第134話 3つの影です
それはそれは見事なステンドグラスだった。
ローブを纏い、杖を掲げる若い男。その横には冠を戴いて天を見上げる若い女。男女の間には白く輝く少年がいて、周囲に4つの動物が寛いでいる。
すごくすごく嬉しかったのだけど、ひとつ気にかかることがあった。精霊信仰を伝えるためのステンドグラスに、男女の姿が必要であったか否か。
誰が見てもレイモンドと私を描いていると思われるそのデザインが、神殿のアイコンのひとつとして相応しいのか私には判断がつかないから。
その回答は、お披露目会に集った人々の口からぽつりぽつりとこぼれ落ちるのが聞こえ、私は胸をなでおろす。
あの奇跡の瞬間を忘れないでいられるだとか、この国の始まりを子供に孫にと語り継いでいけるだとか、そんな言葉が私に安堵と喜びを運んでくれるのだ。
精霊たちもほとんどデフォルメされていなくて、私がいつも見ている姿で描かれていた。
見ようによっては、ペットと仲良く暮らす3人家族のようでもあるのだけど……それでも真ん中の少年の神々しさは、際立っている。
「お姫サン。気に入ってもらえたかねぇ?」
「ああ、イネス。とても素敵だわ。言葉で言い表せないくらい!」
「あっはっは! 嬉しいねぇ。これで、あーしの仕事にも箔がつくってやつでね。次の依頼もいくつか頂いてるのさ。お姫サン様様ってやつだね」
昼のお披露目会にも夜のガーデンパーティーにも、平民を代表する庶民議員や神殿建設に深く関わってくれた作業者の代表が出席している。
平民である彼らには、島で作られた衣装を招待と同時に配布しているのだけど、それが本当に素敵なのだ。
いつも麻の着古した作業着姿でいるイネスも、真新しいコットンのワンピースに身を包めば商家のお嬢様のように可憐に変身する。
「よく似合ってるわ」
「あんまりジロジロ見ないでおくれよ。お姫サンとこの従者の、バルナバ君だっけね。さっきあの子にも目をまん丸にされてね、失礼な話じゃないのさ。
そういえばあの子は島に住まないんだってねぇ」
「そうね、弟のピエロのこともあるから……」
島に来ないかと声を掛けなかったわけではないのだけれど、バルナバはそれを固辞した。ピエロをバウドに世話してもらっている以上、バウドに尽くさなければならないのだと彼は言う。
もちろん、ピエロのことは家族みんな可愛がっているのだから義務に感じる必要はないのだけど、彼の意思は固いようだった。
それに、ジャンが彼の勧誘に否定的だったから……ピエロのことだけじゃなくて、私の知らない理由が他にもあるのだろうと思う。
「そういえば、バルナバに会ったの? どこにいるのかしら。私、今日は彼を見ていないの」
「あれ、挨拶もしなかったのかねぇ。忙しいらしくて、もう帰ったと思うよ」
神殿の高い丘から、港はよく見える。
キャロモンテから多くのお客様を運んだ大きな船は、日帰りを希望する人々を連れ帰るためにまだその巨体を港に浮かべていた。
けれどバルナバはあの船には乗らないはずだ。彼はいつも、小さな漁船で島と本土とを行き来するのが好きだったから。
「挨拶もなかったわ。次に会えるときには、今度こそ一緒にお酒を飲まないと」
「あの子も同じこと言ってたよ。ステンドグラスを眺めながらね、優しーい目をしててねぇ」
――俺はバルナバってんだ。もう泥棒からは足洗うからよ、アンタがもしよかったら……、国に戻ったとき、祝い酒飲もうや。
冤罪を証明してくれたお兄様からの迎えを受けて、私が最初にキャロモンテへ戻ったとき、バルナバはもうバウドの従者だった。
泥棒から足を洗った彼の今の生活は、あの日よりも良いものになっているかしら? それがいちばん、自信がない。
今度こそ、一緒に祝い酒を飲めますように。
すでに彼の姿など探せやしない海に向かって、小さく手を振った。
◇ ◇ ◇
窓から見える空は濃紺色。
東向きの部屋の窓は夜になるのが早い。身を乗り出して西を見ればまだきっとオレンジ色に輝いているはずなのに。
テーブルをコツコツと叩く音に意識を引っ張られて、私は窓から室内へと視線を戻した。
「相変わらずぼーっとしてんな、小娘」
「ぼーっとしていなくたって、あなた達の気配には気づけないわ」
音もなく入室したのは、オクタヴィアンとトリスタンの兄弟だ。
ここ数日はヤナタでキアッフレードの手伝いをしてもらっていたのだけれど。
「キアッフレードは予定通り動いた」
「ありがとう。さっきヤナタからピスキーもそれを教えに来てくれたようなのだけど、彼らの話はたまに要領を得ないから」
夜のパーティーで私とレイモンドは婚約を発表する。
が、その前にヤナタの状況については確かめておかなければならなかった。
随分と長いこと無視を決め込んでしまったけれど、私はヤナタの第二王子から正式に婚約を申し込まれていたから。
もし返事をしないまま婚約発表なんてしたら、喧嘩を売っているのと同じだ。
