第56話 「兄」です ★
2019/11/14:いただいたFA貼りましたー( ゜∀゜)
屋敷からアナイダ港まで、そう遠くはない。直線距離にして5キロほどだろうか。
港からの輸送コストを下げるため、領地内の道はしっかり整備し、馬車の風立石への負担を減らすなど工夫がされているため、バウド家のキャリッジなら急がなくても30分前後で到着する。
少し早く到着してしまったので、港へ入る手前で停車してエルモと共に馬車内で時間を潰すことにした。
ここから南倉庫までは、私だけで向かわなければならない。シルファムがついていてくれるとは言え、緊張も不安も恐怖も、無くすことはできない。
血が通っていないみたいに、冷たくなった指先を両手で忙しなく擦り合わせる。
リチャード・クイン氏が準備したのは1000万ジラ分の金塊だった。
現在の金の取引価格が1グラムあたり3000ジラらしく、ここにあるのは約3400グラム。私でも問題なく運べる重さだ。
1000万ジラについて貨幣の指定はなく、銀行券を発行したのでは足がつきやすく嫌がるのではないか、というのがクイン氏の見解。
指定しないほうが悪いのだから、こちらとしては足がついたほうが良いのではと思うのだけど、お父様やお兄様は、それで捕まえられるのはどうせ何も知らない下っ端だから、と気にしない様子だった。
そういえばトリスタンやジャンも、日中に私たちを襲った連中から雇い主の情報は得られなかったと言ってたっけ。
いいえ、十中八九ボナート公ないしクララの手によるものと私たちは思っているのだけど、とにかく証拠が見つけられないのだ。
エルモは馬車の外で突然の襲撃に備えて見張ってくれている。
まだまだ若い者にも劣らないつもりですと笑ってたけど、その目の奥に覚悟があるのを私にも感じとれていた。
どうか誰も怪我をせずに、無事ピエロを連れて帰れますように……。
『だめだめー、エストってばもう少し加護の範囲広げてくれないかなー、倉庫の中までは入れなかったよ』
祈るように目を閉じた時、姿を消していたシルファムが突然戻って来てぼやいた。
普通の人からなら目撃される心配のないシルファムが、先に港の中の様子を確認しに行ってくれたのだけど動ける範囲は大きくないらしい。
「そう、ありがとうね」
『あ、でもね、あの子がいたの。えっと、なんだっけ。ク……ララ?』
「え?」
『なんかね……』
シルファムが言うには、南倉庫の手前にある小さな建物の陰から倉庫を伺っている女性がいて、それがどうもクララだそう。
相変わらずシルファムの姿を目視することはできていないみたいだけど。
隠れながら倉庫の様子を伺っていたというのが気になる。彼女はこれを計画した人物とどこまで関係があるのか、ないのか。何が目的なのか。
クララが犯人グループと関係があるならともかく、そうじゃなかったとしたら、クララの姿が犯人グループに見つかるのも困る。
私以外の人間の姿が見えたら取引終了と言われているんだから。
トリスタンと、もうひとりの影であるセザーレは既に南倉庫付近で待機している。
最も犯人グループの注意が逸れるであろう、私が南倉庫へ入る瞬間に、トリスタンとセザーレは南倉庫へ、ジャンの配下にあるチームは港内へと侵入する予定だ。
見取り図を見る限り、南倉庫はただただ広い空間があるだけの建物で、最も南側の一角に事務所のような小部屋や、従業員の休憩室などがあるらしい。
どれだけの資材が保管されているかにもよろうが、隠れるところは少ない。トリスタンとセザーレは侵入後にまずピエロを探して確保するために動いてくれるはずだ。
ジャンの配下のチームへ、エルモから伝言を頼もう。
港内へ侵入したら、まずは犯人グループに見つかる前にクララを保護してもらったほうがいい。それが保護となるか確保となるかは彼女次第だけれど。
「お嬢様、そろそろ……」
外から、エルモの静かな声が聞こえる。掠れたその声には悲痛な気持ちが滲んでいて、それだけで私は少し強くなれる気がした。
小さな箱から出ると、潮を多く含んだ風がゆらりと私の髪で遊ぶ。
この香りは、島で浜辺を散歩するときに嗅ぐのよりもずっと潮気が強い気がする。喉の奥が痛くなるほどに。
エルモに、ジャンのチームへの伝言をお願いして、私は港内へと歩を進めた。
アナトーリアが港へ一歩足を踏み入れるよりほんの少し前。
エルモとアナトーリアを乗せた馬車を見送ってから、ラニエロは玄関ポーチのなだらかな階段に座り込み、無造作に足を投げ出している。
その後ろには、ただ俯いて所在無げに立ち尽くす小柄な男。
「俺はな、バルナバ。アニーより価値あるものを知らない」
ポツリ、語り出したラニエロの目は、既に閉じられているであろう門のある方向を向いている。ただ視界には闇の中で遠く門のそばの明かりが浮かぶばかりで、何も見えない。
馬車が出てからもう30分近くが経過している。最愛の妹を連れ出した馬の足音も、とっくに聞こえていない。
「公爵家の人間だからじゃない。領土を持ったからでもない。笑ってくれるからだ。彼女が生まれたとき、俺はもうこの家を継ぐための全ての準備を始めていた。
勉強も武術も、人の使い方まで。まだ5歳だった俺を子ども扱いしてくれる者はどこにもいなかったが、ただアニーだけが思うままに笑いかけてくれた」
広いポーチにはもうラニエロとバルナバしか残っていない。いつもはキッチリと掃除の行き届いているこのポーチも、今日はいくらか落ち葉がそのままになっていた。
チリッロは魔導兵器の盗難事件の対応のため王宮に戻り、カーラは侍従たちとともに二人の子供を迎える準備に没頭することで、心を落ち着けている。
誰もが忙しなくしている。忙しなくしていないと、落ち着かないのだ。
「ミルク臭くて、抱っこすればむにゃむにゃと柔らくて温かい彼女は、あの日から俺の宝物だ」
バルナバの脳裏にいろんなピエロの姿が浮かぶ。夜泣きのうるさいピエロ。なけなしの食べ物をそこら中にぶちまけるピエロ。どこへ行くにもついて来ようとするピエロ。
そして最近では、バルナバが必ず帰って来ることを喜ぶピエロ。
「アナトーリアが命を懸ける価値のあるものなど、俺には思いつかない。いっそピエロを見殺しにしても構わないとさえ思う」
「……」
魔法石の普及で、夜も大分明るい市街地であるが、もうすぐ日付も変わろうというこの時間になって、明かりを灯したままの家はほとんどない。
バルナバは、ポーチを照らす明かりでできた自らの影を見つめた。
「一方で俺は、何につけても民を優先するこの家の教えも誇りに思っている。それを率先して体現するアニーもな。……ピエロを見殺しにすればアニーの心が死ぬだろう」
ラニエロは、もう何も見えず、何も聞こえなくなった門の向こうから視線を剥がすと、おもむろに立ち上がって小さく溜息を吐いた。
「なぁ、バルナバ。お前にとってピエロはなんだ。アニーは? それにお前はバウドのなんだ。お前はバウドに、アニーに、ピエロに、何ができる」
俯いたまま拳を強く握り込むバルナバの肩をぽんと叩いて、ラニエロは屋敷へと入って行く。
匿名希望さまからイラストいただきました!
以前、つこさん。様より頂戴した「ぼくはピエロ」というタイトルのファンSS(https://ncode.syosetu.com/n3396fu/)も併せてお読みいただけると、一層ピエロの天使っぷりが感じられます! よろしければ是非。
さぁ、ピエロを無事に救出することができるのか……!