第67話 夜の庭です
「あら。貴方も夜風にあたりに?」
「んー。アニー様がいるのが見えたから、かな」
今夜は庭で夜空を眺めながら花の香りを楽しんでいた。
特に何か目的があったわけではないのだけど、たぶん、イフライネがまた部屋を訪れたらどんな表情をすればいいのかわからないから、だと思う。
イフライネは精霊であって、異性として見てたわけじゃないつもりなのに、昨夜の訪問はさすがに私もその考えを改めた方がいいと思わせられた。
ジャンはガーデンテーブルの私の向かいに腰かけて、微笑みながら周囲を見渡した。
「すごい、濃厚」
「そうでしょ。夜は花の香りが濃くなるような気がするの」
ドリスが温かい紅茶を2人分準備しようと立ち去る。
入れ違いに、気配を察知したのか、ドリスが呼んだのか、はたまた、たまたまかわからないけれど、バルナバが遠くで控えているのが見えた。
「さっきも話した通り、予定では一度みんなで島を確認して、……10日後だね、貿易船を2隻で資材と働き手を運ぶよ。それからほぼ毎日貿易船を往復させるけど、ほんとに毎日で大丈夫?」
持ち込んだ資材を運ぶのに時間がかかるため、1日では島の港が片付かないのでは、とジャンが指摘してくれていた。
資材を運ぶ手伝いはシルファムにもゲノーマスにもできるし、風立石を利用した台車もかなりの数を準備するから恐らく問題はない。
そう説明して再度頷くと、ジャンは呆れたように笑った。
「なぜ笑うの?」
「キミが強いからさ」
「強い?」
ジャンがひとつ頷いて、背を椅子に預けた。自然と顎が上向いて、なんだか面白がっているように見える。
言葉の意味がわからなくて、重ねて尋ねた。
「私はひとりじゃ何もできないのに。強いだなんておかしなことを言うのね」
「いーや、だってキミはいつだって前を向いてる。迷いがないし、リスクヘッジだってちゃんと考えてる。怖いことも困難も何もないみたいに見えるよ」
「それなら……」
私はジャンの言葉を聞きながら、可笑しくなって思わず笑ってしまった。道筋をたてること、失敗を最小限にすること、それらを強さだと言うなら。
急に私が笑いだしたことが不思議だったのか、ジャンが首を傾げた。その茶色の瞳は、なぜだか不安げに揺れている。
「それなら?」
「私を支えてくれるみんなが強いのだわ。ジャン、もちろん貴方も」
「え?」
「だってそうでしょう? 神殿建設の話を貴方に断られていたら、とーっても困難な道になってたと思うわ」
そんな簡単で当たり前のことを、ジャンはどうして私ひとりが強いみたいに言うのかしら。みんながいてくれるから前を向けるのに。
ジャンのように頭の良い人なら考えなくてもわかりそうなものを。
「あ、それとね、お礼が言いたかったの」
「……お礼?」
「私ね、初めて島に行くことになったとき、すごく荒れた海で死を覚悟して、『ケーキをたくさん食べたかった、市井にお出かけしたかった、恋がしてみたかった』って、そんなこと後悔してたの。
ジャンが市井を連れまわしてくれたの、本当はとっても楽しかったのよ。乱闘騒ぎから誘拐事件と、お礼を言うタイミングを失くしてしまってたわ。ありがとう」
眉をひそめたまま、真っ直ぐに私の目を見て静かに聞き役に徹してくれていたジャンが、微かに唇を開いて何事か言おうとした。
けれどそれを言葉にはせず、ジャンは突然手を伸ばしてテーブルに乗せていた私の腕をとった。
「あ……ッ」
腕を引っ張られて前のめりになる私。近づくジャンの顔。
真っ直ぐ見つめられたまま、少しずつ距離を縮めるジャン……。私の腕を掴む彼の手にも力がこもっている。え、これって。
「はいそこまでー!」
ジャンの吐息が届くのではないかと思われるほど、お互いの顔が近づいた時、突然左腕の拘束が解けて後ろ側へ引き戻された。
背中がじんわりと温かくなる。
「えー。今いい雰囲気だったのにーちょーっと酷いんじゃなーい?」
「どこがいい雰囲気だ、意表突いただけだろうが」
口を尖らせてながらも、少しほっとした様子でまた椅子に背を預けるジャン。
