第39話 出発です
島へ来たときもたいした荷物は持っていなかったけれど、いま迎えを待っている私の手には、魔法石の入ったビロードの小袋と、数枚の紙切れしかない。
今日も朝からどこかへ出掛けていて、挨拶もできなかったレイモンドに、「必ず戻る」との意思を伝えるために……私物は全て置いて来た。
国で必要になるのは、この紙切れ……。神殿建設に関わる、土地の情報だけ。
昨夜、努めて冷静に考え直してみたけど、やっぱり私が戻らないことのほうが、島にとってはマイナスになると思う。
レイの言う通り、いつかは加護を取り上げられてしまうかもしれない。
だけど、エストや精霊たちが私を必要としてくれる間は、できることをしたい。
神殿の建設に必要な人材の登用や資材の調達は、私のほうがうまくやれるはずだもの。
公爵家の力を、存分に発揮してやるのだ。
お父様やお兄様の威光を借りることになったとしても。
広くない浜辺の端にある岩場を利用して、海へせり出すように桟橋が架けられている。
これはたった2日でゲノーマスとウティーネが作ってくれたもの。
簡素ではあるけれど、精霊が元気なうちはきっと壊れないから、これからとても大活躍するはずだわ。
岩場に据え付けられた、桟橋へ上るための階段に腰かけて、船が来るのを待つことにした。
精霊たちもエストも砂浜を駆け回って遊んでいる。
それがあまりにも日常で、なんだか安心した。私はただちょっと出かけるだけで、永遠のお別れなんかじゃないと言われてるみたいでしょう?
イフライネだけは、私の足元でぎこちなく丸くなっていて、触れているところがふわふわと気持ちいい。
昨夜、狼に襲われたときに彼を呼ばなかったことで散々叱られたけど、「次は絶対呼べ」の言葉がどれだけ嬉しかったか、この猫チャンは知らないだろう。
我が儘で意地悪で、でも優しいイフライネ。
こうしていると、ただひたすら可愛い猫にしか見えないのに。そう思って、丸くなった猫の頭を撫でようと腕を伸ばしたとき、影が伸びて来て私の視界が暗くなった。
「それに触ると、襲われるかもしれないよ」
「──ッ! レイ……」
いつの間にか傍にいたのは、来るなんて思っていなかった人で、私は一瞬、言葉を失った。
『襲われるってなんだよ、襲わねぇよ、こんなちっp──ちょ、わっ』
足元で不穏な空気が発せられるのを感じ取り、猫の頭を乱暴に両手でこねくり回す。
「来てくれると思わなかったわ」
「見送りくらいするさ、渡したい物もあるからね」
『あー! レイ、遅いよー』
追いかけっこなのか、鬼ごっこなのか、とにかく走り回っていた精霊と神とが、レイの姿を見て集まってきた。
私の手から抜け出たイフライネも精霊たちに加わり、気が付けば私とレイは彼らに囲まれている。
「渡したいものって?」
目の前に立つレイモンドには昨夜のようなとげとげしさはない。
なんだかホッとしながら、立ち上がって改めてレイを見上げる。
何も言わずにレイが差し出した右手から、キラキラとしたものが零れ落ちた。
光を受けて揺れる度に輝くそれは金色のチェーンだ。その先端には、ティアドロップのかたちをしたクリスタルが一際大きく光っている。
ただのクリスタルじゃないことは、すぐにわかった。
この虹色の光には見覚えがある。
「精霊たちが祝福を」
『クリスタルを持ってきたのも、カタチ整えたのも、ネックレスにしたのもぜーんぶレイなんだよ!』
シルファムがここぞとばかりにレイの手柄を教えてくれる。
その横でゲノーマスがこのネックレスの働きについて簡単に教えてくれた。
精霊たちの祝福を受けたクリスタルは、お兄様がくれた守り石のように、持ち主に結界を張ってくれるのだそう。
ただし、人工のそれと違って回数制限はないものの、悪意を持った攻撃にしか機能せず、効果を発揮できなかったり防ぎきれないものもあると。
「だから本当に気休めというか、お守り代わりでしかないんだけどね。ただ、野生動物はこれで襲ってはこないはずだから」
口元に小さく弧を描いたレイを見て、私は涙がこみ上げてくるのを止められなかった。
島に戻って来ることを、レイもまた認めてくれたということだし、ここ数日のギクシャクした空気がほろほろと解けていったのがわかったから。
嬉しくて、それに、安心して気が抜けたのもあるかもしれないけれど。
「ありがとう、ありがとうレイ。みんな」
『あんま泣くと、あの怖ぇ兄ちゃんに島に来るの禁止されんぞ』
振り返ると、遠くに船影が見えた。
島に到着するまで、そう時間はかからないだろうし、確かにこの状況はレイに泣かされたと誤解してもおかしくない。
振り返った私をそのまま体ごと海の方へ向けさせたレイは、優しく髪をかきあげてネックレスをつけてくれた。
大きくてゴツゴツした手に、でもすごくしなやかな動きをする指先に、なぜだかドキドキさせられてしまう。
それは大人の男女の距離というより、子供の戯れの延長と言ったほうが近いと思うのだけど、それでもレイが私を大切に扱ってくれるのはわかる。
「……似合ってる」
レイに向き直ると、彼は小さな声で褒めてくれたけれど、そのぶっきらぼうな言い方には、照れが含まれてる。
照れっていうのはどうしてこう伝染するのか。
涙は止まったけど、どんな顔をしていいのか急にわからなくなって、彷徨わせた視線の先には、満面の笑みの小さな神様がいた。
その表情は茶化しているようにも、子供の成長を見守る親のようにも見える。
「ふっ……ふふ、あはははは」
照れくさいのと、恥ずかしいのと、嬉しいのと、もういろんな感情がごちゃ混ぜになって、気が付いたら笑ってた。
途中、不機嫌そうにしていたイフライネも、他のみんなも、釣られるように笑い出す。
やっぱり私は、この島が大好きだ。
その後すぐに迎えに来たお兄様は、突然出現した桟橋にも、ほとんど荷物を持たない私にも驚いていたけど、とにかく回収を優先したいらしく、何も聞かれなかった。
甲板に上がって、侍女のドリスに日傘を差しかけられながら浜辺を見ると、みんなみんなこっちを見ていた。
私も、その姿が小さくなって見えなくなるまで、ずっとずっと彼らを見つめる。
元々の結びつきも強くなかったボナート公爵家は、今や完全に私の敵になっているし、クララは未だ得体が知れない。
神殿建設に関するあれやこれやを手配しなければならない上に、精霊信仰を広める必要だってある。
浜辺とは反対側の、遠くに見える広い大地と、ケーキのデコレーションのように乗っかった王城。
その上には厚い雲が広がっていて、これからが本当の戦いなのだと、大きく深呼吸した。
ここまでで島生活は一旦終わりです。
次回からは舞台を王家、ボナート家、クララ、いろんな思惑が入り乱れる本土に移します。
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