第42話 お母様と弟?です
2019/10/07 後書きに、頂いたファンSSについてを付記しました。
バウド家の庭はいつも手入れが行き届いていて、薔薇を中心に色とりどりの花が咲いている。
これはお祖母様が「みすぼらしい庭を持つ貴族は領地の管理も杜撰」と言って、庭の手入れにうるさかったからだと思う。
私は、華やかな見た目どおりの甘い香りに包まれながら、サンドイッチをちみちみ食べている。
午前中にあまりにも疲れてしまって、ランチに用意してもらったコレも、なかなか食べきらない。
「ずいぶんお疲れね」
「お母様。ゲルスト夫人がとても張り切ってくださったので」
「ええ、私の部屋までお声が届いていましたよ」
ふらりとやって来たお母様は、ガーデンテーブルを挟んで反対側に腰かけると、でもそれがいいところね、と苦笑交じりにゲルスト夫人を褒めたたえた。
ゲルスト夫人は、王家をはじめとした一部の上級貴族お抱えのデザイナーで、つまり王国のファッション界を牽引している人物だ。
「パーティーに間に合うというのは本当?」
「はい、絶対間に合わせますって、いい笑顔でしたわ」
島に滞在していたおかげで、コルセットを使った生活に戻れない体になってしまった私は、腰回りを締め付けないデザインのドレスをお願いしたのだ。
ひとつは、胸下で切り替えがあって、ストンと落ちるような、前世ではエンパイアラインって呼ばれていたもの。
もうひとつは、島でも使っていたようなキトンをイメージした、ドレープをふんだんにあしらった柔らかいイメージのもの。
どちらも、この世界ではほとんど見ないし、ゲルスト夫人も提案したときには目を真ん丸にして興奮してた。
それもあって、多くの貴族が集まる来週のパーティーに、無理にでも間に合わせてくれるみたい。
このデザインが注目を集めれば、ゲルスト夫人のお店はまた注文が殺到するものね。
キトンには古の巫女のイメージがあるから、精霊信仰を広めるのにもちょうどいいと思っていて、私も出来上がりがとても楽しみ。
精霊とゲルスト夫人の新作、どちらも宣伝しなきゃいけないのだから責任重大だわ。
「でもやっぱり、そのお肌はちょっと焼けすぎなのではない?」
「ふふ。この日焼け肌も流行らせたら良いと思いませんか?」
「まぁ! 私は古い人間だからそれを想像できないけど、そうなったらいいと思えるのは素敵ね」
ドリスが準備した紅茶をお母様が一口含んだとき、少し離れたところから幼い声が聞こえて来た。
「カーラさまー」
「まぁ、ピエロ」
振り返ると、エストよりもまだ幾つか幼い様子の男の子が駆け寄って来るところだった。その後ろからはお世話をしているらしい侍女が追いかけてくる。
元気よく駆けて来た男の子は、満面の笑顔で手に持った黒いものをお母様に見せつけた。
「カーラさま、見てください!」
「……こ、これは」
みるみるうちにお母様の顔色が悪くなって、表情も引きつっていく。
ほんの少し身を乗り出して、ピエロと呼ばれた男の子の持つものを覗いてみると、それはそれは立派なクワガタムシだった。
「まぁとってもかっこいいクワガタムシね!」
慌てて声を掛けると、ピエロは私の存在に今気づいたという顔で振り返ってから、自慢げに小さな手に握られた虫を掲げて見せてくれる。
私もお母様と同様、虫は得意ではないのだけど、島での生活でかなり耐性がついたと思う。
お母様が悲鳴をあげて倒れる前に対処出来てよかったと思うことにしましょう。
「向こうの木にとまってました!」
「貴方が採ったの? とっても上手ね。でも、クワガタムシさんもずっと捕まえてると体が痛いかもしれないわ」
椅子からおりて目線の高さを合わせながら諭すと、ピエロは少し寂しそうな顔をしてから、手を広げた。
クワガタムシは状況確認のためか、前後左右に小さく体の向きを変えてから、パカリと上翅をあけると内側の下翅を震わせながら飛びたつ。
残念そうに目でクワガタを追うピエロに「いい子ね」と声を掛けると、照れくさそうに笑ってから、追いついた侍女の後ろに隠れてしまった。
昆虫を採集した興奮から我に返って、急に恥ずかしくなったのだろうか。可愛い子、だけど……。
一体誰なのだろうかとお母様に視線を向けると、いたずらっぽく笑いながらウインクする。
「貴女の弟よ」
「はい──?」
「ピエロ! お前また奥様にご迷惑……」
お母様に聞き返した私の声は、新たな登場人物によってかき消され、その人物もまた、すぐ側に来て私を見るなり口を噤んだ。
一瞬の沈黙で、お互いに目を丸くして状況を整理する。
身だしなみを整え、小ざっぱりとした印象のその男は、ついひと月前に荒れる海で心中を覚悟した泥棒、バルナバだった。
「つまり、貴方は影になったと言うの?」
「まぁ、そうだな」
影は、表立ってできない調査その他を一手に引き受ける裏側のチーム。
潜入、戦闘、暗殺、探索……この業務は、顔と名前、そして命以外の全てのスキルが必要とされる。
何かあれば、命も捨てる覚悟で挑んでもらわないとならない。彼らの危機はバウド家の危機なのだから。
泥棒から足を洗うと笑っていたのに、これではもっと酷いじゃないか。泥棒のように自分で仕事を選べない上に、命まで。
「馬番だってフットマンだってよかったじゃない。お父様が強制したわけではないのでしょう?」
「そりゃそ……はい、もちろんなんデスが、俺は──」
「アニー、殿方がそうと決めたことに口を出してはいけません」
ドリスに睨まれ、慣れない敬語でたどたどしく語るバルナバを遮って、お母様が私を叱る。
その、女は一歩下がるのが美徳みたいなお母様の考え方には同意しかねるけど、もう既に動き始めていることに文句を言っても仕方ないのは確かだ。
そして、このひと月でバルナバはお母様にとって、貴族が守るべき平民ではなくバウド家の一員になったのだということもよくわかった。
もちろん、バルナバだけでなくピエロも。お母様は、ピエロがまるで小さいころのラニエロお兄様みたいだと、だいぶ可愛がっているみたい。
さすがに「弟」というのは冗談らしいけれど。いくらバウド家が民を大切にしているからと言っても、平民を養子にするにはそれなりの理由が必要になるもの。
「お嬢様、そろそろ馬車が準備できます」
私が溜息をついて遠くの空を眺めた時、ドリスが声をあげた。
午後は財政部への申請と、学院への退学の取り消し手続きをしに行かないといけない。
後日、虫を怖がらないアナトーリアを気に入ったピエロが「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と言ったとか言わないとか。
お知らせ①
つこさん。様より、ファンSS(https://ncode.syosetu.com/n3396fu/)を頂戴しました。
ピエロのバックグラウンドまで思いを馳せていただいたのが伝わってくる作品だと思います。1000文字強と読みやすい短編ですので、よろしければどうぞ!
お知らせ②
併せて、間咲正樹様から頂戴したファンSS(https://ncode.syosetu.com/n3451fu/)もご紹介させてください。
エストとアナトーリアが漫才をしています。世界観? 関係ない、行け。
本作をお読みいただいた方ならきっと楽しんでいただけると思います。お時間に余裕ありましたら是非!