第27話 初狩りです
約束した通り、レイが狩りに連れて来てくれました。やったぜ。
深い森の中を歩いていると、ほんの少し前方にいたレイモンドが杖を水平にして私の前に掲げた。
止まれ、という合図であり、ボディランゲージであることから声も出すべきじゃないだろう。
そっと首を伸ばしてレイの視線の先を見ると……といっても、彼の瞳は見えないから当たりを付けるしかないのだけど、そちらに何か動くものがあった。
あれは、猪かしら。
そんなに大きくはないように見える。猪の平均的な大きさなんて知らないけど。
茶色くて獰猛な動物を眺めていると、レイが小さな声で「こちらへ」と囁いた。
「昨日仕掛けて置いた罠に掛かったようだ。気持ちが固まったなら、気づかれる前に君のクロスボウで仕留めよう」
猪は暴れまわって疲れているのか、こちらに気づく様子もなく大人しくしている。
私はクロスボウの先端に取り付けられた鐙に足を引っかけて、さらに革のベルトを弦にかけて引いた。
下半身全体で立ち上がるようにして引けば、私の筋力でもどうにかクロスボウの弦は引き切ることができる。
矢をセットして構えると、杖を近くの木に立てかけたレイが、私の背後から抱きかかえるようにして照準を合わせ始めた。
「……ッ」
「いいかい、狙うのは頭か、首だ。他の動物も大体同じ。心臓もいいのだけど、一歩間違えると他の内臓を傷つけてしまうからね」
レイが私の手を取って狙いを定めながら、狩りの基礎みたいなことを教えてくれている。
ただ、緊張して全然頭に入って来ない。
家族以外の男性に背後から抱かれるなんて、今までになくて。家族ですら、ある程度大きくなってからは覚えがないというのに。
しかも、猪に気づかれないように、私の耳元で囁くのがより一層緊張させる。
「よし、このあたりでいいだろう。リア、覚悟が出来たら撃って。あの子が動かないうちに」
低いけれど太すぎないレイの声は、優しく私の耳を痺れさせた。
この手の震えが、心臓の跳ねる音が、聞こえていませんように。
「あっ」
矢を放つためのトリガーに指をかけたとき、突然我に返った。
だってこんなグダグダな気持ちで命を狩るなんて、本末転倒すぎると思うの。
なんのために自分の手で狩りをしたいと言ったのか。殿方と接近してドキドキしている場合なんかじゃないのに。
その気の迷いが、私の両手を力ませたし、目もつぶらせてしまった。
さらに、無意識のうちに命を奪いたくないという気持ちも多分に含まれてしまったのだろう、矢は猪をかすめて側の木に刺さった。
「そっちへ、離れて」
矢が飛んできたことで私たちの存在に気づいた猪が、一気に興奮状態となってこちらへ体を向けた。
レイは左手で私の背中を押し、斜面の高いほうへと避難させる。
私は、半分パニックになってクロスボウの弦を新たに引き、矢をセットした。
どうしてそんなことをしたのか、無我夢中すぎて自分でもわからないのだけど。
レイと猪の間にはまだ十分に距離があるし、その距離は罠によって動きを制限されているため、こちらから猪に近づかない限り、縮まることはない。
レイは落ち着いて弓に矢をつがえて、静かに構え……。
「レイ! 罠が……!」
別の角度から見ているからこそわかる、猪の足にかかるロープが千切れかけている事実。
木と獲物の足とを括りつけているそのロープは、猪が長い時間暴れまわったことによってその寿命を終えようとしている。
もう、だめ。あと一息で切れてしまう。
私は無意識にクロスボウを構える。
『リア、やめ──!』
バシュッ
シルファムの悲鳴にも似た叫び声と、2本の矢が刺さる音が同時に耳へと届いた、ように思う。
矢の刺さる音なんて、いまいち聞き分けられていないけど。
猪は攻撃を受けてもなお、しばらく真っ直ぐ移動して、レイの足元でついに息絶えた。
そう、やはり罠は切れたのだ。
レイの放った矢は猪の右目を貫いて頭のほうへ深々と刺さっている。
私の射た矢も、首元に刺さっていた。
どちらもしっかり急所へ命中したのだ。
『なんで撃つのよーッ!!!』
エナガの姿を保持するのも忘れるほど、怒り心頭に発してしまっているシルファム。
ぷかりと浮かんだ幼女に、小さな拳で胸元をポカポカと何度も殴られるが、痛くはない。
ただその姿が可愛くて、ひたすら抱き締めたい気持ちを抑えるのに必死である。
「ご、ごめん」
『レイに当たったらどうするの! ばか!』
シルファムの怒りは、後ろで必死になだめようとするレイの声も聞こえないほどだ。
うーん、確かに、私の腕ではレイに当たる可能性のほうが高かったと思うのだけど……、でも。
「でも、シルファムが当てさせない。でしょ?」
私がそう言うと、シルファムは一瞬ポカンと目を丸くして、そして表情を崩して泣き出した。
『ばかああああああ!』
うわーん、という表現が最も近いと思えるほどの勢いで号泣しながら、私の胸に顔をうずめた。
もうさすがに辛抱たまらない私も、そっと小さな体に腕をまわす。
ん、感触が空気。さすが風の精霊。高速で移動するときに受ける風のような、そんな感触を胸に抱くのはとても不思議な気持ち。
「助かったよ、リア。僕の弓だけではとどめを刺すのに足りなかったかもしれない」
「そういうことにしておいて。シルファムにもっと怒られてしまうわ」
「それは怖いな」
苦笑したレイは、少しだけ肩をすくめてから倒れた猪を指さして、もう一方の手で腰からナイフを取り出した。
「血抜きしよう。それを、君に最も体験してもらいたかったんだ」
狩りにおける狙いの付け方、猪が相手なら「どこでもいいから数を撃て」が正しいらしいですね!もちろん内臓を傷つけないのがベストなんでしょうけど、ちょっとやそっとじゃ猪突猛進は止まらないらしいです(ぜんぶにわか知識)
猪しゅごい。




