第52話 命の価値です
薄暗くて、何もない部屋。
そこそこの広さのある建物で、10人集まっていてもまるで狭苦しさを感じない。
ここにいるのは、ステンドグラス職人の元へ向かった私たち4人に加え、トリスタンと、ならず者が5人の計10人だ。
そしてここは、デュジーリ商会の持つ元倉庫。
最近、扱う物量が増えたこともあって、さらに大きく港に近い倉庫へ引っ越しをしたらしい。
ジャン曰く、追跡者の気配を感じた時点でここへ誘導していたそうだけど、途中で待ち伏せをされた結果、今月末で契約の切れる建物は今、私たちを襲った暴漢から話を聞くための取調室になった。
ジャンとバルナバが暴漢をいなした直後、2つの巨体を引きずるようにして現れたトリスタンと共に、ここへやってきたというわけ。
「お嬢様、迎えを寄こすように連絡を入れてあります。すぐに参りますので少々お待ちを」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
トリスタンは、影にしておくのが勿体ないほど美しい姿勢で礼をとってから、男たちへ向き直って剣を突き付ける。
手加減できるほど強くないからさ、と飄々と言ってのけるジャンが相手をした男は手や腿から血を流しているし、トリスタンが引きずって来た男たちは手足があらぬ方向へ曲がっていて、意識も戻さない。
死んではいないと言うけれど、完治する前に生活に困って死んでしまうでしょうね。
前世の私なら、救急車を呼んでいたと思う。まずは体を治して、そして罪を償ってもらうのだ。そういう平和な世界だった。
でもここは、医療も社会制度もそこまで整っていない。そのへんに捨て置けばすぐに、行政に引き渡してもそう長くは持たないのじゃないかしら。犯罪者の治療はよほど地位が高くないと施されないのだから。
バルナバが相手をした2人は生き残れそうだけれど、あとはトリスタンの機嫌次第だ。
男たちを冷たく見下ろすトリスタンの横顔に、ジャンがホゥと感嘆の声を漏らす。
「わーお。さすが公爵家、見えないとこまで綺麗ドコロで揃えてるんだ」
「そうでしょう、私の秘密の宝物なの。……レディの秘密を喋ったらどうなるかは?」
「ええ、もちろん」
手のひらをこちらに向けて肩のあたりまで持ち上げると、ひらひらと振りながらおどけて見せる。
そこへすかさずトリスタンが笑って口を挟んだ。
「デュジーリ商会の金庫の裏の引き戸……」
「えっ、冗談でしょ」
「ああ、当たってしまいましたか」
目を白黒させて焦るジャンに、トリスタンは口元だけで笑う。
鎌をかけただけだと言っているけど、真実はわからない。それにジャンだって、いつも飄々としていて、この驚いた顔すらも真実かどうかわからない。
何枚も上手な男たちの腹の探り合いにはついて行けません……。
見ているだけでこちらがハラハラと疲れてしまいそうになったとき、迎えの馬車の到着が知らされた。
目立たないように、エルモが辻馬車を拾って来てくれたようだ。
「ねぇ、トリスタン。その人たち、どうにかならない?」
「善処します」
建物を出る前にトリスタンへ声を掛けると、恐らく私の言葉を正しく理解してくれた彼は、小さく溜息をついた。
襲われたことへの慰謝料代わりに、トリスタンと共に男たちから情報を得たいと建物に居残ったジャンと別れ、帰宅した私たちを待っていたのは……。
「お嬢様!」
「バルナバ!」
私たちを迎えたのは、屋敷から溢れるように飛び出して来た侍従たち。彼らは口々に私たちの名を呼ぶけれど、みんながみんな青ざめている。
「ど、どうしたの……」
「静かにしないか。誰か代表で……ああ、ガイオ、君が代表して説明してください」
エルモが一声で侍従たちを静かにさせると、ガイオは逡巡しながらも順序立てて説明してくれた。
