第51話 鮮やかなお手並みです
「話は聞いてるよー? 島をマルっととっちまったばかりか、神サンの家ぇ作るんだってねぇ」
ジャンが手土産にと持参した果実のミックスジュースが並んだテーブルを囲んで、私たちの視線を一身に集めるイネスは、それに動じる様子もなくさながら久しぶりに再会した親戚のお姉さんのように見えた。
燃えるように赤い髪を後ろで一つに結って、通気性の良さそうな麻のチュニックを着た彼女は、細く長い手足と化粧っけのなさが、中性的な魅力を醸してる。
「ええ、それに精霊と」
「あっはっは! いいねぇ、最近ここいらは精霊サマの話で持ち切りでさぁ、ちょーっと興味はあったんだけど、まさかあーしのとこに話が来るなんてねぇ」
「貴女は……とても繊細な指を持ってるのね。どれもとても美しいわ」
彼女の自宅……兼、アトリエのこの家屋の中は、そのスペースの半分以上を作業用途にしていて、無造作に飾られた大小様々なステンドグラスはきっと彼女の作品だと思う。
周囲を振り返って作品に視線を送ると、イネスは自慢げに顎を上げてニカと笑う。
「神殿にステンドグラス、いいと思わない?」
ジャンもまた、褒めて褒めてと言わんばかりの子犬を思わせる笑顔で私の顔を覗き込んだ。
教会にステンドグラスというのは、前世であればすごく自然な……悪く言えばありふれた取り合わせなのだけど、この神殿にはステンドグラスこそが必要なんだと理解できる。
教会のステンドグラスは、文字の読めない信者へ聖書を説くためにあったと聞いたことがある。それに、灯りが貴重だった時代に太陽光を室内へ取り入れることができたとか。
精霊たちの神殿にとってステンドグラスは……。
「とても素敵だわ。精霊を知らない民へ、視覚的にその存在を認知させるのがこの建設の目的だから、ステンドグラスは最も大切な武器になる。それに、夜、神殿の中の灯りで光るステンドグラスを外から見たらどんなにか綺麗かしら」
私の言葉に、みるみる目を丸くしたイネスは、こんなに可笑しなことはないといった様子で膝をペチペチと叩いてから、真っ直ぐに私を見つめて言った。
「わかってるねぇ、お嬢サマ。最っ高にかっこよくて、最っ高に温いやつ、作ってやろうじゃない」
温い。
ああ、この人は精霊を信じてるんだ。私はこの一言で、もうイネスを信じることにした。
精霊たちがとても温かい存在だってわかってるから。
「ええ、是非お願いするわ、イネス」
いくつか精霊たちのイメージを伝えてから、後日ほかの建築家や彫刻家と打ち合わせをすることを約束して、私たちはイネスのアトリエを辞した。
「ほーらね、俺のオススメの職人、良かったでしょ」
「ええ、ええ。とっても! デュジーリ商会をあれだけ大きくするだけのことはあるわ。発想がとっても素敵」
火と金属のエリアを、メインストリートに向けて引き返しながらゆっくり歩く。
周囲からは鉄を叩く音や、親方らしき人物の怒鳴り声が響いて、視界の隅では仕事を手伝う子供たちが重そうな荷を運んでいる。
人通りは少ないし、この喧噪では話し声も近くにいる人にしか届かないだろう。
「きっと明日や明後日には、酒場や食堂が島に店を出したいって言ってくるだろうし、忙しくなるよ、お嬢様」
ジャンは茶色の瞳で覗き込んで、でも次の瞬間に表情を一変させると、突然私の左腕を取って走り出した。
それに対して、バルナバも何も言わずに背後からついて来るのが気配でわかる。
ただ事ではない、緊急事態だ。
そう思って、私もジャンに引っ張られるまま必死でついて行くことにした。
この辺りの地理には明るくない。ただ、メインストリートからどんどん離れていることだけはわかる。
一体どこへ……。そう思ったとき、私たちはL字の曲がり角で立ち止まらざるを得なくなった。待ち伏せされていたのだ。
後ろから2人、前から1人。
「バルちゃん、俺、こう見えて戦闘は苦手なんだよねぇ」
「こう見えても何も、見たまんまだろ」