背後からはバルナバの声で、確かに気が付けばさっきまで彼がいた場所には誰もいない。いつの間に移動したのかしら。
バルナバの言う通り、意表を突かれたことで私の思考速度は緩慢になっていて、状況がよくわからない。
「貴方も離れなさい、バルナバ!」
「いっ……てぇ……」
背後から、およそ人の体から発生したとは思えないようなすごく重い音がしたかと思うと、ほぼ同時にバルナバの悲鳴が聞こえた。
恐らく、ドリスが渾身の何かをしたんだと思う。ドリスはたまにとても怖いから。
「ちょっとからかっただけだってー、バルちゃんもドリちゃんも怒んないでよ。アニー様、またデートしようね、今度はふたりで。……んっじゃー俺は戻るねーおやすみー」
手をひらひらと振りながら、こちらに背を向けてゆったりと歩いて行くジャンは、なんだか楽しそうに見えた。
多分、さっき、この場にもしお兄様がいたら間違いなくジャンの首は転がってるような事態が起こっていたと思うのだけど、何故か恐怖は感じなかった。
目的はわからないけど、彼はいつだって何を考えてるかわからないのだから、考えても無駄ね。
「ドリスもバルナバも、ありがとうね」
「お嬢はちょっと危機感持たなすぎだ」
「それはわたくしのセリフです。バルナバも、わきまえなさい」
ドリスがテキパキと新しく紅茶を注いで、私にブランケットを掛けてくれた。確かに、少し肌寒くなってきたかもしれない。
バルナバは何歩か後ろへ下がって、「ふぇーい」と気の抜けた声をあげていた。
「そういえば、もう聞いていると思うけど、明日からトリスタンは少し領地を出るの。セザーレはこの地にいるけど、いつも通り他に仕事があるから……」
「お嬢の護衛は俺だけだってんだろ」
「ええ。オクタヴィアンもすぐに任地に戻るし。でも私は数日中に島へ行くから、特別な気を張る必要はないわ。鍛錬でもしてて」
私にとって島ほど安全な場所はない。また誰かを誘拐されでもしたら話は変わるけど、同じことを何度もやるほど敵もおバカさんじゃないと思うし。
ただ、バルナバは何か納得いかない様子で溜め息を吐き、またドリスにどやされている。
「おにいちゃん、あのね」
少し離れたところから、ピエロがバルナバに呼び掛けながらこちらへ歩いて来た。
真っ直ぐバルナバを見据えて歩いていて、後ろからついてきたローザが慌てて私にぴょこりと頭を下げる。
「どうした」
「ぼく、おにいちゃんとおなじことするの」
「え?」
バルナバが聞き返しても、ピエロはまたも「おなじことする」と、同じことを言う。
私とバルナバが目を合わせてキョトンとしているところへ、ローザが小走りでやって来て状況を説明してくれた。
「あの、先ほど奥様と『大きくなったら』というお話をしてまして。ピエロがバルナバのようになりたい、と」
「ええっ!?」
思わず大きな声が出る。
ちょっと待ってほしい。バルナバは影だ。本来、影というのは表の世界に居場所を求めないことが大前提になる。
こんな子供のうちから裏の世界を目指すなんて……ああ、子どもだから裏も表もわからないのよね、そうよね。
「だめだ」
「なんで」
頭ごなしに否定するバルナバに、ピエロの瞳にはあっという間に涙が溜まっていく。
瞬きをした瞬間、両の目からぽろりと零れた。
「ねぇピエロ。どうしておにいちゃんと同じことしたいと思ったの?」
「おにいちゃん、たすけてくれたの、かっこよかったの」
「え……」
バルナバが絶句する。
あの時、バルナバが助けに来てくれたことをピエロは気づいていたし、彼が何をしようとしていたのか、ちゃんと見ていたのだ。
それが嬉しかったに違いない。そう思うと、全否定してやるのは酷かもしれない、と思う。
「ピエロはバルナバみたいに強くなりたいの? 強くなったら、そのあとはどうする?」
「んとね、カーラさまをまもるの。おねえさんも。それでね、わるいひとをやっつけるんだよ」
私とバルナバは、またも目を見合わせた。
ドリス最強説浮上しましたね。