第123話 王子VS巫覡です
周囲から大きな注目を浴びているのがわかる。
ただ、このお誘いは恐らくクロヴィエ殿下にとってはただの準備、撒き餌に過ぎないのよね。断られることがわかっていて声を掛けてる。
これだけの環視の中で立場の高い人物からの申し出を断るストレスと言ったら、普通なら胃の中のものをぜんぶまき散らしてしまいそうなほどだもの。
いま断らせて、あとから断りづらくさせる腹積もりでしょう。
「ふふ、山や川を歩いたものですから、しっかり踊れるかどうか。殿下の足を踏んづけてしまっては、たくさんの可愛い方に叱られますわ。レイモンドと一緒に練習することにいたします」
とっておきの令嬢スマイルを投げて、レイモンドの右腕をとる。ついでに首を傾げてやれば完璧だろう。
私は、キャロモンテ王国の宰相バウド公爵の娘で、元王妃候補だ。
衆人環視にも、偉そうな人の話をぶった切ることも、なんのストレスにもならない。
クロヴィエ殿下もまた、爽やかに笑って差し出していた右手を胸の前へ。
「それでは、疲れ切ってしまう前にまた」
心なしか満足気に踵を返した殿下を、色とりどりのドレスがあっという間に囲んで見えなくしてしまった。
『また』はないけれど、ね。
「レイモンド、ごめんなさい。みんなの前だけど、踊れる?」
「緊張はするけどね」
嘘ばっかり。
パッと目を細めたレイモンドの笑顔は、朝一番に窓から見上げた快晴の空みたいに、わくわくとドキドキが詰まっている。
こんなに度胸のある人だったなんて。まぁ、そうよね。度胸がなかったら、あんな深い傷を負った体で私を助けになんて来るはずないもの。
ゲルスト夫人お手製のドレスは、胸の下で切り替えのあるエンパイアラインだ。黄色のシフォンの下では、幾重もの純白の混交素材が控え目に自己主張している。
今夜のレイモンドは、やはりゲルスト夫人デザインの山吹色のローブをマントのように羽織っている。まるでファンタジー世界の魔導士みたいだわ。
いや、前世世界から見たら十分ファンタジー世界の魔導士と言って間違いないか。
レイモンドのエスコートでホールの真ん中へ移動すると、国王陛下と王妃陛下もいらっしゃって、私たちの向かい側に並んで立った。
そして楽団が音楽を奏で始めた。カドリール。2組ないし4組のカップルがたまにペアを変えながら一緒に踊るものだ。
事前にいただいたプログラムでは、ファーストダンスがカドリールだとは書いていなかったはずだけど……。
恐らく、エヴラウル陛下の計らいね。私が、ファーストダンスでホストであるヤナタの王族の誰の手もとらないのを避けたい、というわけだ。
政治はしなくても、王は王というべきかしら。社交術には長けているらしい。
国王、王妃両陛下とのカドリールも、続いて始まったワルツも、恙なく踊りきることができた。
恙ないなんてものじゃない。レイモンドは予想以上にダンスが上手で、すごく驚かされたわ。
バウドの屋敷に滞在していた間に家庭教師から習っただけなのに、幼少時からお稽古をしているその辺の貴族と比べても、遜色ないと言っても言い過ぎじゃないくらい。
う。
かっこいい、のでは?
ダンスがとっても上手なフィルにだって、かっこいいと思ったことないのに……!
「陛下はなんて?」
ホールが踊る人たちで埋まるころ、そっとダンスの輪から抜け出してバルコニーへ。
こういう場面でバルコニーに出たのは初めてだ。
もし男女がバルコニーで涼めば、周囲の人間にそういう関係であると判断される可能性がある。
私はフィルとこうやってバルコニーに出たことはない。だって、そういう関係ではなかったから。私たちは、国を作る協力者にすぎなかった。
他国からの客である私たちがバルコニーに出ていても、誤解する人は少ないだろう。
それでも、私はなんだか胸の奥がくすぐったいような気分になって、真っ直ぐにレイモンドの顔が見られない。
「えっと、ヤナタは新しい国と深い友好を結びたいと。あと、私が婚約の申し入れを全て断っていることを心配してくださった」
「へぇ?」
カドリールで陛下の手をとったとき、その短いタイミングで彼は私がパートナーをどうするつもりなのか探りを入れてたのよね。
バルコニーから遠い夜空へ目を向けるけれど、輝く星も、光を湛えるのを忘れた鎌のような月も、私の視界にあるだけで、何も主張してこない。
陛下の意図なんてどうでもいい。でも、それをレイモンドに伝えたら、私はその次になんて言えばいいんだろう?
