第124話 慌ただしい朝です
小鳥が囀っている。朝だ。
厚いカーテンの下から真っ白な光が入って、白い壁の一部をさらに白く染め上げている。
ベッドに入ってからずっと、目が冴えてしまって全然寝られなかった。
1日の中で、万華鏡みたいにいくつもいくつも印象を変えるレイモンドに驚かされて、ベッドの中でそのひとつひとつを思い出しては頭を抱える、というのを一晩中繰り返していたから。
なんなの、あの包容力は?
私が怒っててもあっという間に他のことに興味を持たせてしまうし、神ともやり合うし、それに、そうだ。社交術。私が社交の場で助けられるなんて。
彼はこれが社交デビューだったのでは?
人前で踊るのも、他国の王族と話すのも今回の旅が初めてだったのでは?
どうしてあんなに、なんでもかんでもそつなくこなしてしまうの。
堂々とした佇まいで、口元に微笑みを湛えて、大きな手で……。
「っ!!」
レイモンドに抱き寄せられた肩の感触を思い出して、急に恥ずかしくなって毛布を頭から被る。
それでもなんだかムズ痒くて、足をバタバタさせて胡麻化した。
クロヴィエ殿下のお誘いをあんな風に躱すだなんて、考えもしなかった!
私自身、頭が固いという自覚はあるけれど、あんなに柔軟な発想ができるだなんて。イフライネは不満そうだったけれど。
彼は私に持っていないものを持ってる、と思う。
どうかこれからも側にいて、一緒に国を……。
「お嬢様? お目覚めでいらっしゃいますか?」
控え目なノックと、小さく呼びかけるドリスの声。
バタバタと暴れてしまったから、起きているのがバレてしまったのね。ていうか、ドリスももう起きてるのね。
今から寝る時間もそんなにないし、寝られる気がしないし、もう起きてしまいましょう。
「ええ。そうね、起きてるわ」
上体を起こして壁に背を預けながら、水差しを持って入って来たドリスへ目を向ける。
「なんです、その顔は」
険しい顔でツカツカと近寄って来たドリスが、私の頬をむにと掴む。敬意はどこかへ落として来てしまったらしい。
「なにっへなに」
「寝ていらっしゃらないんですか?」
乱暴にグラスに水を注ぐと、跳ねた水滴がいくつかシーツに染みを作ったが、ドリスは構わず私にグラスを押し付けて窓の方へと向かった。
「不思議ね、気が付いたら朝だったの」
「子供じゃないんですから」
ガバと開けたカーテンの向こう側は真っ白で、一瞬私は天国にでも来てしまったのかと思った。
単純に、睡眠不足の弱った瞳孔に、朝の陽ざしは攻撃力が高かっただけだったらしい。ゆっくりと目が慣れるにつれて世界は色を取り戻す。
「ドリスは随分早起きね」
「起こされたのです」
「ごめんなさい」
「違います。こちらを」
ドリスは白いエプロンのポケットから一通の白い封筒を取り出した。
開封済みではあるけれど、封蝋の跡が見え、それなりの立場にある人物からの手紙であることがわかる。
時は東雲。まだほとんど真っ暗な中、物音で目を覚ましたら、机の上に置いてあったらしい。
読んでも良いかを目で確認してから中身をひらくと、それはヤナタの神、ヤンからのものだった。
『アナトーリアの従者、今日は私が彼女を訪う。川の水面が百度輝くころに向かうので、準備しておくよう』
「すごく、わかりづらいわね」
「水面が100回だなんて一瞬ですよ、どういう意味なんでしょう?」
「うん、だから、もう来てるんじゃないかしら」
私は、ドリスの後ろでにこやかに手を振る、恐ろしいほどに美しい男の姿を認めてこめかみを押さえた。
「えっと、レイモンドを呼んで来てくれる?」
「いけません!」
私の視線と表情で、なんとなく神の存在を察したドリスは、私と背後を何度か順番に見やってから、大判のショールで私をグルグル巻きにしてしまった。
なるほど……。