一斉にガイオに向けられた目はどれも悲痛な色をしていて、玄関扉の前ではお母様もまた瞳に涙を溜めてこちらを見ている。
「エルモさんがお嬢様を迎えに出られてすぐに、ピエロの姿が見えないとローザが。
一通り探したものの見つからないので、捜索範囲を市街まで伸ばしました。最後にピエロを確認できた時間から、あの子の足で移動できる距離を考えて、エレンの花屋の辺りまで。
まだ外の捜索は続いてるんですが、ついさっき、小さな子が手紙を……」
ガイオはそこまで言い終えると、現在誰が手紙を持っているのか探すようにキョロキョロと視線を巡らせた。
振り返ると、バルナバが切羽詰まった表情でやはりガイオと同じように手紙を探す。
誰も彼もが顔を見合わせ、私たちが焦り始めたとき、集団の後ろから慌てたようなお母様の声が聞こえてきた。
「あ、ごめんなさい。私が持っていたわ。これね、これをお探しだったのよね」
握り締めたのか、くしゃりとたくさんの皺がついた紙を指でせっせと伸ばしながら、震える両手でこちらに差し出す。
私、エルモ、バルナバの3人で顔を見合わせ、エルモが代表してその手紙を受け取った。
それを肩越しに覗き込む。
『子どもは預かった。
今夜、日付がかわるとき、1,000万ジラを持ってアナイダ港の南倉庫へ来ること。
アナトーリア・バウド1人を指名する。
衛兵を含め、別の人間の姿が見えた時点で取引は終了だ』
この世界の通貨の価値は日本とほとんど変わらない。1ジラ=1円、だと思う。
但し貧富の差は大きいし、貧困層、中間層、富裕層とで三段階の経済活動があるように感じる。
中間層は月々30万ジラを稼いで、たまのご褒美に2,000ジラのランチを食べるような。
貧困層は月に10万ジラを稼いで、1食300ジラ以内に収める生活をするような、……いや、それもまだマシなのかもしれない。そういう世界だ。
もしも手紙の主が貧困層だと言うなら、1,000万ジラは人生を劇的に変える契機になるだろう。
そしてバウド家にとってその金額を用立てることが難しいわけではない。だが……。
「お嬢様おひとりで……」
エルモが絶句する。
そう、これはきっと罠だ。ボナート公爵? クララ? それとも、大きな領地を得た私が気に食わない第三者?
問題は、この罠をどう回避するかだけど……。
「ふ。はは、バカな奴っすね、平民の孤児に1,000万の価値があるとでも思ってんのか。ましてや、お嬢さんを指名だなんてアホも休み休み……」
「バルナバ?」
「最近ピエロの奴、ちょっといい服着させてもらってるから、お坊ちゃんと勘違いしたんすかね。誘拐損だなこいつ」
「バルナバ!」
半笑いでぶつぶつと呟くバルナバの手を引っ張ると、どうにか彼の視線を手紙から剥がすことに成功した。
私とその視線をぶつけたバルナバは、半ば叫ぶように幼い命を儚む。
涙を見せていないのに、心で泣いてるのがわかるほど。
「実際そうだろ! アンタの価値は、アンタがこの国に与える影響は! ピエロが100人死んでも追いつかねぇ。
アイツの命は、親が死んでからこっち俺がずっと握ってきた。で、俺はアンタを守るために命懸けてんだ。アイツ取り返すためにアンタを行かせるなんて本末転倒だろうがよ!」
「命に価値の高い低いなんてないでしょ!」
「アイツはまともに文字だって書けやしねぇ! アンタみてぇに神さんに選ばれても、精霊に気に入られても、島を持っても──ッ」
バルナバの叫びを止めたのは、私の手だった。
手が痛い。きっとバルナバの心はもっと痛いと思うけど。静かになった屋敷の白いエントランスで、私の右手と彼の左頬は赤味を帯びていく。
殴る手のほうが痛いんだぞとか言う先生いましたよね。
ここからしばらくノープロットなのです。思うがままに書いているものの、まったく手が動かない……!




