第33話 管理官のお仕事です
久しぶりに袖を通したドレスは、身体的には以前より緩く感じるのに、精神的には窮屈で仕方なかった。
ドレスと言っても、お母様が準備してくれた着替えのひとつで、島で生きるための簡素な動きやすいものだけど。
エストは、王国からの使いの者が来るだろうと言ってた。
ボナート公爵にはキトンをボロ布扱いされてしまったので、今日はちゃんと公爵家の人間らしい服装で出迎えることにしたのだ。
「以前来たのと同じような船が来るんじゃが、今日は面白いことがありそうじゃのう」
いつにも増してニコニコしながらそう言ったエストは、もちろんロッジでお留守番だ。
面白いことと言っても、自分の目で見るほどでもないらしい。
レイにもお留守番を勧めたのだけど、彼は隠れて様子を見ると言って近くまでついて来ていた。
無人島であるはずの場所に、私以外の人間がいるのは余計な混乱を招くので、そのまま出て来ないようお願いすると、深く頷く。
「アナトーリア・バウドだな」
前後に王国旗を掲げた船は、先日ボナート公爵がやって来たときのもとは違って、ずっとこじんまりしたものに見えた。
それに乗って来た男は、王国財政部の下級管理官で、手には上等な紙をくるくると丸めて持っている。
文官にしてはごつごつとした体付きの男は、砂浜が歩きづらいのか顔をしかめていた。
「ええ、私がアナトーリア・バウドですわ」
小さくカーテシーをするも、彼はこちらを見ることもなく丸めた紙を広げる。
受刑者への扱いなんて所詮こんなものなのね。
気づかれないように苦笑しながら、管理官の言葉を待っていると、私は沖のほうに小さな船影があることに気づく。
精霊たちも気づいたのか、シルファムとウティーネが、それぞれ第二の船のほうへ向かっていくのが見えた。
と同時に、イフライネが人型をとって庇うように私の前へ出る。
風と水の精霊が離れたことで、自分の可動範囲を広げるべきだと判断したのだと思う。
もちろん相手には見えていないようだけど。
「読み上げる。
『エスピリディオン島および周辺海域の所有権に係る宣言。
エスピリディオン島およびその周辺海域は、キャロモンテ王国建国以来、
何人も立ち入らざるを認め、また、本宣言書の到着を以て、
当該地域をキャロモンテ王国の所有であることを宣言する』──以上だ」
広げた紙を高らかに掲げ、大きな声で読み上げたそれは、島が王国のものだと主張する宣言書だった。
私という存在は立ち入ってすらないことになっているらしい。
未来の王国のための文書でしょうから、罪人がいたとかいないとか些末なことは記さなくて構わないという判断かしら。
島に降り立つ隙を伺って、それができた時点で王国所有のものであると宣言する、というのは無理矢理感が否めないけれど、それだけ焦っているのね。
さすがに文書の発行日は記載しているでしょうから、それより前に私がこの島にいたことを主張すれば、この文書自体は怖くない。
国に戻って冤罪であることを明らかにしてからでも問題はないはず。
ただ、発行日を改竄されると厄介……。
いいえ、どちらかと言えば、最初から発行日を遡っている可能性のほうが高いかしら。
管理官は、芝居じみた動きで宣言すると、その小芝居をさらに大袈裟にしながら言葉を続ける。
「本宣言書は、原本を王国法規部管理の資料室に保管し、写しを島内の木に焼きつけるものとする」
「──ッ! それはどういうことですか? 生きた木を傷つけると言うの?」
「……表皮を剥いで印字するだけだ」
一瞬だけ、じろりと私のほうへ視線を投げた管理官は、さも面倒臭そうに口の端を下げながら答えた。
ああもう! だけ? 印字するだけですって?
なんてこと! 彼は林間学校には行かなかったの?
林間学校って前世の話だったかしら?
山歩きをしたとき、引率していた理科の先生が、幹をくるりと一周、縦に50センチほど剥がされた木を見て説明してくださったの。
表皮には養分が流れていて、これを絶つことで木を枯らせる方法があると。
一部を剥ぐだけなら枯れはしないでしょうけど、それでも、木は傷つくというのに。
「看板を立てるのではいけませんか」
「そんなもん、いくらでもなかったことにできるだろう。それで所有権を主張する馬鹿な奴の相手をする暇はないんだ」
馬鹿な奴……。
王宮勤めをしていながら、民を軽んじるような台詞は腹がたつわ。
それでも、手頃な木を探しているのか周囲をきょろきょろと見回す男に、私はこれ以上何も言えないのだ。
悔しい。
この島を守りたいと願っても、受刑者であるうちは何もできない。
今まで、公爵家の人間であるという自分の立場が、いかに強権を持っていたのか、改めて実感してしまう。
ちょうどいい木を見つけたのか、管理官は視線をひとつに留めて腰のバッグから水ノコを取り出した。
水ノコは、水属性の魔法石を組み込んだのこぎりだ。
金属のように重くもなく、錆もせず、切れ味も変わらない。大工道具としてはかなり画期的な発明品だった。
「待って!」
一歩を踏み出す管理官の前に、急いで立ちはだかる。
勝ち目はないけれど、どうにか名案を思い付くまで時間を稼ぎたい。思いつかないけど。そう、思いつかないけど。
「どけ。邪魔をすると刑期が伸びるぞ」
男は、左腕で私を押しやりながら、右手に持った水ノコのスイッチを入れる。
水ノコが可動しているときに力任せに暴れれば、怪我をする恐れもある。つまり、近寄るなという威嚇だ。
イフライネもゲノーマスも私の周りで男を威嚇するけれど、もちろん、全く気付かれていない。
「……」
私は、精霊に助けられて、狩りをして、様々な島の恵みでこのひと月近くを生きてきた。
木の一本一本がこの島を形作っているのだ。それを傷つけられるのを、指を咥えて見てるだけなんて嫌だ。
私を押しやって、ずいずいと歩を進めた管理官は、すでに砂浜を抜けて森の土を踏みしめていた。
森の最も外側にある大きな木に狙いを定めているらしく、迷いなく歩いて行く。
「待ってください! 他に方法を考えませんか?」
私はまた、その木と男の間に割って入るが、男は怒りと驚きとが合わさって、瞬間的に右手を突き出してしまう。
水ノコを持った右手を。
ああ、今ウティーネはここにいないのに。私はぎゅっと目を閉じた。
ただのお使いなのに、ちょっとマッチョめの管理官が来たのは、島が荒れたら怖いからだと思います。
イフライネ「フン、精霊にそんな筋肉がいかに役立たずか教えてやる!」
ゲノーマス「火のサン筋肉いつも羨ましガッテますネー」
イフライネ「俺ヒョロくねぇし! 羨ましくねぇし!(放火」