昨日、私を氷に閉じ込めてイケナイことをしようとした男神と二人きりにさせられない、と。
さらに言えば、寝起きの状態でレイモンドを連れて来ることも避けたい、かしら。ええ、それは私も是非避けたい。そうよ、私まだひどい恰好だったわ。
「じゃあ、ヤン、私の準備が整うまでレイモンドと話していてもらえる?」
「えー。アタシ、頭の固い男嫌いだって言ったのにぃ」
「こんな朝早くに来る方が悪いわ」
城からほんの少しだけ東に行った丘には、色とりどりの花が咲いていた。
北を向けば神の滝が、南を向けばヤナタの広い大地が見渡せる場所で、いくつかの石碑が建てられている。
年季の入った木製のテーブルセットは、それでも誰かが丁寧にメンテナンスをしているらしく、清潔でがたつきもない。
私とレイモンド、それに神が腰掛け、ドリスとトリスタンは少し離れたところで待機、猫はテーブルの上で日向ぼっこだ。
それぞれの前にピスキーが飲み物を用意してくれた。ヤンには鮮やかな赤い液体を、私やレイモンドには温かな赤茶の液体を。
「それで、どうしてイフライネはエストの加護がないのにここにいられるの?」
「そんなこと知らないわよ」
「恐らくだけど、巫覡の祈りが核になっているから場所に縛られないのかも」
レイモンドが言うには、精霊は誰かの強い祈りで生まれるのに、祈りの媒介である巫覡が生み出してしまったから、普通の精霊よりも力が強いのでは、と。
「さぁ……。アタシは、加護を持った巫覡だったことに意味があるんじゃないかと思うけどぉ?」
ヤンが言うには、私の祈りを通してエストの加護が流れ込んでいるのではないかと。
どちらにせよ、だ。
「エストの加護に縛られずにどこでも出現できることには変わりない?」
レイモンドとヤンが目を見合わせてから、自信なさげに頷くのを横目に、当の本人である猫は欠伸をして尻尾をゆるく2回動かした。
「まぁ、アタシからしたら面倒なことこの上ないけどね。エスピリディオンが突然この猫を寄こして文句言って来たりするんでしょ、あーやだやだ」
「なんでそんなに仲悪いの?」
「根っから受け付けないのよ、あのタイプは」
結局、イフライネのことはプライバシーがどうのと言って、あまり詳しいことは教えてもらえなかった。
ただやはり、以前と全く同じ人格というわけでもないらしい。全ての記憶を保持しているわけでもない。
純粋に、私を守らなくてはならない、という意識が強く残っているようだ、というのがヤンの説明だった。
どれだけの記憶が残っているのかは、本人にしかわからない。
私を守らなければと、呪いのように縛られていたらどうしよう。申し訳なさで手を伸ばすと、猫はゴロゴロと喉を鳴らしながら柔らかい頬を手のひらにこすり付けた。
「で、クララをどうやって苛めるかだっけ?」
甘酸っぱい香りに顔を上げると、ヤンがグラスをくるくると傾けたり、日の光にかざして色を楽しんだりしている。
「苛めなくていいのだけど。ああ、でも、彼女が精霊に何か言い付けても、……うーん、正しい祈りに基づかない内容なら、無視してほしい」
巫女の依頼は精霊にとってほとんど絶対的な意味を持つ。
正しい祈りに基づくとか、そうでないとか、自分で言っておいてなんだけど、正直なところ私にもよくわからない。
だから結局は精霊たちが私を信じるか、クララを信じるかでしかないのだ。それでも、抑止できる可能性があるだけありがたいことよね。
言わんとしていることが伝わったのか、ヤンがひとつ頷いてからグラスを煽った。
「あと、キアッフレードのことは手伝ってもらえたら嬉しいと思うの。でも、そうね。せっかく貴方にも加護をもらったのだし、時が来たら私から精霊にお願いするわ」
「そう、精霊たちも喜ぶわ」
ヤンが柔らかく微笑むと、私たちの周りを温かな風が吹いた。
これでクララちゃんのことはもう無力化できそうですね!
やったぜ!




