第118話 消えた歴史の一端です
「陛下も、お二人の王子殿下もとても良い方々ね! ……王族としてはむの――むぐぐ」
「お嬢様! どこで誰が聞いているかわかりませんので!」
素早く伸びて来たドリスの手に口をふさがれる。
エヴラウル国王陛下とリリアヌ王妃陛下、それにヴァレッド、クロヴィエ両殿下とは、ご挨拶を兼ねて朝食をご一緒させていただいたの。
皆様とっても温和で、温和で、温和で……温室育ちってこういう感じかぁ、と新たな知見を得られたというべきか。
「だから『良い方々』は大きな声で言ったのに」
「お嬢様ともあろう方が、直接的な表現で無能だなどと」
「ドリスだって言ってるじゃない」
「それくらいにしておいたらどうかな」
レイモンドが苦笑して窘める。
城内の静かな図書室では、どれだけ小声で話しても響いてしまう。もちろん、誰もいないことを確認してはいるのだけど。
「皆さま社交に熱心でいらして、私なんかよりよほど今頃の流行りに敏感でらっしゃるわ」
「ほらほら、こっちにヤナタの精霊伝書があるよ」
朝食の席で、バルテロトがヤナタと国境を接するピンダード領で軍備の拡充を進めているらしい、とそれとなく話を振ってみたけれど、陛下も殿下もどこ吹く風。
これは以前トリスタンが調査してきた内容で、間違いのない事実だし、それにヤナタの国境警備部隊からも報告が上がっていないとは思えない。
それなのに呑気な顔して、全員が全員それぞれにお茶会だとか晩餐会だとか演劇鑑賞だとか、……んもう!
「だって、レイだって聞いていたでしょ? 『あはは、それは大変だー』ですって」
「こうやって王家所蔵の書物を自由に閲覧させてもらえるのも、良い方々だからなんだし、ほら、機嫌直して」
レイモンドの言う通りだ。
視察とはいえ他国の人間に、秘匿されるべき王家の書物を好きにさせるなんて。見張りすらいないのだから、危機意識の無さが恐ろしいわ。
おかげでこうやってヤナタの歴史を学べるわけだけど。
午後にはエーテルの結束点を探しに出かける予定で、それについてもヤナタの王家から何か言われているわけではない。
こんなに自由でいいのかしら。ま、いいか。
恐らくヤナタの神は結束点付近にいるはずだし、うまくいけば今日のうちに神とお話ができるかもしれない。
レイモンドの指し示した書物を手に取って、手近な机にかける。
机の上に寝そべった猫が尻尾をふわりとあげて、その先端に小さく火を灯した。
「あら。レイ、ここ見て。『これより先巫覡なき時代、数十の年を越え、精霊を守りしは民の心なりや。かりそめの巫女、民にゆめゆめ説き聞かせ給う』。かりそめの巫女……?」
「ん? これはいつの書物?」
レイモンドが私の背後から書物を覗き込む。
タイトルは【精霊伝書-かりそめ-】とあって、本来の精霊伝書とは異なるものだということがわかる。
「70年前くらいかしら、先々代のヤナタの王の時代だわ」
「ああ、これ。『二者の争いは南を支えよと精霊の言いしが、ブールは同胞なりて』とあるね」
70年前は、信仰を持つカルディアが精霊否定派のブールによって征されて、それでも国内ではカルディア派とブール派が内乱を続けていた時代だ。
書物によると精霊がカルディア派を支えるように言ったけれど、元々ヤナタはブールとひとつの国であったために、対立することに民が困惑を隠せないとある。
「結局、カルディア派が勝ってキャロモンテ王国ができたのだけど、ブールの統治下で日に日に信仰を忘れていくカルディア派が、どうして勝てたのか不思議だったの」
「ヤナタの協力があったんだ。ヤナタは当時まだ信仰を禁じられていない」
レイモンドと顔を見合わせると、二人で必死になって資料を探し回る。
ここには、私たちの知らない歴史がある。信仰のなくなった国では語られない、精霊や巫覡たちの戦いの痕跡が。
それでも、午前中いっぱい使って調べることができたことは、多くなかった。
そもそも精霊の声を聴くことのできる巫覡が、ヤナタには生まれていないのだからそれも当然かもしれない。
ただ気になるのが、【かりそめの巫女】の存在だった。
ブールと分裂するきっかけとなる内乱の際に、ヤナタの巫覡は亡くなって、それ以来この地に巫覡は生まれていないはずなの。
イフライネはそう言ってたし、次の世代が生まれる前にヤナタの巫覡が亡くなったという事実は、島に渡る前のレイモンドの耳にも入っていたらしい。
けれど、その後も約30年、精霊や神の声は【かりそめの巫女】によって民に届けられている。
