第58話 激闘です
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発砲音と思われる大きな音に次いで、事務所のほうから怒号や物が倒れるような音が響く。
「シルファム!」
「なっ──」
私が精霊の名を呼ぶのと同時に、私の周囲にいた5人の男たちはそれぞれに膝をついて苦し気に口を開けて喘ぎ始めた。
みるみるうちに表情が青ざめていく。次の瞬間には突風に飛ばされるように5人の男が一所に吹き飛ばされ、折り重なるようにして倒れた。
「……なにしたの?」
『息を吸えなくして意識を飛ばしてからお掃除』
恐ろしい子。
あの5人は全員意識を失っているはずだというシルファムの言葉を信じて、私は事務所へと走る。
事務所には大きなガラス窓が嵌まっていて、明るい室内は近づけばこちらからもよく見えた。人影は大きく3つ……。
セザーレとトリスタンがそれぞれ誰かを拘束してるのがわかる。恐らく、7人のうちの残りの2人を制圧しているのだろうけれど。ただ、もう一つトリスタンの傍らに人影が。
どうにか事務所に到着して、ドアを開けるのももどかしく思いながら中へ入る。
「トリスタン! ピエロは──ッ!?」
私の目に飛び込んできたのは、床を埋め尽くすようなガラス片と、その上に広がる真っ赤な液体。
ワインでもペンキでもない、これは、この匂いは……。
トリスタンの足元にあった人影は、バルナバだった。バルナバはその腕にピエロを抱いていて、真っ赤な液体は彼らの足元に流れ落ちている。
「ピエロ……ピエロ……」
「バルナバ! 貴方怪我をしてるの!? ピエロは無事?」
ピエロをぎゅっと抱き締めるバルナバは顔面蒼白で、私の声は聞こえていないように見える。
しかしその腕の中のピエロの顔色はバルナバのそれなど比べ物にならない。もはや真っ白と言えた。
「ピエロが撃たれました。恐らく腹を。我々がついていながら……」
トリスタンが口惜しそうに呟く。
ピエロが撃たれた、と彼は言った。それでこの出血量はまずいのではないか。二人分の血液ではなく、小さな男の子ひとりから流れ出たものだとしたら。
どうしよう、どうする?
このままではピエロは長く持たない。
医師は?
銃創を治療できる医師なんて。それにこの出血では医師のもとまで間に合わないかも。
どこを撃たれたの? どうしよう、私いまパニックになっている。
こんなときどうしたらいい? どうするように言われてきた? ええと、息を吸うの。大きく息を吸って。最優先でやるべきことを考えて。その中で私にできることを探して。
「……シルファム、手を貸して。私を島に連れて行って頂戴。船を最速で動かしたいの」
『私だけじゃ最速にはならないけど』
「ウティにもお願いするわ。バルナバ、聞こえる? 私を信じて、その手を離して」
バルナバに近寄ってピエロをさする腕に手を置くと、ピエロとそっくりな海のように深い青の瞳が私を見上げた。一瞬ぼやけた焦点が少しずつしっかりしていくように、瞳が震えたのがわかる。
「あんた、無事だったか」
「まだ終わってないでしょう、さぁ、手を離して私にピエロを任せて」
私の無事を確認して笑ったバルナバの表情から感情は読み取れなかったけれど、バルナバは私の言葉におとなしく腕の力を抜いてくれた。
ゆっくりと、負担にならないようにピエロを抱く。柔らかい体、とても軽くて、真っ白な顔。
「貴方は大丈夫なのね?」
バルナバが呆けた顔で頷くのを確認して、私は立ち上がると事務所を出た。
できるだけ体が動かないように、でもできるだけ早く。気ばかりが焦って足がもつれそうになる。
後片付けはトリスタンたちが全てやってくれるはずだ。
心でよろしくと一言お願いしつつ、倉庫を出て、そして船着き場へ向かう。
船ならなんでもいい。精霊たちがいてくれれば、この航海の安全性もスピードも保証されているのだから。
「ウティーネ! お願い、助けて!」
『あらあらー。ホームシックかしらー。子連れで島に帰るなんて、レイが泣くんじゃない? それにエストが溜息吐いてたわよー』