「……クロヴィエ殿下はどうか、と」
クロヴィエ殿下ご本人から言い寄られるのだと思ってた。まさか、エヴラウル陛下から直々にお言葉を掛けていただけるとは。
ものすごく迷惑だし、どっちみちお断りするのだけど。だけど。
殿下のダンスのお誘いと、陛下からいただいた打診とでは重さが違う。
国と国の話だから、正式な申し出ではないけれど、その場で断ることもできない、宙ぶらりんのまま検討しつつ、国として話を進めなければいけない。
「そうか」
レイモンドはひとつ頷いて押し黙ってしまった。私も同様に口を噤む。
ああ、なんと言えばいい?
気持ちは。お互いの気持ちはわかっているはずなのに、王配になってほしいと、本当に言っていいのかと悩む。
彼の自由を奪っていいのか。彼に王族の苦労を押し付けていいのか。
婚姻を結ばなくても、一緒にいることはできるのじゃないか、と目の前の問題から逃げ出したくなっている。
お互いの気持ちをわかっている、という意味では、レイモンドにだって何か言いたいことがあると思うのだけど……。
こうやってレイもまた黙ってしまうのだから、積極的に王配になりたいわけじゃないのよね、きっと。
まぁ、そうよね。
横から小さく息を吐くのが聞こえてきて、我に返る。
ああ、でも、少なくともクロヴィエ殿下のことは断るつもりだと先に伝えなくては。何をしているのかしら、私は。
顔を上げてレイモンドを仰ぐと、冷たい風が火照った頬を優しく撫でて、黒い瞳が温もりをもってこちらを見ていた。
「レイ」
「リア」
ほとんど同時に声をかけて、ふたりで慌てる。
お互いに、相手の気持ちが聞きたくて、自分の気持ちを言い淀んで、譲り合う、思いやりと不安に溢れる時間。
「こちらにいらっしゃいましたか」
およそ、怒鳴ったことなどなさそうな、張りのあるのびのびした声が、私たちの不毛な譲り合いを制止した。
「……クロヴィエ殿下」
室内の煌々とした光を背にした殿下は、そのルックスをさらに美しく引き立てている。
ただ、その背の向こう側でこちらを睨みつけるカラフルでふわふわした女性たちの表情が恐ろしくて、つい視線をそらしてしまう。
「一曲お相手願えますか?」
ファーストダンスのお誘いがあったときは、また誘われることを予想していたし、再度断ることもなんとも思ってなかった。
けれど、陛下の話があったあとでこれをお断りするというのは、全ての検討義務を放棄したと捉えられる可能性がある。
さっきとは状況が違っているのだ。
爽やかながらも勝ち誇ったクロヴィエ殿下の表情は、私の心中を正しく理解しているのだと思う。
もう、めんどくさい!
「あ……えっ――」
「殿下」
何か言いかけた私の肩を、レイモンドが強く抱き寄せた。
驚いて目を丸くさせたのは私だけじゃない。クロヴィエ殿下も、もっと後ろでこちらの様子を伺っていた華やかな女性たちも、一斉に彼を見たはずだ。
「な、なにを」
殿下も言葉を失って唇を震わせている。
それはそうだ。彼の目には、近日中に一国の王となる公爵令嬢の肩を、素性のよくわからない巫女を名乗る男が抱いているのが映っている。
この状況下において、それはあらゆる方向へ無礼を働いていることになるだろう。
「殿下、恐れながら、体調があまり芳しくないのでは? お顔色があまり。……アナトーリア様は週末にも調印式を控えご多忙の身、大事を取って今回の接触は控えていただきたく」
「なっ、なっ」
確かに殿下のお顔は少し赤く見えるけれど、それはたった今レイモンドに恥をかかされたから、ではないかしら?
レイモンドの言葉に、そばに控えていた従者が近づいてくる。殿下の体調を確認するためだろう。
「お、おい。彼女から手を離したまえ、無礼だ」
「我々は二人とも巫女としてここにおります」
多くを語らず、ふわりと笑いながら礼をとったレイモンドの足元に、朱い猫がつまらなそうに丸くなっている。
「殿下、確かにお熱が」
クロヴィエ殿下の手からおでこ、首元と順番に手を伸ばした従者が困ったように、けれどもハッキリと伝えて、医者の手配のためにその場を離れた。
そして女性たちは、我先にと殿下のもとへ駆け寄ってソファーへ行きましょうと腕をとったのだった。
改稿可能性ありですねこれ。我ながら、ちょっといつも以上に読みづらい気がします。
いずれ改稿するにしても、ストーリーそのものに影響ありませんので更新を優先しました。(修正しない可能性も十分にあるので)
いつもお読みいただきありがとうございます!




