第66話 不可解な気持ち
視点が変わりますねー。誰でしょうねー。
バウド家の食事はとても美味しかった。味がいいだけじゃない。栄養バランスにもかなり気を遣っているだろうことが伝わる。
それに、貴族の食事など食べたことがない、という彫刻家や職人のために、どれもナイフなしで食べられるように工夫してあった。
彼らがどんな食べ方をしても、注意する者も蔑む者もいない。
そこにバウドという貴族の平民に対する考え方が現れていると思う。
俺はこの国で商売をする上で、貴族か平民か、どちらを向くべきか考えあぐねていたのだが……。バウド一族と接することが増えるにつれ、両方を相手にできるような気がして来た。
貴族に肩入れすれば平民に嫌われ、平民のための商売をすれば貴族が寄り付かなくなるのだから、どちらかを選ぶしかないと思っていたんだ。
バウドの後ろ盾があれば、どっちだって上客になるじゃないか。
アナトーリアというお嬢様の手助けをしたらいい事がありそうだ、とは思っていたけど、まさか次の当主の庇護までもらえるとは。
この仕事を終えたら、商会経営は今までの数倍の規模の取引を抱えられるようになるだろう。
学院を卒業したら、母上を連れてさっさとあの家を出て行こう。……そう思っていたのに。
俺はさっきから、ダイニングの入り口が気になって仕方ない。気になることすらも腹立たしいくらいに、入り口に彼女の姿を探してしまうんだ。
くそっ。
女なんて、柔らかい肌と涙を武器に男に取り入ることでしか生きられない矮小な生き物だろう。なんで、なんであの人は。
王子様の婚約者っていう立場に胡坐をかいて偉そうにするつまらない女だと思っていた。滅多に笑わないし、やることなすこと、なんだってそつがない。
コロコロとよく笑うクララがフィルディナンド殿下の心を掴んで婚約破棄に至ったとき、やっとあの女の泣き顔が見られるかと思った。
よく考えればあの頃から俺はちょっとおかしかった気がする。
女の涙なんて大っ嫌いなのに、彼女の泣き顔は見てみたかった。普通の、そこらへんにいる女と同じだと思いたかったのかもしれない。
婚約破棄のあった祝謝日のパーティーに、彼女は殿下の護衛騎士であるカロージェロのエスコートで会場にやって来た。
それだけでもう十分な屈辱だったろうに、真っ直ぐ伸びた背筋も、少しだけ上を向けた顎も、前方を遠く見据えた瞳も、かっこよかった。
島から戻って来た彼女は、以前にも増して強くなったように見えた。
俺を頼って来たとき、どんな無理難題を押し付けて泣かせてやろうかって考えていたはずなのに。
バウドに恩を売っておけばこれからの商売も楽になるし、難しいことでもやらせれば偉そうな彼女の泣き顔が見られるかもしれないって思ってた。
なのにあの女は何があっても泣かない。
街中で暴漢に襲われたときも、怯えもしないし、犯人に情けをかけるし。
子どもが誘拐されたときも、本当にたった一人で乗り込んでった。精霊がついてるからって、優秀な影がついてるからって、なんで迷いなく罠に飛び込める?
泣いて一言「行きたくない」って言えば、最有力貴族の全ての力を使って解決しただろうに。平民の子供は死んだとしても。
女ってそういう生き物じゃないだろう?
困ったことがあれば、泣いたり笑ったりしながら男に助けてって言うんじゃないのか。
よくわからない。わからないのが腹立たしい。
一昨日の事件、発砲はあったものの、怪我をしたのが彼女じゃないと知って俺はほっとしてたんだ。もちろん、ビジネスパートナーが死んだら困るからさ。
……いや、ほんと言うと、彼女は出発前に「私がもし死んでもこの仕事は続けてほしい、兄が代理を務める」ってわざわざ言ってたからどうなってもビジネスには影響なかったんだけど。
俺は、リオネッリ男爵の子だけど母は男爵の愛人だ。いや、愛人になろうとしてなったわけじゃない。ただの侍女がお手付きになったってやつだ。
男爵と夫人の間には娘がふたり。男子は生まれてなかったから、俺が跡継ぎとして養子になった。
姉ふたりも、夫人も、俺が気に入らなかったらしい。
そりゃそうさ、わかるよ。愛人の子が家督を継ぐなんて許せないだろう。
散々いじめられた。口じゃ言い表せないようなこともいろいろされた。
家の中じゃ想像するのも難しいような非道なことをするくせに、門を一歩出たら貴族の女って顔して偉そうに、でも儚げに歩くんだ。
俺がちょっと反抗すれば、泣いて男爵に縋りつく。いい身分だなと思ったよ。
そのうち夫人が男の子を生んで、俺はお払い箱になった。
書類の上では弟だけど、俺と弟に血のつながりはない……ってことを、リオネッリ男爵は気づいてない。
女って、そういう生き物なんだろ。狡く、小賢しく、可愛く、男の腕の中で生きていくんだ。そのためにはどんな武器だって使う。
血の繋がったほうの母は、俺に母親らしいことはしてくれない。すれば俺も母上も酷い目に遭うんだから仕方ないけどね。
俺の部屋に飾られるふたつの百合だけが、俺と母上の絆だった。
誘拐事件のあとすぐに島に出向いたらしいアナトーリアに会ったら、なんだか嬉しそうで腹が立った。
多分島でいいことがあったんだと思う。子供の怪我が治ったんだから、そりゃ嬉しいだろうけど、なんで俺がそれでイライラするのかわからないし、イライラする自分にまたイライラする。
街デートをしたとき、そのへんの食べ物を食べては目を丸くして舌鼓を打つ姿も、綺麗なステンドグラスに溜息を吐く姿も、まさに女の子という感じで可愛らしかった。
絵に描いたような女の子なのに、彼女は俺の前で絵に描いたような狡い女であったことは一度もないし、逆に、今日みたいな嬉しそうな顔、穏やかに幸せを纏ってるみたいな顔をさせたことも一度もない。
そうだ。俺は……。
彼女が俺の知ってる女じゃないことに狼狽してるし、他の女たちと同様に喜ばせることができないことを悔しがってる。
今まで俺が笑いかければ誰だって顔を赤くしてたはずだ。何かプレゼントしたり甘い言葉を囁いてやれば、恋人気取りで俺の腕を取るのが当たり前だった。
俺が眉をしかめれば不安になって、俺が腹を立てれば泣いて許しを請う。泣いてたって怒ってたって、頭ひとつ撫でてやれば喜ぶのが女だ。そう思ってたのに。
ひとりで倉庫になんて行かせたくなかった。
彼女が助けてって言えば俺はなんだってしてやろうと思った。
さっきの謎の来客だってそうだ。彼女の顔を見ればわかる。誰だか知らないが、悪い話じゃなかったんだろう。
いつだってポーカーフェイスを心掛けてる彼女だが、いつの間にか俺は気分の上下くらいわかるようになった。だから……。
ああくそ!
なんだって俺は彼女の表情の全部を見たいんだよ? 見たいんじゃない、させたい、だ。
俺の手でいろんな顔をさせてみたいなんて!……媚びてほしい、笑ってほしい、泣いてほしいと願うなんて。
叶うなら、それらを独り占めしたいなんて。
語り手がちょっと感情的なもので、支離滅裂に話が飛び飛びなんですが、ノー推敲。
ちょっとした拗らせ男子です。
本編をお読みくださる方向けに、おまけのサブストーリー集を始めました。
そちらは気が向いたときだけの更新ですが、ご興味をお持ちいただけましたらシリーズ一覧からご覧いただけると幸いです