「だから、俺がひとり、バルちゃんふたり、よろしくねー」
「へっ、ひとり持ってくれんなら十分だ」
角に私とドリスを誘導して、2人が左右に立つ男たちと向き合う。
ジャンは腰に下げた刺突剣──貴族やちょっと裕福な文化人なら誰もが持ち歩く刀身70センチ程度のスモールソードを右手に構え、バルナバは隠し持っていたナイフを懐から出した。
「ちょ、ドリス」
「お静かにお願いします」
私よりもずっと背の高いドリスが、私をぎゅっと抱き締めてしまう。きっと、2人が対処しきれなかった場合に備えて私を守ろうとしてくれてるのだと思うのだけど……。
ギャンという金属のぶつかる音が聞こえてきて、どうやらあっという間に戦闘が始まったようだ。
ドリスの腕の中でもぞもぞすると、どうにか肩の向こうにバルナバの背中が見えた。
「んー、おじさん誰に雇われたの? 普段からコロシなんてやってないでしょ、覚悟も技術もないならこんな仕事引き受けなきゃいーのに」
ジャンのほうは死角になっていて見えづらいけれど、軽やかな彼の声や言葉には余裕さえ感じられる。
バルナバもまた、2人を相手に苦戦することはないだろう。
影になると決めてからの約1ヶ月、彼はあのトリスタンと連日修行しているのだもの、早々後れを取ることはないはず。
彼の持つナイフはフェイクだ。リーチも短いし殺傷能力も低いナイフに、相手はほとんどの場合において油断する。
その油断に付け込むわけだけど、バルナバはそのナイフをポイと投げてしまう。もちろん、投擲に適した形、サイズ、重心で作ってあって、それをいくつも隠し持っているのだ。
相手がナイフに気を取られたところで、その懐に入り込んでしまう。小柄で、俊敏性に長けた彼ならではの戦闘法と言える。
懐に入ってからは……ナイフももちろん使うのだけど、一番は鉄拳だ。ナックルダスター、つまりメリケンサックによく似た形状の武器で、手に嵌めて使う。
実はこれ、先日、家令のエルモを通していくつかバルナバ用に作ってもらったものの一つ。
他の影のメンバーとバルナバとの、最も大きな違いとして、人の命を奪った経験の有無、というのがある。
影として働く以上、いつかその日は来るでしょう。でも、この経験を持たない彼は、必要に迫られても躊躇ったり……いいえ、そんな深いことを考えて製作を依頼したわけじゃない。
ただ、私はまだ彼から、光を奪いたくないのだと思う。
鉄拳の他には、手甲鉤やボーラと言った武器も作ってもらった。これらは全部忍者が使っていたと言われているもので、所謂暗器だ。
ボーラはロープに球状の重りをつけた投擲武器で、遠心力で投げたり、重り部分を振り回して打撃武器にしたりできる。
手甲鉤は3本の金属の鉤爪がついている、見るからに痛そうな武器なのでバルナバが使うことはあまり無さそうな気がするけれど。
もちろん、どれも使い方次第で命を奪うことはいくらでもできるけど、剣よりも、殺傷力が低くて逃げる隙も作りやすい。
バルナバの投げたナイフは1人の右手をかすめ、それは武器を取り落とすほどのダメージではなかったものの、2人の意識は完全にナイフへと向かった。
ナイフを投げるより早く動き出していたバルナバは、彼らが気が付いたときには既に一方の懐に入っていて、鳩尾に鉄拳を用いた強烈な一撃を加える。たまらず背中を丸めた男の襟首を左手で掴んで引き倒し、もう一方の男の障害物にすると、後方へ退いて距離を取った。
残った男が倒れた仲間を跨ぎ終えた瞬間、バルナバの投げたボーラは、相手の両膝へ絡みついて動きを封じることに成功。そのまま転倒した相手の手を踏みつけて武器を手放させる。
「ヒュー。バルちゃん鮮やかなお手並み」
ジャンの声を合図に、ようやくドリスも私を抱く手を緩めて開放してくれた。
権謀術数渦巻く国内で、いつまでも穏やかにデートできると思ったら大間違いだったわけですが、割と穏やかに解決してしまいました。