第114話 闇に紛れて
途中から視点かわりますー
「質問があるのです」
普段、使用人が使う出入口の手前で深くフードを被ったキアッフレードが、周囲を警戒しながら小さな声で囁いた。
「はい」
私が目配せするとドリスが一歩後ろへ下がり、それに倣ってレイモンドも数歩離れる。
この会話が聞こえるのは、私とキアッフレードだけ。
「『ゲーム』とはなんの話でしょう」
沈黙が流れる。
私はこれを伝えるべきか否か悩んで、溜め息を吐いた。
「……ああ。さすがのキアッフレード卿でもこの話は信じられないかもしれませんが」
私は島でクララに精霊が実在すると伝えるとき、確かに「ゲーム」と言った。
ほとんどの人は自分なりの解釈をして納得したつもりになっているだろうし、ジャンやドリスは、恐らく気にしつつも私への信頼を優先させて、それについて触れようとしない。
でもこれからクララを御さなければならないキアッフレードは、わかったつもりでいるわけにいかないのよね、きっと。
「私とレイモンドは、以前の生の記憶があるのです」
「前世、ということですか」
「はい。それは、私たちの住むこの世界とは別の理を持つ、全く別の世界」
キアッフレードが息を呑む気配がする。
私はなんとなく彼の目を見ることができなくて、彼の背後にある扉の隅を見つめた。
「レイモンドさんも同じ世界の記憶が?」
「同じ世界、同じ時代、それに友人でした」
「つまりミス・フィンツィも?」
「彼女も恐らく同じ世界、同じ時代の記憶を持っていると考えています。その世界に魔法はありませんが、科学――魔科学と似たようなものですね。それが著しく発展していました。
人々の生活は科学に支えられてとても充実し、娯楽産業も数多の製品やサービスを生み出した。その一つに、電子の……ええと、科学的な『ゲーム』というものがあります」
「……」
「この世界にも、娯楽としての『本』がありますが、ゲームは本に描かれるような世界を、主人公になりきって遊ぶ、疑似体験できる、という説明で伝わるでしょうか」
「待ってください、貴女は彼女にこう言った。『この世界のことをよく知っているだろう』と」
私は彼の目を見られない。
こんな話をされて、普通なら冷静でいられるはずがない。
「アナトーリア嬢、ここは作られた世界なんですか?」
キアッフレードが私の目を覗き込む。逃げられない。
「いいえ。私たちはここで生きている。それが全てだと信じています」
「貴女の妄想である可能性は?」
苦悩に満ちたキアッフレードの瞳は、その可能性が単なる願望に過ぎないと自分で理解しているようだった。
「私もレイも、そうあるべきだと思っていますわ。前世の私たちの感情は、私たちさえ覚えていればいいこと。この世界は、この世界」
「でも、彼女はそうは思わなかった。こちら側こそ虚構だと信じていたんですね」
諦めたような、でもどこか安堵したような表情で美しい礼を披露してから、キアッフレードは屋敷を出て行った。
閉じた扉をしばらく眺めていると、階上からパタパタと騒がしい音が聞こえてきた。
レイに肩を抱き抱えられながら振り返ると、ドリスも心配そうな顔をして音のする方を見上げている。
「何かあったのかしら」
侵入者などがあったなら、トリスタンを筆頭に誰かしらがすぐに駆けつけてくれるはず。
それがないということは屋敷内に危険が潜んでいるわけではないのよね。
ドリスと顔を見合わせつつホールのほうへ向かうと、階下へと降りて来たお兄様に遭遇した。
「アニー」
「お兄様、一体何が」
「明日になれば全てわかる。今日はゆっくり寝るんだ」
眉根を寄せたお兄様の表情は厳しく、有無を言わせない迫力がある。
何か良くないことが起こっていることは確かだけど、今は聞かないほうが良さそうね。
私は頷いて、自室に戻ることにした。レイモンドもまた、彼の個室になりつつある客間へと向かって行く。
そういえば、私はレイに王配になってほしいと伝えてない。
彼は100年眠っていたから、知らないことが多い。歴史も現代をとりまく状況も、それに社交界におけるマナーだとかも家庭教師から学んだとはいえ、さすがに王配は重すぎるのではと思う。
私にだって重荷なのに。
迷惑ではないかしら。そう思うと、やはり伝えることができない。
感情というのは扱うのがこんなにも難しいなんて、私は今やっと本当の意味で知ることができた。
◇ ◇ ◇
「お前はそこで周り見てろ」
オクタヴィアンが一言だけ残して、木の上からふわりと降り、先に行ったトリスタンを追って音もなく走り去る。
残されたバルナバは、月明かりに浮かぶ四頭立ての馬車と、守るように脇を固める数頭の馬に視線を投げた。
かなりの速度で走らせているらしく、先ほどよりも随分と近づいて来ている。
周囲は麦畑で明かりという明かりはない。だから、御者はもちろん馬にのる者たちも、暗闇と同化している二人の影には気づかないだろう。
こんなにもだだっ広い場所では、見張りなどなんの役にも立たない。
つまりオクタヴィアンの言葉はバルナバを作戦に参加させないための方便なのだ。
バルナバは自らの拳を強く握って木の幹に叩きつけた。
オクタヴィアンとトリスタンの兄弟が、バルナバを参加させないのは正しい判断と言える。
あの馬車と周囲の騎馬、どれも生かしてここを通すわけにはいかないのだ。
万に一つも失敗は許されない。例えば、証人になるような逃亡者、生存者を発生させるなど言語道断――。
ギリ、とバルナバが唇を噛みしめたとき、先を走るトリスタンはついにターゲットと接敵した。
それは目を瞠るほど鮮やかな一撃だった。
普通、襲撃の仕方はいろいろあるのだろうが、今回の場合は正面から切り崩して相手の足を止めることが重要であった。
猛スピードで走りぬけようとする一団を、背後から一頭ずつ片付けていくような悠長な時間はないのだから。
この麦畑を抜け、川を越えればバルテロトだ。
馬鹿正直に堂々と関を通るはずもないだろうこの一団を、どこまでバルテロトの軍勢が迎えに来ているかわからない。
必ず、この場で終わりにしなければならない。
トリスタンの一撃は、集団より少し前を走る馬を横倒しにした。
倒れる前に、驚いて前脚を大きく上げた馬から、騎乗していた人物が落ちる。トリスタンが剣を振り上げるのが見えたところで、バルナバはついに走り出した。
走りながら、目の前の光景を一瞬たりとも忘れまいと目に、脳に、心に焼き付ける。
自分は、ここでひとつの死を迎えるのだと。
この光景は、そして自分がこれから行うことは、支えでもあり枷でもあり、生きていく上での心の依り代になるだろうと。
突如倒れた馬に驚いて、後に続く馬車や馬が嘶きながら停止する。
それを待ち構えていたかのようにオクタヴィアンが彼らに飛び掛かって行った。手近な馬から人を引きずりおろし、相手の腰から抜いた剣で一刺し。
そのまま御者台へと登って、相手が叫ぶ前にその喉笛を一閃。
馬車の向こう側でも、トリスタンが暴れているらしく、背に誰も乗っていない馬が走り去るのが見えた。
一人また一人と、馬車に随伴する人物が消えていく。
バルナバが到着したとき、馬車の外にいた人物では最後の一人となった騎士が、剣を構えてトリスタンと対峙していた。
「どこの手の者だ」
「答える義理はありませんし、意味もありません」
トリスタンの言葉の意味を正しく理解したレオフリック・モーエンは、右手のバックソードを握り直して深く息を吸った。
あの馬車には一体誰が乗っているんですかね(すっとぼけ




