第25話 影に生きる男
今回は主人公のご実家でのお話です。
明かりを抑えた書斎。目の前に並んだ2冊の紙の束を見て、バルナバは言葉を失った。
公爵家の力は、表も裏も関係なくどこまでも影響しているように見え、そして闇の中ですら自由に動ける彼らに、平民が敵うわけがないのだと悟る。
アナトーリアの頼みを果たすため、バウド家の門を叩いたバルナバは、あれから4日、その絶大な力を誇示する貴族の屋敷に滞在し続けていた。
──少々聞きたいことがあるんだが、構わないかね?
チリッロの声がバルナバの脳裏に蘇る。
バウド父子の質問は、たったひとつであった。
ボナヴェントゥーラ国立高等学院の寮で、何を見た、または、何を聞いたのか。
寮の中でも特に大きめの部屋に忍び込んだバルナバは、そこが有力貴族または王族の娘の個室だと考えた。
衣装や調度品はたいしたことなかったが、宝石やバッグなどのちょっとした装身具は上等なものばかり。
あまりにも盗みやすいその高級品の数々に、バルナバは気を良くして、部屋中を探索する。
机上にはわかりやすく日記が置いてあり、そこには公爵令嬢からその日受けた苛めについて事細かに綴られていた。
ちらりと流し読みをするだけでも嫌な気分にさせられる苛めの数々に、大きな溜息を吐く。
「さっさと引き出しも確認して帰ろう」
ぼそりと呟いた言葉は、誰の耳にも入っていない。とバルナバは思っていた。
机の引き出しでひとつだけ、鍵のかかった箇所がある。
年ごろの娘が鍵を必要とする物の最たるは日記だが、日記は机上だ。
高価な宝飾品を多く持つご令嬢が、鍵をかけてまで保管したい物となれば、当然バルナバの期待は高まる一方である。
七つ道具から細い針金状の物体を2本ほど取り出して、静かに鍵穴へと差し込む。
コソ泥稼業も5年を優に超えたバルナバにとって、この手の開錠は難しくない。
カチャリと指先に小さな手応えを感じ、ゆっくりと引き出しを開ける。
そこにあったのは、手帳だった。
年季を感じさせる、飾り気のない粗末な手帳は、貴族の部屋においてはゴミにも見えそうなほど、違和感しか生まない。
パラパラとページを繰ると、バルナバでも聞いたことのあるような有力貴族や王族の名前が記されていた。
ひとりにつき数ページを使って、プロフィールと特記事項が事細かに書かれている。
貴族たちは、家のために好きでもない相手と結婚する、そんな当たり前の事実を思い出したバルナバは、これを結婚相手のリストに違いないと結論付けた。
苦労して開けた割に、得られるものがなかったことに小柄な泥棒が肩を落としたとき、部屋の外が俄かに騒がしくなった。
「貴様、巫女の部屋で何をしている」
「……ッ!?」
騒がしい足音はまだ距離がある。
バルナバは十分に逃げ出せるはずだと思っていた。
まさか、既に室内に侵入した人物がいたとは。
ここまで話し終えたバルナバに、バウド父子は侍従としての雇用を提案した。
彼の語ったこの話が、いつかバウド家の再起に必要になるかもしれないのだと言う。
前科者となったバルナバに職と衣食住を与える条件として、証言を。
小柄な元泥棒は、アナトーリアと約束していなければ、きっとまた次も泥棒を選んでいただろう。
むしろ、足を洗うと宣言したことを早くも後悔するくらい、新たに職を得るのは難しい状況であり、この提案は幸運の上に幸運が重なって与えられたものなのだ。
頷いたバルナバの前に、隣室から小さな少年が連れて来られた。
ピエロ。少し年の離れたバルナバの弟だ。
「すまないが、君のことは調べさせてもらった。ピエロも一緒にここに住んでくれてかまわない」
二人の両親は、ピエロがまだ幼いうちに相次いで亡くなった。
弟と二人で暮らすため、盗みを覚えるようになるのにそう時間はかからない。
アナトーリアを一人で島に残しても戻らなければならない理由がこれであった。
汚れの一つもなく、石鹸の香りと肌触りの良さそうな衣類を纏ったピエロを見て、バルナバは涙を流してもう一度大きく頷いた。
そして今。
バルナバの目の前には、あの日見た日記と粗末な手帳が並べて置いてある。
泥棒が侵入した部屋は、普通、警備も厚くなる。
「巫女」の持ち物や部屋の大きさを考えても、かなり厳重な警備体制が敷かれていることだろうとバルナバは考えた。
だが、公爵家の暗部を引き受ける精鋭たちの手にかかれば、そんな警備などあってないようなものなのだ。
「これに間違いないか確認してくれ。君が見たものがこれならば、すぐにも写本させよう。本物は、返却しないといけないからね」
館の当主は、琥珀色の液体の入ったグラスをくるりと傾けながら、小さな日記とさらに小さな手帳を顎で指した。
ゆっくりと手をのばして、言われたとおり内容を検めるバルナバに、チリッロはぽつりぽつりと話を始める。
「アニーは嵌められた。私は真実を白日の下に晒さなければならん。虚偽の証言をした者はラニエロに探させる。方々に密偵をやっているし、長くはかからんだろう」
眉根を寄せて、頭痛に耐えるかのように瞳を固く閉じたチリッロに、バルナバは日記と手帳があの日見たものと同じであることを伝えた。
「ありがとう。……バルナバ、この件が解決したあとも、君はピエロと共にここにいて構わないから、そのつもりで」
その言葉を聞いて、バルナバは反射的に頭を深く深く下げた。
腰からパタンと折るように。
「俺、密偵になりたいです。まだ……この本を持ってきた人よりずっと動きは悪いけど、絶対お役に立ちます! 俺、身軽なことしか取り柄がねぇから……」
一瞬目を丸くしたチリッロは、今度は静かに瞼を閉じて手の中のグラスを揺らした。
「影」と呼んでいる、バウド家が持つ隠密的な調査を主としたチームは、確かに人手不足である。
3人だけの少数精鋭だが、1人はチリッロの命によって、北東の隣国へ長期の調査に向かっていた。
「よろしく頼む」
しばらく熟考したチリッロが頷き、グラスを置いて指先で机をトントンと叩くと、バルナバは背後で空気が揺れたような気がした。
その一瞬後には、真後ろから男の声がした。
振り返らなくてもわかるその距離に、あと一歩でも離れた位置に現れたなら、この空気の揺れですら気づかなかっただろうと考え、首筋に汗が一筋流れる。
「トリスタン、バルナバだ。ボナヴェントゥーラに侵入ったんだ、筋は悪くないだろう」
「はっ」
無機質な返事が、薄暗い書斎に響いた。
やっとキュンキュン色が出てきたかと思ったらオッサンシーン。
どこまでも悪い方向に読者を裏切って行く作者ですが石は投げないでください。




