第23話 ドンくさいのです
いつもお読みいただきありがとうございます。
もはやお約束。お約束を回避したくて慎重な行動を心掛けてたつもりなのに。
これがゲーム補正という奴でしょうか。たぶん違うと思うけれど。
厚手の布がすっかり水を吸ってしまって重く、そして体にまとわりつく。
慌てて釣り竿を手放して水を掻いても、もうどうにもならなかった。
ウティーネがいると思えば怖くはない。
ただ、レイモンドとの100年ぶりの再会に水を差すのが躊躇われて、助けを求められないまま遠ざかる水面をつい見つめてしまう。
このあたりの水深は結構あるんだなぁとか、日のあたる水面が綺麗だなぁとか、不思議とそんなことが頭をよぎる。
さあどうしようか。
そろそろ助けを呼ばないと、いつまで息を止めていられるかわからないし。
だけど、ああ、きっとまたイフライネにドンくさいと言われてしまうわね。
水面から差す光も届かない位置まで沈んで、水の冷たさが増してきたとき、私はついにウティーネを呼ぶことにした。
「ウティ──」
水の精霊の名を呼ぶ前に、私は突如全身に重力と心地良い温かさを感じ、驚愕のまま、いつの間にかぎゅっと閉じていた瞳をあける。
誰かに横抱きに抱えられ、その誰かが私を見下ろしていた。
海は渦を作るように私たちの周りだけ水がなくなっていて、高い高い水の壁を周囲に作っている。
私を抱えた人物は、大きめで形のいい口と、細い鼻筋は高さも文句なしなのだけど、目はフードに覆われて見えない。
「新しい巫女は随分とお転婆さんだ」
『ドンくせえだけだろ』
数日前、祠の中に横たわっていた人物がいる。
断崖の上から、猫が呆れたように何か言っているのが聞こえた。
そのイフライネとの距離が少しずつ縮まっていく。
一体どんなカラクリなのか、宙に浮いた私たちは、ゆっくりと昇って、そして元居た断崖の上へ降り立った。
「イフ、ウティ、風呂を用意してやってくれるかな。ゲノは彼女を連れて行って。シルは先に戻ってエストに報告を」
『レイモンドは?』
「島の様子を見ながらゆっくり戻るよ。さすがに少し疲れたからね」
レイモンドはその細い腕のどこにそんな力があるのか、まさに軽々といった様子で私を静かに下ろすと、ゲノーマスのいるほうへそっと背中を押す。
さあ行って、と言わんばかりに彼が腕をさっとあげると、精霊たちは各々その場を後にした。
「あらためまして、僕はレイモンド・チェルレーティ。こう見えて100歳を優に超えるおじいさんだ。よろしくね」
「チェルレーティ……」
チェルレーティ家は私のご先祖でもあるはずだ。初代国王イルデフォンソ一世と、その弟である私の曽祖父との二人の母親が、チェルレーティ家の出身ではなかったかしら。
「どうかした?」
「あ、ごめんなさい。えと、私、アナトーリアと言います。アナトーリア・バウド」
レイモンドは今もまだフードを深々と被っていて、表情はまるでわからない。
けれども、彼の纏う雰囲気、空気はとても清浄で気持ちがいい。
私のカーテシーにひとつ頷いて返すレイモンドには、なんだか強者の余裕のようなものを感じた。
「ふたりとも座れ。聞きたいことは山ほどあるんじゃ」
いつものように琥珀色の液体が入ったグラスを片手に、エストがいつまでも立ちっぱなしの二人を諫める。
精霊たちは少し離れたところで丸くなっているようだ。レイモンドの肩から離れようとしないシルファムを除いて。
「レイモンドが起きてきたのは、お主の客人によるものじゃ。あやつら、何しに来た」
「ふぇ?」
ずいぶん早くお目覚めになったものだ、とは思っていたけれど、それがボナート公たちのせいだとなると、なんだかとても申し訳ない。
驚きながらも、なぜ目が覚めてしまったかは後で話す、とのことなので、まずは私から話すことになった。
この島流し自体が仕組まれたものである可能性が高いことからひとつずつ。
さすがに、異世界からの転生については触れられないので、クララのことは「何か企んでいるようだ」としか説明できなかったけれど。
ボナート公爵は、恐らく国有地であるこの島の所有権を誰にも奪わせないために焦っているし、クララも、企みを諦めない限りまた私の命を狙うかもしれない、と。
「私がここにいると、また島を騒がせてしまうの。他に行くところはないから、できれば置いてほしいのだけど……」
「ああ、もちろんじゃ。儂らもお主にいてもらわねば困るしの」
まぁ、そうよね。
貧乏神にならないように、できるだけ貢献できるようにしなくては……。
「そ、それで、レイモンドさんはどうして……」
「レイでいいよ。僕は精霊たちの怒りに触れて目が覚めたんだ。きっと、そのクララという子に対する怒りだろうね」
レイモンドは、眠っている間にも、エストはもちろん、精霊や妖精たちを通して世界を見ていたのだそう。
人間とは違うフィルターを通しているから、人々の事情や物事の道理は理解しづらいけれど、感情はダイレクトに伝わるのだと。
「クララへの怒り……?」
「精霊も妖精も、酷く怒っていたよ。クララの、極端に利己的、あまりにも身勝手な欲望、そんなもので君の死を願ったことをね。その怒りが僕を起こしたんだ」
あの時、確かにウティーネもゲノーマスも、シルファムでさえも少し怒っているように見えたけど、レイモンドを目覚めさせるほどだったなんて。
『違いマスね! ワタシたち怒ったケド、クララに対してはレイモンドの方がモット怒ったカラ起きたんデス』
「ゲノーマス、少しは格好つけさせてくれ。そう、大事な客人を傷つけられるかと思って飛び起きたんだよ」
ほんの少し困ったように笑うレイモンドは、なんだか可愛かった。
別に、怒った精霊のために起きても、私のために怒ってくれたのだとしても、どっちだって、好感しか持たないのだけど。
『格好なんかつくかよ。寝起きでぐだぐだのくせに、溺れたリア見て、力の加減もしねぇで──』
「イフ」
レイが呼ぶと、さっとゲノーマスのお腹の下に隠れたイフライネを見て、きっとレイモンドには逆らってはいけないんだ、と私は学習した。
平和に生きていくためには、力関係の観察はきっと大切だから。
やっとレイモンドが出て来た!
長かったー(長くしたのは私です)
10歳から眠り続けているレイモンドを、第二の合法ショタだと信じた方、すみません。
耳年増の100歳おじいちゃんでした。