『泣くのはイフじゃないの……』
「ぜんぶお見通しなら話が早くて助かるわ」
呼ぶのとほぼ同時に現れた優しそうなお姉さん姿のウティーネは、眉を下げて困った顔をしながらも説明する前から理解を示してくれた。
目の前の小さな漁船に乗って舫いを解きたいのだけど、ピエロを抱いたままだと思うように作業ができなくて、焦りばかりが強くなっていく。
「悪い、俺も行く」
突如、私の目の前に現れたのはバルナバだった。つい先ほどとは打って変わって、しっかりとこちらを見据える瞳には力がある。
もうひとり乗り込めるだけのスペースを作ると、ほとんど船を揺らすことなく乗り込んであっという間に舫いを解いてしまった。
「では行きましょう!」
「……頼む」
私がシルファムとウティーネに目配せをすると、船がひとりでに動き出し、みるみるうちに加速する。
そのスピードに反して、全く揺れもなければ風が私たちの体を冷やすこともない。精霊たちの細やかな気配りにただ感謝するだけだ。
そばに座るバルナバがピエロの手をとって両手で包み込んだ。その瞳は気遣わしげにピエロに据えられている。
「謹慎命令を無視した」
「ええ。さっきの状況、話してもらえる?」
「俺が到着したとき、ピエロは寝かされててトリスタンが天井近くの換気口に、セザーレが裏口側の扉のそばにいるのがわかった」
私はバルナバの説明を聞きながら屋敷で見た見取り図を思い浮かべる。
事務所には扉が3つあって、1つは倉庫、1つは隣の休憩室、もう1つは裏口に繋がる廊下に出る扉だ。休憩室も全く同じ作りになっていたはず。
影の2人の配置は予定通りだ。
「彼らの突入に時間がかかっていたのは、ガラスのせい?」
「ああ、恐らく。いくらトリスタンでも音をさせずにガラス片の上に降りるなんて無理だ。相手はずっとピエロに武器を向けてて、動くに動けない状態で。俺も……休憩室側に降りて扉を挟んで様子を伺うしかなかった」
「随分しっかり対策されてたのね……」
バルナバはほんの少しだけ顎を上げて、船の進行方向へ視線を移す。島までの距離を測ろうとしたのかもしれないけれど、真っ暗闇の海の上でそれを知ることは難しい。
「巡回から戻った男とセザーレが揉み合ったときだ。トリスタンはピエロの傍にいる男を制圧しようとした。でも、男は物音がしたと同時にピエロを抱き上げてたんだ」
男がピエロの確保を最優先したから、さすがのトリスタンも換気口から飛び降りてピエロを守るには少し間に合わなかったというところかしら。
「男はピエロを抱き上げてその頭に武器をつきつけてた。あの武器の威力がわからなくて撃つのを躊躇ってたのか知らねぇが、トリスタンが一歩にじり寄るたびに男はただ後退するだけだった。
気が付けばもう休憩室の傍まで来たから、ドアの隙間からトリスタンに合図して同時に動いた。俺が武器のクリア、トリスタンがピエロの確保だ」
「……あの男は手練れだったってことね」
バルナバは返事をしなかった。もっと他にやりようがあったのではないか、他のチンピラと一緒だと甘く見ていたのではないか、そう考えているみたいに。
ガラス片を撒いておくことも、ピエロから照準を外さないままでいることも、予想外の方向からの攻撃にもキッチリ引き金を引いてみせたことも、戦い慣れているとしか思えない。
バルナバが男の武器を取り上げようとしたから、照準が頭からずれたのだと思う。だからピエロはまだ息をしているんだ。
私は腕の中の小さな体がまだ温もりを保っていることに感謝して、細く長く息を吐いた。
男が手練れだと言うなら、雇い主と直接コンタクトをとっている可能性が高い。トリスタンの尋問に耐えられた人はいないと聞くから、島から戻ったときには何か動きがあるかもしれない。
そして、バルナバがさっきの自分の動きに反省点があると振り返るのはいいことだ。
そう、いいことだと思えるためにも、ピエロを必ず生かさなければいけないの。この小さな命を、影を育成するための勉強代になんてしない。
ピエロきゅん……
 




