第53話 都会派です
「貴方が影であるならば、きっといつか命の選択を迫られる。いつかその手で、刈り取る日も来るかもしれない。だけどその最初がピエロだって言うなら、私は貴方をここに置いておけない」
「え……」
「影は、私の命を守るだけが仕事じゃない。家を、家の資産を守ってもらわないと。ピエロは、もうウチの子でもあるでしょう、お母様?」
お母様は、声にもならず泣き崩れながら、ただコクコクと頷いた。
素直で利発で物怖じしないピエロを、バルナバのいない時間にはいつも近くに置いて可愛がっているお母様。
ピエロを助けるためには娘を差し出さなければならないという状況で、お母様はバルナバと同じくらい辛いのじゃないかしら。
「でも、奥様……」
「バルナバは明日の朝まで謹慎を。……誰か、お父様とお兄様にはもう連絡はしてある?」
お母様に何か言いかけたバルナバを制し、一先ずこの場のイニシアティブをとる。私の命を懸けるのだから、私が決める。それが効率的でしょう。
バルナバは謹慎命令に絶句しているけれど、うん、家と私のために可愛い弟の命を諦めようとしたおバカさんには、いいお灸になるわ。
「はい、恐らくもう少ししたら戻られるのではないかと」
「ありがとう、では誰かトリスタンに連絡を。彼なら気付かれずについて来られるわ」
王宮に詰めているお父様とお兄様への連絡が済んだと頷くガイオが、トリスタンへの繋ぎもまた請け合ってくれた。
ガイオは、エルモが自らの後継として目をかけて執事の仕事を教育している。浅黒い肌はどこか異国の血を感じさせるのだけど、そう言えば彼もまた亡国の貴族のご子息と聞いたことがある。
「アニー……」
お母様のハグを受けて、私もその背中に腕をまわす。
思っていたより小さいお母様の体は、震えていてなんだか弱々しく感じた。
お父様とお兄様の帰宅を待つ間、私はドリスでさえ少し遠くに置いて、庭の植物に囲まれることにした。
土の匂い、葉っぱの青臭い香り。そして、いろいろな花の甘く鼻腔に纏わりつく香り。そんな湿った空気の中で、私はピスキーを探す。
いつだったかバルナバと話をしていたとき、この草の陰に妖精の姿が見えた気がしたのだ。
どうか出て来て……。
「ピスキー」
右手の甲にあるエストの加護に触れながら、小さく彼らを呼ぶと、その声に呼応するように背後でカサリと音がした。
ゆっくり振り返ると、島のピスキーたちよりほんのり赤みの強い羽を持った丸い顔をした妖精が、草の陰からこちらを覗いている。
「ああ……良かった。出て来てくれてありがとう」
『やっぱりアナタ巫女サマ?』
『なになにー? あー。あにーだー』
『巫女サマなのー?』
『この子はこのオウチの子だよ』
ヒョコリと顔を出したピスキーの後ろから、さらに何人もの妖精たちが顔を出して、思い思いにお喋りを始めた。
「ええ、私は巫女みたいなものよ。こんにちは」
『こんにちはー。巫女サマなんていつぶりだろうー』
『これから島に渡るのー? でも島にも覡の匂いがするー』
少しずつ私に対する警戒を解いて、距離を縮め始めたピスキーたちが、私の周囲をふわふわと飛んで笑ったり歌ったりとはしゃぐ。
それは島の緑色をした羽のピスキーとほとんど同じに見えて、懐かしさで胸が熱くなった。
「ねぇ、ここから精霊を呼ぶことはできるのかしら。私が呼べば彼らはここへ来られる?」
『うーん、わかんないー』
『祈りは届くと思うけど』
『エストの加護の範囲しか動けないしー』
『でもさいきん、精霊のこと信じてるニンゲン増えたから』
『そうだね、もしかしたらこっちに来れるかもー』
ピンチになってから呼んでも、来られるかどうかわからないのでは厳しいか。
もし来てくれたとしても、どれだけ守ってもらえるか、その力をどれくらい発揮できるのかもわからない。
やっぱり、自分でどうにかするしかないかしら。
そう思案していると、最初に出て来てくれた真ん丸の顔の妖精が、私の正面、目と鼻の先まで飛んできてクルリと回転した。
『ぼくらが呼んで来てあげる』
『エストに言えば今だけ加護を広げてくれるかもねー』
つまり、理由もなく先に呼びつけるよりも、状況説明をした上でエストに然るべき対処を乞うべき、ということかしら。
あれ、もしかしてこの子たち賢い……。
『島行ってみたかったー』
『行こー行こー』
2体のピスキーがふわっと舞い上がると、まるで鱗粉みたいに細かい光をきらきらと振りまいて、そして、消えた。
「あら?」
『あの子たち島に行ったー』
『はやーい』
「あれ、状況の説明できなかったな……」
『だいじょうぶー』
『ちいさい子がいなくなったんでしょー』
『あにーと交換するんでしょー』
人間の社会性や常識を知り得ない彼らにしては、かなりしっかり理解しているような気がする。
島の子たちはもう少し能天気というか、楽天的というか、遊びにしか興味がないと言うか。そんなイメージだったから、目の前にいるピスキーたちの賢さに驚きを禁じ得ない。
これが都会のピスキー特性?
島では巫覡と精霊しかいなかったから気づかなかったけど、人間の近くにいるピスキーは、その会話を聞いて、状況を見て、一定の理解を持っているようだ。
例えば名乗ってもないのに私の名前を知っているように。
『誰か来るー』
『だれかくるー』
『かくれろー』
「え?」
ピスキーたちはあっという間に姿を隠してしまい、さっきまで鈴が鳴るような声で自由気ままにはしゃいでいた彼らの声もピタリと静まった。
巫覡以外に彼らを見ることは叶わないってエストが言っていたような気がするけれど、隠れる意味はあるのかしら。
私の周囲が、また元のしっとりした涼しく静かな庭に戻ったとき、微かな足音が確かに聞こえてきた。
「アニー、どこにいる」
「お兄様」
植物の生い茂る一角から抜け出ると、キョロキョロと私を探していたお兄様が振り返って笑う。その茶色の瞳にあった不安が、ふわりと解けるのが見えた。
ああ、バルナバにもやっぱりこうして笑ってもらいたい。
いつかピスキーに無垢な瞳で残酷なこと言わせてみたいですよね。
ボナートさんに「いたんしんもんかんさまー」みたいな感じの。(なお本人には聞こえない模様)