そのうえ、自身が亡くなる前には「巫覡のいない時代」を見越して民に信仰を忘れないよう言い聞かせ、未来を予見したかのように、隠れて信仰を続けるための施設の建築まで指示していた。
その出自は全くの謎だけど、彼女がいたからカルディア派が勝利できたし、それに。
「キャロモンテの初代国王がチェルレーティの血筋なのは知っていたけれど、まさか、初代イルデフォンソのお母様アンリがヤナタの出身だなんて」
「チェルレーティ家はやっぱり、ヤナタに逃げてたんだね」
かりそめの巫女の言葉によって、ヤナタからカルディア派の支援に訪れたチェルレーティの血筋が、戦火の中でふたりの男児を産み落とし、キャロモンテ王国を作り上げた。
ヤナタがなければ、いまのキャロモンテはなかったんだ。
レイモンドの目に光るものが見えた。
戦火の中、レイモンドを島へ行かせたあとのご家族、チェルレーティ一家の消息はわからないままだったから、安心したのかもしれない。
私にとっては100年昔の歴史に消えた誰かであっても、レイモンドにとっては離れてから何年も経ってない家族だ。
長い眠りにつくのを決めたのは彼自身だから、会えないことは納得できても、家族のお墓も、行方も、情報のひとつもないのは辛かったはず。
「チェルレーティのその後を、探す?」
「いや、キャロモンテの王家に、というより君の体にチェルレーティの血が流れてると知ったときから、僕はもう大丈夫」
「それなら、探したくなったときにいつでもそうできるように、ヤナタの未来を守りにいきましょう」
バルテロトやキャロモンテのお馬鹿さんたちに、この地を戦場にさせないように。キアッフレードを王に据えるために。
そうだね、と笑うレイモンドの笑顔を守るために。
まずは、神様の信頼を得なければ。
「エーテルの結束点って、どこかしら」
「んー、地脈の流れをそのまま感じるなら、この城よりもっと北だな」
瞳を閉じたレイモンドが答える。
タイミングよく、ドリスがヤナタの広域地図を持ってきて机の上に広げた。
「お城がここでしょ、もう少し北っていうと……川?」
「そうだね、ほら、この2本が合流するところ。恐らくこの辺りだ」
「さしずめ川の神ね」
遠くはないけれど、早めに出発しないと今日のうちに城に戻って来られなくなるかもしれない。
パタパタと取り出した書物を片付けていると、本棚のどこかから視線を感じる。
でも、視線があったはずの場所を目視しても誰もいない。
「どうかした?」
「いえ、なんでも……」
『キャー! やめてよー!』
レイモンドが首を傾げるのに頭を振って答えようとしたとき、小さな鈴がチリリと鳴るような、けれども緊迫感のある叫び声が聞こえて来た。
見れば朱い猫が口に羽根虫を咥えている。
いいえ、わかってる。これは水色の羽根を持ったヤナタのピスキーだ。
よく見ると、少し離れたところで水色のピスキーたちが3体くらい身を寄せ合って、こちらを観察しているようだった。
1体が猫に捕獲されたことで動揺しているらしく、表情を白黒させている。
「ほら、離してあげて」
ぺっと吐き出されたピスキーは、涙目になりながら仲間の待つほうへと飛んで行った。
『あなた巫女さま?』
『ヤンが言ってたよ、このひとたちは島の巫女と覡だって』
『言ってたー』
『ぼくたちのこと見えるひと、ひさしぶりだ』
『ひさしぶりー』
『初めて見たー』
口々に言いたいことを言うのは、どこの土地でも共通のピスキーの生態らしい。
小さな群れの最も中心で、真っ直ぐこちらを見つめる理知的な表情のピスキーに目を留める。
「はじめまして。ねぇ、神様のところに、案内してもらえる?」
『いいよ。ヤンも、望めば連れてこいって言ってた』
チェルレーティ家を深堀するつもりはないので、本文中にこれ以上の説明は今後も多分ありません。
ご興味のある方だけ↓↓どうぞ。
比較的多く巫覡が生まれたチェルレーティ一族はそこそこ繁栄していくつかの分家もありました。
レイ君を島にやったあと、一族のほとんどはヤナタへ逃亡、それから二十数年後にレイ君の従姪(従兄弟の娘)アンリとその夫がカルディアへ。
アンリの長男イルデフォンソと次男ヤン=ダルフは協力して政権を奪取しキャロモンテを建国。
このとき、ブール派もカルディア派も長く続く内乱に疲れきっており、水面下でカルディア派が政権を持つこと、信仰を捨てることで合意を得て建国に至っている。
若手は信仰心よりも内乱を終えることを優先しており、信仰を優先させたいカルディア派の古参も、チェルレーティの血が王となることでどうにか黙る。
バウド家は次男ヤン=ダルフの家系。ヤン=ダルフとその息子オールシュがどちゃくそ強かった(余談)。




