第133話 バディです
ドリスはいつも私の幸せを優先させる、最高の侍女だと思う。
彼女は昔、思い悩んで自らの命を粗末にするようなことがあった。あのとき私は、「どうせ死ぬつもりなら、その命をくれ」と彼女に言ったのだ。その代わり、彼女に必要なものは全て手配するからと。
あれ以来ずっと私のそばで私のために生きてくれたけれど、そろそろ自分のために生きてもらいたい。
預かった命を返したい。
「いつまでも私のために全てを諦めようとしなくていいの」
最近ドリスは上の空でいるようなことがある。心ここにあらずというか、気もそぞろというか。
最初に気になったのは、食器の片付けが中途半端なまま、ドリスがどこかへ姿を消したことがあったからなのだけど……。
あれは一体、何があったときだっただろうか。仕事を途中のままにするなんて珍しいなとは思ったのに、前後のことがいまいち思い出せない。
「諦めるだなんて。私にとって最も優先すべきはお嬢様です。どんなことがあろうと、それを違えることはありません」
「それはわかってるわ。でも……」
今のままが良いとは思えない。私の侍女としていつまでも縛り付けていてはいけないはずなのだ。
「えー、アニー様、ドリスさんに好きな人ができたとか、そういう話じゃなかったのですか?」
メアリが小さく頬を膨らませながら、キュンキュンするような話じゃなかったことで、私を横目で睨む。
ドリスに好きな人だなんて。
四六時中ずっと私のそばにいながら、誰かを好きになるなんて難しいのだもの。出会いもないのだし。だから自由にしてほしいと――。
あらためてドリスに向き直ったとき、私の正面で肩を震わせていたドリスは、今までに見たことのないような表情をしていた。
「すっ……! 好きな人なんてっ」
瞳をぎゅっと閉じて、真っ赤な顔をぶんぶんと左右に大きく振っている。
これは、クロです。
私は、メアリとベルタと目を合わせ、みんな同じ気持ちだということを確かめ合う。
これは、クロです。
「ドリス、水臭いわ」
「ドリスさん、私、応援しますわ!」
だから白状せよと言わんばかりに、メアリとふたりでドリスの名を呼ぶと、彼女はついに大きな深い溜め息を吐いて口を開いた。
「一般的な好きとは違うという自覚があるのです。どちらかと言えば、暗闇におけるバディのような。ええ、そんなシステムが実際にあるのかも知りませんけれど」
「???」
ドリスの言葉は、その場にいる誰にも理解がつかなかった。
上位の貴族や有力者ほど、影と呼ばれるチームを持っている。彼らはときに二人一組になって協力して困難を乗り越えることがあるのだと聞く。それをバディシステムと呼ぶんだとか。
ところでそれがドリスの恋心と一体なんの関係があるのか。
命を預け合うようなバディと同じであるというなら、それはすでにかなり深い関係のような気もするのだけど。
「えっと、その……忘れてください」
「えっ、待って、気になりますわ!」
いやいやをするように首を振るドリスに、メアリがさらに食らいついた時、私の体は背後から温かい腕に羽交い締めにされ、ドリスから距離をとらされた。
と同時に、店の入り口の方から聞きなれた冷たい声。
「嫌がる人に寄ってたかって詰め寄るのは感心しないね」
「お兄……様」
「ラニエロ様!」
戸口に立つ冷ややかな目をした男性に、私もメアリも二の句が継げない。
けれど、私たちの横でベルタがまた小さく跪いてしまった。私には慣れても、バウド公爵家の長男に会うのは初めてだから仕方ないことかもしれない。
「えーっ。ラニエロ様、母をいじめないでいただけますかー?」
お兄様の背後の隙間から店内を覗き込んだジャンが、口を尖らせて抗議する。
「さぁさぁ。話の続きはあとにしよう。そろそろステンドグラスのお披露目会がはじまるよ」
私の肩を抱くローブ姿の男は、混沌とし始めた店内の空気をパッと爽やかなものに変えてしまった。
話に花を咲かせている間に、もう随分と時間が経ってしまったようだ。お兄様がここにいるということは、招待客のほとんどがもう島に到着していると考えていいだろう。
「大変! すっかり話に夢中になってしまったわ。お兄様、わざわざお越しいただき感謝します」
「ああ。主役なんだから先に行くといい。私たちはゆっくり神殿へ向かうよ」
私が小さく膝を折ってから顔を上げると、お兄様は柔らかく微笑みながらメアリの肩に手を伸ばすところだった。
ああ、お兄様がこんな表情を私以外に向けるだなんて。
昔はこんな状況が来たらもしかして嫉妬してしまうだろうか、と考えたことがないわけではなかった。
でも、嫉妬だなんてとんでもないことだわ。お兄様が幸せそうにしているのが、こんなに嬉しいなんて。あと、少し恥ずかしい。
「そんっじゃー、俺は神殿に真っ直ぐ向かうけど、ドリちゃんと母上はアニー様の支度を手伝ってあげて欲しいかなー」
ジャンは、言われなくとも、という表情のドリスとベルタに視線を投げて満足気に頷くと、小走りで神殿の方へと立ち去った。
「ドリスさんっ! わたくし、わかった気がいたします!」
すでに歩き始めている私たちに向けて、背後からメアリの声が飛んでくる。
振り返れば満面の笑みを湛えたメアリが、まっすぐドリスを見て親指を立てている。決して、淑女の行為として褒められたものではなく、すぐにお兄様がその手を抑え込んでしまったけれど。
ドリスを見れば、顔を赤くしながらも小さく頷いていた。
バディシステム、二人一組、協力者……。ふたりで同じ目的に向けて協力する相手。
ドリスの最優先事項は私。
ドリスが食器を片付け忘れたあの日は……。そうか、そういうことか。
もう。ドリスのためならどんな縁談だって持って来ようと思ったのに。こればかりは、私には用意することができないじゃない。
これからもしばらくは、女子会というやつを堪能できそうね。ドリスがあんなに狼狽える姿は初めて見たもの。もっとあの可愛いところを見せてほしいものだわ。
「お嬢様、笑い方がえげつないです」
「そう?」
真っ赤な顔で睨みつけるドリスから逃れるように、私はレイの腕をとって空を見上げた。
雲一つない空はどこまでも青くて、神殿の完成を祝福されているような気がする。
「随分と楽しそうだね」
「レイのほうこそ」
「いやいや、緊張で内臓がぜんぶ口から出てしまいそうだよ」
夜になれば、招待客を前に私たちの婚約を発表することになる。
ほとんどの人はもう既に知っていることだけど、公の発表というのは今夜が初めてだ。
言葉とは裏腹に、堂々とした佇まいのレイモンドは、今まで通り民衆と近い距離で接点を持ちながら、まるで生まれながらの王族のような高貴さまで手に入れようとしている。
私の知る限りでは唯一人、自在に自身の力のみで魔法を操れるレイモンドは、やろうと思えば複数の国家をひとつにしてしまうこともできるかもしれない。
精霊とは違って、自らの意思で使うのだから攻撃に転用することだってできてしまうのだもの。
けれども彼にその野心はない。それが、いいのだ。
私と同じ目的を持つ、私のバディ。
「では口を塞いでおかないとね」
「口で?」
「ばか」
ドリちゃんが食器片付け忘れた日がわかる人いますかねぇ。あんまりいないだろうなぁ。
当時を描いた箇所を改稿するべきか、うぬぬ。