でもキアッフレードが政変を起こせば、そんな話は有耶無耶のまま闇に葬られる、というわけだ。
「ちゃんと、お断りのお手紙も置いてきたぞ。ま、読んで怒り散らす余裕もねぇだろうけどよ」
「道中で賊に襲われて親書の到着が遅れるだなんて、不幸なことだわ」
「よく言うよ」
長い足を投げ出しながらソファに座り、苦笑交じりに頭をポリポリと掻くオクタヴィアンの横で、トリスタンは静かに跪いている。
バウドの影になってそろそろ10年経っただろうか。いや、もっとだ。
トリスタンは、影となっても騎士だった。ずっと。
そして、歴史を学んだ私は知っている。この兄弟が亡国の騎士であったことを。彼らの家は代々、国に仕える武家であったことを。
「オクタヴィアン、トリスタン。二人とも、ここまでついて来てくれてありがとう」
私の声色になにかを察したのか、オクタヴィアンもまた立ち上がって、跪くトリスタンの横で背筋を伸ばして直立した。
「私は、新しい国の王となりました。城もない、玉座もない、小さな小さな国だけど、他の国々と対等に渡り合わなければなりません。
それには、あなた方の力が必要です。あなた方には、国を守ってほしい。民を守ってほしい。国と民を守る者を育ててほしい」
沈黙は、嬉しい。
茶化さないオクタヴィアンの表情に、一切顔を上げないトリスタンの肩に、私は自分の言葉が届きますようにと願う。
「以前、お話したことがあったかしら。本来、私は巫女にはなり得ないと。神の加護があるからその役目を仰せつかることができているだけだと。
神の加護を失っても、または次代の巫覡が生まれて、いつか私とレイモンドがこの役目を終えても、新たに興した王家の人間であることはもう覆らない。
精霊を頼りに身の安全の確保を疎かにするわけにはいかないのです。私たちの近くで、その剣を振るってはもらえませんか」
「……」
逡巡する瞳。震える肩。
どうか届いて欲しい。いつまでも暗闇にいないでと。
「私は、あなた方に【サラサール】の家名を与えます。伯爵位とともに」
亡国ガイタンには、伯爵位より多くの名誉を全て固辞する家があったという。代々、近衛騎士としてガイタンの王家に忠誠を誓った家が。
長い沈黙の末、固まっていた空気が動いた。
オクタヴィアンが、音もなく剣を抜き、両の膝を折って跪く。
「我、オクタヴィアンは我が剣を貴女を……貴女とこの国の民を守るために振るうと誓う」
オクタヴィアンの差し向けた剣の柄を手に取るが、オクタヴィアンは刃を離さない。
「オクタヴィアン?」
「が、名はいらない。俺はただのオクタヴィアンでいい。サラサールの名と光に溢れる世界はトリスタンへ」
闇に残る。それがオクタヴィアンの答えだった。
確かに、腕のいい影を失うのは頭の痛い問題ではあるのだけど、でも……。
返事をしない私と、刃を離さないオクタヴィアンとの間で無言の問答があったけれど、結局は私が折れるしかないだろう。
今までだって、誓いの言葉がなかっただけでずっとバウドのために生きてくれたオクタヴィアンだ。彼の意思を捻じ曲げることはできない。
「わかりました」
私の言葉とともに、柄を握った右手にズシリと剣の重みがかかる。
両手で持っても長くは耐えられなかった少女時代とは違い、片手でも長く持ち続けられるようになった。
それなのに、あの頃よりもずっとずっと、この剣は重く感じるのだ。
剣をオクタヴィアンの右の肩に触れさせて、誓いの言葉を繰り返す。
「では、オクタヴィアン。私を含む王家と、貴方自身を含む民を守る剣となりますよう」
オクタヴィアンは、肩から下ろして差し出した剣の切っ先に、小さく口づけを落とす。誓約のキスだ。
刃を下にして垂直におろすと、オクタヴィアンがその柄を握った。
横に跪くトリスタンもまた、ゆっくりと腰から剣を抜いて私に柄を差し向けた。
「我、トリスタンは我が剣を貴女とこの国の民を守るために振るうと重ねて誓います」
「トリスタン・デ・サラサール。私を含む王家と、貴方自身を含む民を守る剣となりますよう」
二度目のトリスタンの誓いは、全く迷いのないものだった。
ガイタンから二人の若い騎士を連れ帰ったおじい様は、いつか二人とも明るい世界へ連れ出したいと思っていたのだと、お父様から聞いたことがある。
さすがに、自分の意思で影にいたがる人を連れ出すことはできないけれど、騎士として生きると誓ってくれたのだから良しとしましょう。
大進歩でしょう、おじい様?
宙ぶらりんになっていた影3人のその後でした。
オクトリ兄弟は他国のやり方をよく見てるので国防に携わってくれると心強いです。二人のことは「おじい様が連れて来た亡国の騎士」としか本編中で説明していなかったので、こうして決着つけられて嬉しい。
次回が最終話となります。どうぞ最後までお付き合いくださいませー!!




