第63話 事件後の報告です
ゆらゆらゆらとカップから湯気が立ち昇る。イチゴの甘酸っぱい香りをともなって。
ドリスがイチゴのジャムを少し加えた紅茶を淹れてくれるときというのは、大抵いつも私が何か悩んでいるときだ。
きっと今も、眉間に皺が寄っているのかもしれない。そう思って紅茶を一口いただいてから眉の間を少し揉んでみる。
外はもう暗いのに、いつものように星空を眺めようと言う気持ちにもならない。
悩むのも仕方ないことなのだ。
屋敷に戻ってから、アナイダ港での後始末について報告を受けたのだけど、思った以上に相手は狡猾だったし、それに冷酷だった。
「アニー、少しいいか」
「ええ、もちろんです」
ノックの音とともに、お父様の声。
ドリスが、扉を開けてお父様を招き入れてから改めて紅茶を淹れる作業に取り掛かった。
「さっき財政部から連絡があってね。エスピリディオン島の所有申請が承認されたそうだ。追って公簿の謄本も準備されるだろう」
「まだ2週間経ってませんわ。思ったより早い……。でも安心材料があるのは嬉しいですね」
「少し急がせたよ。何度も襲撃されたら困るからね」
お父様は洗練された動きで音もなく椅子にかけると、私にも座るよう向かいのソファーを手で指し示した。
公簿とは王宮政務室が管轄する各部門で管理される帳簿のことで、ここでは財政部の管理する土地所有に関する帳簿だと思う。
簡単に言ってしまえば不動産登記簿ということかしらね。
島の所有が承認されたなら、私の命を狙う意味がほとんど無くなるはずだから、これからはもう少し安心できそう。
少なくとも、屋敷の誰かが誘拐されるようなことはもう。
「敵の目星がついていながら、何もしてやれなくてすまない。セザーレを向こうにやってるんだが、あの狐め、なかなか尻尾を見せない」
「無理に尻尾を掴もうとすれば足を掬われます。それに真正面から壁を壊すのがバウド家でしょう?」
「そうだな、傍目から見れば、だが」
「狐さんよりはずっと猪突猛進ですわ」
昨夜の事件は、主犯と思われるピエロを撃った男の自害で幕が下りてしまった。口の奥に隠し持っていた薬を一噛みして永遠に物を言わなくなったらしい。
他の6人はやっぱり何も知らなかった。日雇い労働者、不法入国者、ギャングにもなれないゴロツキ、そんな人達が主犯によって集められただけ……。
戦い方を見ても、命を惜しまないところからも、どこかの大貴族に仕える影であろうと考えられるのだけど、ボナートか、王家か、もしかしたらクララの取り巻きの誰かかもしれない。
ひとまずボナートであろうと当たりを付けて、影のセザーレに様子を見させているらしい。
ドリスがお父様の前に紅茶を準備し終えて部屋を出て行くと、お父様は小さな咳ばらいをひとつして、抑揚のない声で呟く。
「それから昼過ぎに川原でアレンという男の亡骸が見つかった」
「アレン、ですか」
「平民出身だが、とても優秀な男だった、魔導部の開発チームでは期待のルーキーとまで言われていたんだがね。……彼に何があったか調べさせているが、わからんだろうね」
口封じだ……。
なんらかの手段を用いてアレンに兵器を盗ませて、口封じのために殺した。あるいはアレンが自責の念に押しつぶされて、ということもあるかもしれないけど。
昨夜のうちに、ジャンのチームが姿を消した南倉庫の管理人とバウド家の侍女を見つけ出していた。
もちろん彼らの命も、なかったらしい。無理心中を装っていたし、そのように処理はしたけれど、真実はきっと永遠に闇の中だろう。
ふつふつと怒りがこみ上げる。
血液が激流のようにカラダを走り抜けるのがわかるし、体が震える。それに悔しくて悔しくて、涙が溢れて止まらない。
「お父様……なぜ彼らはここまでするんです? バウド憎しと言えどやりすぎです」
