに来てくれていた。港まで来ていたシルファムを除く精霊たちや、エストも一緒だ。
レイモンドは、またいつものようにフードを深く被っていた。今回は建築家をはじめ、クララ以外の巫女の存在を知らない人が複数いるので、その髪や瞳を隠してくれていたことに感謝する。
「荷物はぜんぶキャンプに置いておいていいか?」
今回の事前視察には、ジャンと建築家、それに彫刻家にステンドグラス職人と勢揃いだ。レイモンドに初めましての人々を紹介していると、バルナバから声がかかった。
全員の荷物をひとまとめにして、風立石を利用した台車に乗せて彼に運搬をお願いしていたのだ。
「あ、私のは湖のほうのロッジへ運ぶからキャンプでは降ろさなくていいわ」
「えっ! もしかして向こうで寝泊まりすんのか?」
ドリスやジャンもバルナバの大きな声に反応して私を取り囲み、口々にどういうことだと責め立てる。
みんな私もキャンプで寝起きをすると思っていたみたいなんだけど……。
「えと、建設予定地の近くにロッジがあって、えっと、今まで私そこで暮らしてた……から……」
「部屋数はいくつあるんです?」
「えー。俺もそっちがいいなー」
ドリスの勢いが特に怖い。
結局、いつもの我が家は神や精霊がいるからと言え、年ごろの異性であるレイモンドとひとつ屋根の下になるのはダメ、だそうだ。
どうしてもと言うのであれば、ドリスとバルナバもついて行くが、部屋がないので私の部屋の窓の下で野営するとか。
これ脅しって言いませんかね。言いませんか。
「では僕がキャンプに移動しようか。侍女さんかな? 彼女に僕の部屋を使ってもらえばいい。その代わり、バルナバ君にもキャンプで寝泊まりしてもらうけれど」
「は? なんでだよ」
「エストも精霊もいるから護衛は必要ないし、君だって年ごろの男性だろう?」
先日ピエロの件で島に来たときにも思ったけれど、レイモンドとバルナバは何か張り合っているようだ。
このふたりの仲が悪いと、この先もやりづらそうだから勘弁してほしいのだけど……。
「あっはっは! なんだい、青春ってやつかい?」
イネスがはちきれんばかりの笑顔でレイモンドの肩を二度三度と叩くと、レイモンドは視線をどこか遠くへやった。フードの裾からチラと見えた頬が赤い。
このレイモンドは照れている、と思う。
なんだか、胸というか胃が、うん、胃のあたりがざわりとした。
イネスは、暑いのか薄着で長くて綺麗な腕が露出していて、一言で言えば大人の女性という雰囲気がある。
イネスのいるこっちでレイモンドが寝泊まりすることも、レイモンドのベッドでドリスが寝起きすることも、少し想像しただけで胃の表面が波打つような気持ち悪さを覚えた。
この感覚はなんだろう。
わからないけど、いやだ。
「ね、ねぇ、せっかくだから、えと、みんなでこっちで過ごさない?」
つい早口で割り込んでしまった。
まだ胃は締め付けられているみたいで気持ちが悪いのに、エストが大笑いして転げまわっているのが無性に腹がたって、余計に胃がむかむかした。
「えー? 俺はアニー様さえこっちにいてくれればいいんだけどなー」
「いや、僕もこっちに来よう」
ジャンがいつものようにイタズラっ子めいた笑顔で私の肩に手を回そうとするのを、ドリスが華麗に振り払う。
レイモンドは眉をひそめながらも、キャンプへ移動することを了承してくれた。
「楽しそうじゃな、儂もこっちで過ごすぞ!」
エストが大笑いしながらピスキーにお酒を持ってくるよう指示して、ロッジのひとつに入って行った。
結局、エストの入って行った一番大きなロッジを、私、ドリス、イネス、レイモンド、バルナバ、ジャンの6人が、隣の小さなロッジを建築家のカミーロ・コルシ氏と彫刻家のブリツィオ・クロッコ氏が使うことに。
ただ、ドリスが言うには、今後もっと作業者が増えた場合、私には専用のロッジが必要なのだとか。
6人でひとつの住居を使うと、どうしてもセキュリティ面が甘くなってしまうからって言うのだけど……精霊がいる限り大丈夫、って説明しても、きっと頭では理解できても納得は難しいのかもしれないわね……。
部屋を決めると、荷物をポイと置き、ドリスを残して建設予定地へと向かった。ジャンと技術者の皆さんは、今回は1泊2日だけの旅程だから時間がないのだ。
ドリスは私の部屋を整えるのだと言ってロッジに残ったけど、それもピスキーにお願いしたらやってくれそうなんだけど……。
と、そこまで考えて、私がいかに精霊や妖精のいる島の生活に慣れきっているか自覚する。
彼らはまるで魔法みたいに、いえ、魔法なのだけど。なんでも事もなげにやってしまうから、ヒトに何かをお願いするよりももっと気軽に頼んでしまう。
もしかしたら精霊たちにも結構な負担をかけているかもしれないし、気を付けた方がいい……いや、お願いされることは彼らの糧になるんだったかしら……。
「どうかした?」
柔らかな声に顔をあげると、レイモンドが心配そうにこちらを見ていた。
ジャンは建築家のカミーロ氏と話し込んでいて、ブリツィオやイネスは周囲の森の様子と、カミーロ氏が仮で提出していたデザイン案とを見比べている。
「ああ、いえ、……この間、ジャンに私は強いって言われたの」
「強い?」
「不思議なことを言うでしょう? 強いのは私じゃなくてみんななのに。だけど、私は少しみんなに甘えすぎてるかもって思ったの」
背後でバルナバが深く息を吸う気配がした。
私の視界の片隅では、猫とエナガが相変わらずじゃれ合っていて、ウサギはそれをにこにこと眺めている。狼はジャンの傍で建築家の話に聞き耳をたてているようだ。
「君は昔からそうだ。そうやってすぐにひとりで抱えようとするね。……もっと甘えてほしいくらいなのに」
「あ……」
昔からそう、という言葉の響きに、一度だけ心臓が跳ねるように高鳴って、そして胸いっぱいに温かいものが広がっていった。
前世の記憶という共通点、それに前世でも顔見知りであったという安心感は、この世界においてレイモンドと私の秘密の仲間意識を醸成していく。
彼が前世を匂わせるたび、私は彼に親近感を覚え、強めていく……。
「そうだったかしら。もう覚えてないわ」
「またそうやって都合のいいことを」
ふふと笑い合いながら、私はたった今、自分で自分の心に壁を作ったことを自覚した。
レイモンドとの間に芽生えつつある特別な感情が、怖いのだ。これ以上近づいて、その先に何があるのか、自分がどうなってしまうのか、わからないから。
仲良くしろって言ってもできなそうなメンツが揃ってしまった




