第57話 交渉開始です
港と南倉庫の敷地を隔てる門は開いていた。
見張りはいないみたい。まっすぐ進むと、荷物の搬入用とは違う、小さな扉が開け放たれているのが見えた。
トリスタンたちや、ジャンのチームが動きやすくなるように、できるだけ大きな足音で存在感をアピールしながら進む。
明かりがないわけではないけど、広さに対して圧倒的に数が足りてない。恐らく意図的に暗くしているのだと思う。
見取り図通りなら事務所として使われているだろう部屋に煌々と明かりが点いていて、部屋を仕切る窓から漏れるその明かりを頼りに、どうにか進むことができそう。
「シルファム、何人いる?」
『この広いところには5人。あっちの小さな部屋にもいるみたいだけど、風を当てられないからわかんないなぁ。あとこっち側に小さな子はいない』
空気の振動や反響で、シルファムはこの暗がりの中でも潜伏者の位置や人数を把握できるらしい。
了解の意で小さく頷いてから、明かりと精霊の案内のもと、事務所らしき小部屋を目指して前進する。
ピエロがこちら側にいないなら、恐らく事務所か休憩室……彼らがピエロを返してくれるつもりがあるなら、だけど。
ああ、そんな良くないことを考えてる暇はないわ。トリスタンたちを信じて、みんなで無事に帰れるように頑張らないと。
「おう、そこで止まれ」
暗がりのどこかから男の声がして、私は足を止める。事務所にはまだ距離があってピエロの姿は確認できない。
さっき、みんなで話し合ったこの救出作戦について、改めて振り返る。
もし、本当に金銭だけが目当てなようであれば、ピエロを無事に返してもらったあと、トリスタンが彼らを尾行して依頼主を特定する。
私が目的なら、私を言いなりにさせるためにもまだピエロは無事なはずだから、私と犯人とが対峙している間に、トリスタンたちがピエロを保護する。
ピエロがもう……いいえ、暗いことは考えないってさっき決めたばかりなのに。まずはピエロを保護するまで彼らを刺激しないようにしないと。
「1000万ジラ、金で用意したわよ。ピエロはどこ」
どこにいるかもわからない相手に向けて、あちこち周囲を見回しながら語り掛けると、先ほどよりも少し近い位置から返事があった。
「へぇ、金ってのはあるとこにはあんだなぁ。今日の今日ですぐ用意できちゃうなんてな」
『5人に囲まれてる。まだやっつけないんだっけ。トリなんとかさんの合図まで待つ?』
シルファムの問いかけに小さく頷いて、声の主がいる方向へ当たりを付けて向き直ると、さっきよりももう少し大きな声で、もう一度ピエロの無事を確認する。
単純な構造の建物だ、ピエロが隠されているとしても探し回るほどではないはず。トリスタン、どうか早く……。
「質問に答えて。ピエロはどこなの?」
「へっへ、まぁ焦んなさんなよ、お嬢ちゃん。時間はたーっぷりあるんだしよお」
「言い付け通り、ちゃーんと1人で来たんだから、ご褒美あげなくっちゃなぁ」
下卑た笑いが私を包む。シルファムの言う通り、男たちは私の周囲をぐるりと取り囲んでいるみたい。
私の様子を、一挙手一投足を、楽しんでいる。私が焦ったり怒ったりする全てに、支配欲が刺激されてでもいるみたいに。
「私にとってのご褒美はピエロを無事に返してくれることだわ」
「もちろんそうするさ、でももっと気持ちいいことしてやろうってんだ」
暗がりに目が慣れて来たこともあり、すぐ側までやって来た男たちの姿を目視できるようになっていた。
誰も彼も、日中襲って来た男たちと同じような風体。そう言えばどちらの雇い主も同一人物だとジャンが言っていたかしら。きっとこの男たちを絞っても、主犯にたどり着くことはできないのでしょうね。
トリスタンからの合図はない。ギリギリまで引き延ばさなければ。
「あなた達、何人いるの?」
「はぁ? 何人だろうなぁ。安心しなよ、全員でちゃんと可愛がってやるからよお」
「7人だったかな、良かったなお嬢ちゃん。滅多にできる経験じゃねぇぞ」
入り口に見張りは見えなかった。ここに5人ならピエロのところに2人……もしどこか、例えば港のほうへ見回りにでも行っているなら、ピエロのそばには1人だけかもしれない。
どちらにせよトリスタンなら難しいミッションではないはずだわ。
「んーじゃ、これは先に預かっとくからよ」
「待ちなさい、それはピエロと交換でしょう!」
「うっせーよ、そういう状況じゃねぇのわかんねーのか、嬢ちゃんよ?」
奪い取られたバッグを取り返そうと伸ばした手は、背後の男たちによって掴まれ、そのまま拘束される。
右手担当の男はとくに背後に密着していて気持ちが悪いのだけど、恐怖よりも不快感が先に来るのは多分、私の目の前でエナガが呑気にホバリングしてくれているからね。
……そういえば、精霊の価値観で「限界」ってどれくらいなのかしら。
例えば男性の手が胸元に掛かったら私にとっては限界なのだけど、命に関わらないから大丈夫と判断されたりする?
「痛っ……離して」
「暴れなきゃ優しくしてやるってんのに」
右手担当と左手担当が私の背後に、鞄持ちとリーダーらしき男が私の正面に立っている。5人目は私の左側から片足を引きずるようにしてゆっくりと近づいて来た。
そして、私のドレスの胸元の繊維を、小さなナイフの切っ先で引っ掛けるようにして弄び始める。
『あーあ。ここに来たのがイフだったらこのニンゲンたちもう死んでるよねー。シルに感謝してほしい』
男たちの下卑た笑いにイライラしてきたころ、呆れたようなシルファムの声とともに、どこからともなく倉庫内に風が吹く。
「……おい、どっか閉め忘れてんじゃねぇのか? 見て来いよ」
リーダーらしき男が、ナイフ遊びをする男に顎で指示を出し、男は舌打ちをして片足を引きずりながら歩き出した。
一瞬の静けさ……を、粉々に砕くような破裂音。
「!?」
「クソッ。おい、女捕まえとけ、逃がすなよ!」
誰もがビクリと肩を震わせて、音の出処を探す。
が、リーダーらしき男は今のがなんの音であるか理解したのか、罵倒するような言葉を叫びながら走り出した。
もちろん私も、すぐにソレに思い至る。
銃に違いない。映画などで聞こえてくるそれよりも余程豪快な音をさせているが、きっと間違いない。
別室で誰かが発砲したのだ。
人間と恋愛ができる精霊にとっても「限界」は同じくらいの価値観だったようです。温和なシルちゃんに敬礼。