「私もそう思うよ。ボナートがバウドを嫌うのは嫉妬だ。先代国王と先代のボナート公テオドーロは兄弟だろう。だから彼らには幼いうちから王家の決めた許嫁がいた。お前と、フィルディナンド殿下のようにね。
だが、テオドーロは……当時はまだ殿下だったわけだが、私の母ブリジットに恋をしたらしい。ずっと諦めきれないままね。家庭内不和の原因がバウドにあると言われたことがあるよ」
「それだけで?」
「先代の公爵夫人は、テオドーロと私の母を恨んだまま流行り病で若くして亡くなった。オネストの人生はバウドへの憎しみでできてると言って過言じゃないかもしれないよ」
おじい様と先代のボナート公爵は従兄弟同士のはず。おばあ様は友好国の末のお姫様で、絵姿を見る限りとても美しい方だった。
殿方が恋焦がれるのも理解できてしまうくらいに。でも……、だからと言って。
「ボナート公のお気持ちはわかりかねますわ」
「普通ならそう思うだろうね。……そうだ、エルモから聞いたよ。何か私に話があるって?」
「ええ、そうでした。陛下がレイモンドと会いたいと仰っていた件、話を進めていただけますか。そこで、レイが正しく巫覡であるとご覧にいれたいのです」
お父様が部屋を出て行ってから、私はやっと窓を開けて日課である星空観賞を開始した。
と言っても、いつものように何も考えずただ眺める、というわけにはいかないのだけど。
「誘拐事件の真犯人に繋がる証拠はなし、証人はみんな死亡、魔導部の大臣は責任をとって辞任……」
黙って抱え込んでいても気が滅入るだけ、そう思って入って来た情報をひとつひとつ呟いてみる。口にしたからと言って、それらが良いニュースに転じるわけでもないのに。
それでも自分で発した言葉をもう一度耳に入れることで、思考が整理できるような気がした。
「ああ、あと、クララは発見できず、だったわね。クララの他にもう一人いたらしいという目撃情報と、突然の霧。恐らく魔導兵器のひとつ」
シルファムが見かけたと言っていたクララを、誰も見つけることはできなかったらしい。
ただ、昨夜あの港では魔導兵器がもうひとつ使用されていた。霧を発生させるもので部隊の撤退時などに用いられる。つまり一般に出回っているものではない。
クララと一緒に誰かがいて、魔導兵器を使って逃げた可能性がある、と。
つい、魔導部副長であるキアッフレードの存在を思い出してしまう。
「ヤナタの第三王子とクララは一体どんな……」
『ヤナタってもっと北の国だよなぁ』
「ええ、そうね。北東の小さな国よ」
『島ほどのサイズじゃないけど、あの国の北の方にもエーテルの結束点があって、土地神も精霊もいるんだわ』
「ああ、そういえば以前エストが……って、えっ?」
あまりにも自然な会話に、全く気付かなかった。私、誰かと喋ってる。
慌てて振り返ると、そこには燃えるような朱い髪をふわふわと揺らす若い男がいた。
『よぉ』
「よぉ、じゃないから……。呼んでないんだけど」
『まだエストの加護あるから、なんとなく』
イフライネはニコニコしながら、テーブルの上のランプに手をかざす。
人工的で寂しいと思っていたランプの炎が、ふわりと温かな色になった。見ているだけで癒される優しい色だ。
「また誰かに叱られるのではない?」
『誰かってレイだろ。……なぁ、俺をここに置いとけよ。絶対お前を守るって約束する』
「……ありがとう。でもそんなに心配しなくても、近いうちに島へ戻るわ」
イフライネは返事もせず目を細めて私を見る。
夜、ひとりの部屋、星空を見上げていると現れるイフライネ。どうしてもあの夜のことを思い出してしまって、胸の奥がひりひりする。
イフライネが小さく一歩を踏み出して、咄嗟に私は体を強張らせた。
バウド家絶許になってるボナートさんのお話でした。




